2018年6月2日土曜日

論語(22); -君子と小人(vii)-

憲問第十四の29では
「君子恥其言而過其行
と言われています。言う事が実践以上になることを恥じる、というのです。
現代ではそれほどの戒めの意味をもつでしょうか。現代人は自分の行いについて、あるいは徳性についてなにか偉そうなことをいうでしょうか。むしろ自分には厳しくなくて他人にも寛容、というだらしのない首尾一貫の方が心配になります。

憲問十四の44には子路の、君子についての繰り返しの質問に孔子が答えた説明があります。答の部分だけかけば
「脩己以敬。」「脩己以安人。」
初めの答えは“自ら修養して慎み深くすること”で、さらに聞かれると、自ら修養して人を安らかにすること“が答えになります。
子路がまだ納得できず質問すると、孔子は
「脩己以安百姓。脩己以安百姓,堯舜其猶病諸!」
“自分を修養して万民を安んずることは堯舜でも苦労したことだ”と答えます。3つ目の孔子の答は論点がずれており、問答としてはおかしいと思います。
またそう言われても具体的にどのように振る舞えばよいのか不明で、内容がない印象が残ります。

衛霊公第十五の7に
「君子哉蘧伯玉!邦有道,則仕;邦無道,則可卷而懷之
なる記述があります。“蘧伯玉(キョハクギョク)は君子だな。国家に道がある時は仕え(て国家の為に才知をあらわし)国家に道のない時は(才知)を懐に隠して世の中にあらわれない。”と言います。
この辺が孔子の態度の首尾一貫しないところで、君子は人を教化し、世に正しい道が行われるようにすべき、と言っているような時もありながら、一方でこのように道が行われなければさっさと政治から身を引いた方が賢いと言っている時もあります。

衛霊公第十五の18から23までは連続して君子についての言及があります。
18では
「君子義以為質,禮以行之,孫以出之,信以成之。君子哉!
で、“正義に基づいて、礼により実行する。謙遜な言葉で義を口に出し、誠実に義を完成させる”という意ですが、もっともなことですが、なかなか難しい要求ですね。
19では
「君子病無能焉,不病人之不己知也
で、“自分が能がないことを気にして、人のおのれを知らないことを気にしない”というのです。
しかし、本当に自分が至らない人間であることを心配している人が、世間の人が自分のことを知らないことを気に病むでしょうか?
20では
「君子疾沒世而名不稱焉
とあります。これは“死後に自分の名前の唱えられないことを悩みとする”という解釈もあり、“死ぬまで自分の名が世間に聞こえないことを悩みとする”という解釈もあるようです。
いずれにせよ、老荘思想ならば野にあって言いたい放題で、実質を問われないようにするけれど、儒者は基本的には政治に関わってその抱負の実現にむかわなければならない、というのでしょうね。
21では
「君子求諸己,小人求諸人
で、“君子はわが身に責任を求めて反省するが、小人は他人の責任として人に求める。”ということで、これはいつの世でも通じるわかりやすい教えですね。
22では
「君子矜而不爭,群而不黨
で、“君子は謹厳だが(和気を失わないから)争わない、大勢といても(阿りへつらう私情がないから)党派を作らない。”と言っています。
孔子の時代から、世の中そうではない人がごっそりいたのでしょうね。
23では
「君子不以言舉人,不以人廢言

とあります。“君子は言葉によって(立派なことを述べたとしても)人を挙げ用いたりしないし、言葉を言う人によって(徳がない、身分が低いなどで)それを捨てることはない。”ということです。上に立つ人はそうあってほしいものですね。






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