経済成長否定論の白刃取り | ヤモリのつぶやき

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日々のニュース解説等をつぶやきます......

経済関係は、長年左翼系の活動が活発で話がグダグダしやすい。
国家での経済と庶民の経済の間に溝があるとか、政策の結果が出るのに時間がかかることも、この工作の活躍する場を与えている遠因と言えよう。

 

例えば、消費増税にしても社会保障にしても財政健全化にしても、さんざん声高に批判してたことは全て的外れで、既に無かったことに近いほど、平然とスルーしていられるのがマスゴミと識者だ。
この状態を見るだけで、無責任で作為的なのはミエミエだ。

 

大昔から使われるこの手法の理屈は簡単で、経済疲弊→労働者の不満がたまる→反政府活動につながる、という流れを重視している左翼が活動しているからだ。
近年では、支那共産党とその工作員が様々な手法を使って、経済的に疲弊して日本経済がおかしくなるように仕組んでいる。
元から左翼系が共闘しやすいものが経済問題なのだ。

 

さて、そんな中で高橋洋一氏が日経に続きアカヒもぶった切っていた。
筆者から見れば、日経やアカヒという左翼系が経済問題をぶった切ろうとしているのを白刃取りしているようにみえる。
こんな話だ。
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朝日新聞のあまりに稚拙な「経済成長否定論」を一刀両断してみせよう
経済面でも、この国をミスリードするか 2017.01.09 高橋洋一

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50671
■朝日はなぜそこまで成長を否定したいのか

また慰安婦像を巡って、日韓で大問題が起こった。

2015年12月、ソウル日本大使館前の慰安婦像撤去などを約束した日韓合意が行われたが、ソウルの慰安婦像撤去が進められない中、釜山領事館前に新たな慰安婦像が設置され、日本政府は合意違反であることを訴え、駐韓大使一時帰国などの対抗措置を講じた。

韓国が、国家間の約束違反を平気で行うことにあきれる。さすがに今回は韓国人のなかにさえ、「韓国が悪い」という人が多いようだ。

韓国内で慰安婦問題が正しく理解されない原因の一つは朝日新聞の誤報にあるが、そんな朝日新聞が、国際面だけでなく経済面でもやってくれた(http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html)。

新年特集の記事のなか(4日付)で、

《ゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない》《いまのような経済成長の歴史が始まったのは200年前にすぎない》《成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない》

といった論評をしている。

この「成長否定論調」には、すでにネット上でも批判が出ている。一言でいおう。成長を否定したら、幸福の実現は難しくなるのだ。

この論評は、いろいろな識者の意見や身の回りの経済現象をつまみ食いしながら、今の安倍政権の経済政策を批判している。識者の意見の引用も的外れで、最近の経済現象にも無理解があるなど、ほぼ全編に突っ込みどころが満載である。だから、ネット上でも叩きやすい。

特に茶化しやすいのは、

《いまのような経済成長の歴史が始まったのは200年前にすぎない》
《成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない》

という箇所だ。例えば、

《朝日新聞が読まれていたのは、せいぜい140年にすぎない》
《朝日新聞を読まないのは、正常化を意味している》

といったように、これを引用して皮肉で返すこともできる。この「200年に過ぎない」という指摘は、現代のもののほとんどに成り立つことなので、論法としては説得力のないものになる。

筆者は、いくつかの正月番組に出演したが、やはりこの話題を聞かれた。例えば、5日のテレビ朝日「ワイドスクランブル」で、成長不要論が出ているがどう思うかと聞かれた。

ちょうど番組では、人々の満足度をどのように高めるかという話題になっていたので、筆者のほうから、経済成長と失業には密接な関係があり、経済成長しないと失業が増えるという「オークンの法則」(Okun's Law なお番組後、出演者から英語のスペルを聞かれた)を紹介し、成長なしでは人々の満足度は高まらないと説明した。

失業は人々をもっとも不幸にするものだし、本コラムでも紹介したが、失業が増えると自殺率や犯罪率が高くなったり、生活保護率も高くなるなど、社会へのマイナス効果ははかりしれない。

このため、少なくとも筆者が首相官邸で経済担当として働いていた小泉政権や第一次安倍政権では、最優先で改善すべき経済指標は失業率だった。
朝日新聞「経済政策批判」の常套手段とは

テレビ朝日の番組では、この点を踏まえて、失業の低下は最低限政府が行うべきことで、日本の場合成長率が1%下がると失業率は0.2%くらい上がると指摘した。

この対応は、その場のやりとりで出た話であるが、成長率と失業率の関係を示すオークンの法則について筆者は常に意識しているので、定量的な関係もすぐわかる。以下は、その根拠となる図である。

 

