オンネモトチャシ跡への行き方と駐車場 クナシリ・メナシの戦いと根室半島チャシ跡群

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オンネモトチャシ

根室半島チャシ跡群

日本100名城で最初に登場する城郭は「根室半島チャシ跡群」(ねむろはんとうちゃしあとぐん)と言う、アイヌ民族の丘先式城となります。
北海道根室市にあるチャシ跡24か所の総称で、国の史跡にも指定されています。

チャシと言うアイヌ語は、山の上にあって割木の柵を巡らせた施設と言う意味で、和風に言えばお城と言う事になりますが、規模的には砦と言う感じです。
チャシ跡は、チャシコツと言います。
ただし、アイヌ人が使用していた「チャシ」としては、見張台程度の砦が多く、聖地や会談の場としても使われていたようでする

なお、100人が1ヶ月くらいで造営できる程度と、どれも規模は小さめですが、700箇所以上のチャシ跡が見つかっており、道南と道東に多く分布します。


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根室半島チャシ跡群としては、根室半島にあるチャシ30のうち、チャルコロモイチャシ、ウェンナイチャシ、ニランケウシチャシ(ホニオイ東チャシ)、アッケシエトチャシ(キナトイシチャシ)、シエナハウシチャシ(スナバウスチャシ)、コタンケシチャシ、ノッカマフチャシ、サツコタンチャシ、コンブウシムイチャシ(トーサムポロチャシ)、トーシャム2号チャシ、ピリカヲタチャシ、ヲンネモトチャシアフラモイチャシポンモイチャシが国指定になっています。

なお、すべてのチャシが見学できる状態ではありません。
多くは私有地であったり、手つかずのため、進入すると自然のままで荒れ果てており、キケンなところも多いため、見学ができるように整備されているオンネモトチャシ跡をまずはご紹介いたします。

オンネモトチャシ跡

離島を除くとは本土の最東端(もちろん、北海道の最東端)でもある納沙布岬(のさっぷみさき)からほど近いところ(約2km)にオンネモトチャシ跡があります。
根室半島チャシ跡群の中で代表的であり、尚且つ観光しやすいのが、オンネモトチャシになります。

冬はもちろん雪深いところで、足がはまったりするので、雪がない季節の訪問がお勧めです。
とは言え夏は、草が茂っていてよく分かりませんので、見学に良い季節は5月とか9月辺りなのではと存じます。

立派な建造物など何一つ何も無いですが、日本百名城のひとつです。
ちなみに、スタンプは約25km離れた根室駅の隣にある観光インフォメーションセンターらしいです。(100名城巡りしている訳ではないので、詳しくは知りませんが・・。)

オンネモトチャシ

運が良ければ、エゾシカやキタキツネが現れるかも知れません。

すぐそばには温根元漁港があります。
下記はその温根元漁港から撮影したオンネモトチャシ跡の丘です。

オンネモトチャシ跡

ご覧のように、雨は降っていないのですがキリがすごくて探検はやめておきました。

納沙布岬のバス停から歩くと30分の距離ですので、レンタカーの方が無難です。
旧道にそれると、オンネモトチャシへの入口部分に小さな看板があり、その看板の案内に沿って未舗装道を入ると、広場があって黒いコンテナ前にクルマを止められます。
地図もご用意してありますので、よければご覧ください。

なお、納沙布岬の近くには「ポンモイチャシ跡」もあります。

ポンモイチャシ跡

下記はポンモイチャシ跡です。
どのような歴史があるのかなどの伝承は伝わっていません。

ポンモイチャシ跡

民家がある集落の崖側にある、ただの草っぱらのところに、小さな標柱があるだけです。
正確な場所は、当方のオリジナル北海道地図にてわかるようにしてありますので、ご興味が有れば訪れてみて頂けますと幸いです。

クナシリ・メナシの戦い

蝦夷地においてもアイヌと和人との争いは多くありましたが、一番有名なのは江戸時代の1789年に発生したクナシリ・メナシの戦い(国後・目梨の戦い)です。

福山城(松前城)などをご紹介しているページでも触れていますが、蝦夷にある松前藩は、当時、石高ゼロです。
江戸期の北海道は、お米が全く取れないので、蝦夷の特産品を本土に売る「交易」を行い、その利益で生活必需品を購入していました。

アイヌ人は、狩や漁業などに便利な「鉄製品」(刃物など)を独自に生産する技術が無いです。
このように、酒・米・こうじ・タバコ・塩・なべ・小刀・針・古着・反物・糸・漆器・煙管(きせる)と言った品々は、和人と交易しないと手に入らない訳です。

それらの品物を手に入れるため、アイヌ人は、ラッコの皮・熊皮・鹿皮・アザラシ皮などの獣皮、熊の胆(い)・鷲羽・干しザケ・串貝・いりこ・コンブ・干しダラなどの干物、オットセイ・エブリコなどから生成した薬を松前藩と交易しました。
松前藩は、江戸幕府よりアイヌとの独占交易権を認められており、国後島の泊にも出先機関を置いていたようです。

しかし、和人はアイヌを見下しており、アイヌ人に不利な交易や労働を強いたりしたため、アイヌは度々不満を爆発させています。
このクナシリ・メナシの戦いも、そんなアイヌ人が蜂起したと言う事になります。

クナシリ(国後)のアイヌが、和人を襲撃しました。
71名の和人が殺害されたと言います。
これに根室方面のナメシ(目梨)も呼応したため、松前藩は討伐軍を派遣しました。
アイヌ人は処刑されましたが、松前藩は、アイヌと取引していた飛騨屋も追放して新たな商人を当てています。

コシャマインの戦い、シャクシャインの戦いと言い、アイヌとの争いはこのようなケースがほとんどです。
クナシリ・メナシの戦いでは、大規模な反乱にはならなかったようですので、和人が勝利しています。
しかし、蝦夷での人口は和人よりもアイヌ人の方が多かったので、しばしば、和人は窮地に立っています。

なお、和人が持ち込んだ天然痘により、アイヌの人口は減少したと言い、幕末には約24000人いたアイヌ人も、明治24年には380名まで減りました。

ノツカマフチャシ

丘先式城のノツカマフチャシは、国道35号沿いに入口がありますが、近くには駐車場がないので、国道から遠景だけ撮影してみました。

ノツカマフチャシ

ノツカマフ1号・2号チャシと2つが隣接しており、堀の跡などがハッキリしているそうです。
クナシリ・メナシの戦いがあった場所のひとつで、ノッカマップ岬にてアイヌの首謀者が処刑されたと言います。

ノッカマップ岬

国道からチャシまでは200mほどだと言う事です。
4台ほど止められる駐車場が完備されています。
場所は当方のオリジナルGogoleマップにてどうぞ。

近くに北方原生花園がありますので観光の場合にはセットでどうぞ。

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