なお、メインキャスターの橋本大二郎さんから、人口減少が進んだとしても、オークンの法則は成り立つのかと聞かれたので、成り立つと答えている。もちろん日本を含め先進国で成り立つことが知られているからこそ、経済法則の名前に値している。

朝日新聞の成長否定論はおかしいことが、多くの人にもわかるだろう。

成長否定論は、これまでも経済運営がうまくいっているときに、戦後左翼系の識者がしばしば行ってきた。成長という実績の前に、政権批判したいときの常套手段である。こうしてみると、安倍政権の経済運営は朝日新聞が批判するほどになったかと笑ってしまう。

1970年代、日本経済が急発展を続けていた頃、やはり朝日新聞は「くたばれGNP」という連載を行っていた。その後、石油ショックで本当に日本経済が成長しなくなると、「くたばれGNP」どころでなくなったため、このスローガンは消え去った。経済がダメになったら、そもそも日本が終わりになるからだ。

上のオークンの法則が如実に示すように、経済成長は失業を減らす。そうなると、自殺率、犯罪率、生活保護率なども良くなる。

このように、経済成長は全ての問題に万能とはいえないが、それでも経済成長がないよりは、ある程度の問題を解決できる。経済成長は国民全ての所得を増やすことになるので、弱者を助ける分配問題においても、パイが大きくなるので解決が容易になる。

ボーリングでたとえれば、経済成長は1投目でセンターピンを倒すのに相当する。1投目でセンターピンにあたれば、うまくいけばピン全てを倒せるが、そうでなくても7、8本を倒せて、2投目でスペアがとりやすい。

逆にセンターピンを外すとスペアをとる確率が悪くなる(なお、筆者は50年ほど前のボーリングブーム時代にボーリングにのめり込み300点ゲームを達成したこともあるので、このたとえが好きである)。

さて、問題はこれからだ。

たしかに、成長否定論はおかしいことが今では多くの人にもわかる。しかし、どのようにしたら成長できるのか。ここがわかっていない人は多い。
■「成長率批判」はあまりに身勝手

マスコミでよくある意見は、成長戦略こそがその解決策というものだ。そして、安倍政権では成長戦略ができていないのでダメだ、という批判にもってくる。

この論法は一部当たっているが、多くは的外れだ。

そもそも成長戦略は、長期的には成長率を高めるだろうが、短期的な効果はまずない。成長戦略の効果が出るのは早くても数年先であり、短期的な効果はない。

しかも、成長戦略で当てるということは、成長産業を探すことであり、それは至難の業である。筆者は、しばしは成長戦略を当てることは、千に三つほどの確率で、下手な矢でも1000本打てば、数年後に3本も当たれば御の字であるといっている。

短期的な手法は、アベノミクスの第一の矢の金融政策と第二の矢である財政政策によるしかない。

この意味で、アベノミクスが金融政策、財政政策、成長戦略という3本の矢を用意したのは、短期的・中長期的には正しいのだが、マスコミはその関係をきちんと理解できないために、処方箋の説明はかなりデタラメになっているのだ。

その理由は、マクロ経済学への無理解にある。そもそも、オークンの法則はマクロ経済学の基本原理であるが、こうしたことを理解せずに、アベノミクスを語りたがるのはマスコミの悪いところだ。

せっかくであるから、この際オークンの法則を題材として、失業を可能な限り減少させるような経済政策を考えてみたい。

オークンの法則の背後には、マクロ経済の基本概念として総供給と総需要の差であるGDPギャップがあり、景気の良し悪しはGDPギャップではかることができて、成長できずにGDPギャップが大きくなると、失業が増えることがわかる。

ここまで来ると、次に述べるように、金融緩和と財政出動はともにGDPギャップを縮めることもわかる。

財政出動は公的部門の有効需要を直接創出するのでわかりやすい。一方、金融緩和については、実質金利の低下、為替安などで民間部門の有効需要短期的に、長期的には効果累積額でみると大きく作用する。

財政政策は直接有効需要を作るので、短期的な効果は大きい。一方、財政政策が財政事情などで継続的にできない中、金融政策は継続的に実施しやすいので、金融政策は長期的に効果が出やすいともいえる。

こうして、短期的な効果は財政出動の方が強いが、中長期的には金融緩和も効果が出る。となると、金融緩和のほうが失業率低下の累積効果が大きくなる。

こうしたマクロ経済学の基本的な理解があれば、財政出動とともに、金融緩和も失業を減らすということがわかるはずだ。そして、累積効果が大きくなる金融緩和の場合、インフレ目標は緩和しすぎないための歯止めだ。これは欧米先進国の常識でもある。

また、最近の失業率の低下は、金融政策の効果ではなく、生産年齢人口の低下のためであるという議論もあるが、これは、人口減少だからデフレになると同じくらい、間違った考え方である。それは、生産年齢人口が増えていた以前のときのほうが失業率が低かったことからもすぐわかる。

こうした誤解は、マクロ経済学の理解ができていないばかりか、統計データのリテラシーに欠けていることの問題でもある。
■失業率を上げないための、具体的な策とは

失業率と生産年齢人口の推移をみれば、最近の失業率の低下は生産年齢人口の低下とは結論付けられない。

失業率は、労働力人口から就業者数を引いたものを労働力人口で除して定義される。労働力人口は「15歳以上の人口」であり、生産年齢人口は15歳以上65歳までの人口。

両者はパラレル概念だ。労働力人口(生産年齢人口)が減少するとき、それを所与とし、経済状況によって就業者数が決まってくる。なので失業率は分子も分母も労働力人口の動きを見込んだものとなって、景気だけに左右される。

まともに統計分析すれば、生産年齢人口はコンスタントに減少する一方、失業率は景気で上下となるので、傾向を除去して考えれば両者は無関係であることがわかる。

ちなみに、オークンの法則のように前年からの失業率の差と前年からの生産年齢人口伸率をみれば、無関係であることは明らかだ(下図)

 

雇用を守るべき左派系識者や経済評論家はそうした常識が欠けていると、筆者は本コラムで何度も指摘してきたが、実は右派系にもいるのが現実だ。

金融政策と雇用の関係はマクロ経済学のイロハである。もっとも、日本では、金融政策を正しく理解しているに過ぎないのに「リフレ派」と呼ばれ、特殊扱いされてしまうのは困ったモノだ。

そこで、今の日本で、失業を増やさないための、具体的な政策を提示しよう。

昨年に日銀は金利管理に移行した。これは、金融緩和に対し積極的ではなく受け身になったことを意味する。この方式では金融政策が財政依存になる。政府が国債を発行しないと金利が下がる。それを日銀が引き上げると金融引き締めになりかねないが、政府が国債を発行すれば逆に金融緩和になるという具合だ。

そうした状況では、財政政策の出番(国債発行)であり、そうなれば、財政・金融一体発動になって、日本経済に好都合となる。

幸いなことに、日本の財政問題も、現時点で考慮しなくてもいいくらいだ。この点は、本コラムで再三指摘してきている。

さらに、国債を発行して財源調達すべき分野も、法律改正が必要だが、教育など未来への投資と言われる分野で多い。金利環境がいい現在は、未来への投資に事欠かない状況である。

というわけで、未来への投資として、国債発行による財政出動(自動的にこれは金融緩和にもなる)をすべきというのが、失業を増やさないための筆者の解である。

朝日新聞の論評が文中で言及しているシェアリングエコノミーは経済成長を促進するものであるため、朝日新聞の主張は支離滅裂になっている。いっそのこと、そういた新しい動きを利用するとともに、政府に国債発行による教育支出増などを提言し、さらに経済成長して、貧困をさらになくせという言うべきなのだ。
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経済成長に懐疑的な朝日記事 失業減らし弱者助けるにはパイ大きくする必要ある 2017.01.11
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170111/dms1701110830004-n1.htm
朝日新聞の1月4日付朝刊に「『経済成長』永遠なのか」という見出しの特集記事が掲載された。《ゼロ成長はそれほど「悪」なのか》《いまのような経済成長の歴史が始まったのは200年前にすぎない》《成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない》といった論評が展開されている。

これは戦後の左翼系の識者がしばしば行ってきた「成長不要論」とよく似ている。

1970年代の石油ショックの直前、日本経済が急発展を続けていた頃、朝日は「くたばれGNP」という連載を行っていた。朝日はいまでも経済成長しない世の中で問題はないと考えているのだろうか。

経済成長が全ての問題に万能というわけではないが、それでも成長しないケースと比べると、ある程度の問題を解決できる。

ボウリングでたとえれば、経済成長は1投目でセンターピンを倒すのに相当する。1投目でセンターピンに当たった場合、うまくいけばピン全てを倒すことができ、そうでなくても7、8本を倒して2投目でスペアが取りやすい。逆に、1投目でセンターピンを外すとスペアを取る確率が低くなる。

経済成長は国民全ての所得を増やすことになるので、弱者を助ける分配問題においても、パイが大きくなれば解決が容易になる。
そもそも経済成長は、豊かさのために必要なものだ。「オークンの法則」によると、経済成長と失業率の間には安定的な逆相関(成長率が下がれば失業率が上昇する)が見られる。つまり、成長をあきらめることは失業の増加を意味している。

失業すると豊かさは失われるので、経済政策の目標としては失業を低くするのが最優先となり、処方箋としては、経済成長するのが最も容易だ。逆にいえば、経済成長せずに失業をなくすことは至難の業になる。

少し前のマスコミは競合メディアもなく、「第4の権力」とも指摘された。

前述した「くたばれGNP」は、当時、公害が社会問題化したことを背景として、経済成長至上主義を批判したものだった。しかし、石油ショックであっという間に吹き飛んでしまった。経済がダメになったら、公害問題どころか日本全体が沈没してしまうのだ。

こうした成長不要論は、現実の経済がうまくいっているのに文句をつけたいときによく出てくる。そして、「ゼロ成長でもいい」という人は、自分の雇用が確実に確保されているような、恵まれた既得権階層が多いのではないだろうか。

前述の朝日の論評では、経済成長を求める社会からの変化の兆しとして、「シェアリング・エコノミー」(個人間によるモノやサービスの共有)が紹介されていたが、実際には経済成長を促進するものだ。

本来ならば、そうした新しい動きを利用して経済成長し、貧困をさらに少なくせよと提言すべきではないだろうか。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
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よほど腹に据えかねたらしく、厳しい指摘だ。
この話、さほど難しいものではない。
経済というのは物価据え置きであったとしても、少しずつ膨張していく。
例えば、蕎麦とタクシー。
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うどん・そばの価格推移
http://shouwashi.com/transition-noodles.html
60年近くに渡るバス・タクシー初乗り料金の推移をグラフ化してみる(2016年)
http://www.garbagenews.net/archives/1104976.html

 

大卒初任給ですらコレ。
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年次統計トップ > 経済 > 大卒初任給
http://nenji-toukei.com/n/kiji/10021/%E5%A4%A7%E5%8D%92%E5%88%9D%E4%BB%BB%E7%B5%A6

 

そして当然、世界経済も普通に成長していくため、輸入物価もどんどん上がっていく。
金利を考えても同じことで、金利分、元の金額が膨張していく。
諸外国も含めて、徐々に膨張していくのが当然なのに、日本だけ据え置きしていれば相対的に見て縮んだのと等しい。

 

経済成長を高橋氏の記事ではパイと表しているが、扱い数量だけでない価格の膨張も、消費者物価が統計の見た目上据え置きであっても勝手に増えていくのだ。

見た目上据え置きであるということは他の物価は下がっていることであり、上がるものを個別物価としてわけて考えているだけにすぎない。

物価上昇をGDPから取り除いているつもりでも完全には除けないのだ。

 

サービスは同じことをしていても、実際は徐々に数字が伸びていかなければならないものなのだ。
これを経済成長率とし、だいたい世界の平均値で3%になっているから、20年もすると約2倍くらいの数字になる、というわけだ。
日本は据え置き20年停滞したから、相対的に半分になっているのだ。

 

そして、この当たり前すぎることについて、人口が減ってるからパイは増えないとか、経済成長だけが全てなのかと意味不明なことをいい続けている理由とは即ち、日本国力剥削計画、ということにすぎない。

安達誠司氏もリフレについて指弾していた。
↓↓↓↓↓↓
ゼロからわかる「リフレ派」とは何か 〜そんな派閥は存在しない!?
金融と財政の二項対立を超えて 2017.01.12 安達誠司

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50696
■「リフレ派」対「反リフレ派」

浜田宏一内閣官房参与(イェール大学名誉教授)の「発言」以降、日本でも財政拡大に関心が集まりつつある。

浜田参与は、クリストファー・シムズ氏(2011年のノーベル経済学賞受賞者で現プリンストン大学教授)らが提唱した「FTPL(物価の財政理論)」に基づき、日本がデフレを完全に克服するために財政拡大の必要性に言及した。

すると、従来からリフレ政策に批判的であった論者たちはこれを「リフレ派の変節」ととらえ、リフレ政策に対する批判を強めている。

筆者は日本におけるリフレ政策の議論に初期段階から関わっているが、筆者の記憶では、これまでに財政政策を完全否定したことはない。そもそも、世の中に「リフレ派」なる派閥が存在し、日々会合を開き、意見を集約させているとも思えない(私がのけ者になっていなければの話だが)。

そして、もし、「リフレ派」なる集団が存在するとしても、彼らはただ「デフレ解消のためには大胆な金融緩和が必要である」という考えを共有するだけであり、その他の政策については必ずしも意見の集約はないと考えられる。

筆者の肌感覚では、むしろ、金融政策以外でも筆者と考えを同じくする「リフレ派」の論者はそれほど多くないのではないかとも思う(そのような話をすると、「リフレ派の仲間割れ」などと囃す人が出てきそうだが、まさに「下衆の勘ぐり」である。そういうこともなく、友好的に議論をする関係が続いている)。

筆者が考えるに、マスメディアの、決して生産的ではない、わかりやすさを追求するだけの「二項対立」的図式での論争に安易に乗ってしまったことが、誤解、もしくは敵対する論者との感情的なもつれを生んだ原因ではないだろうか。
「リフレ派」誕生の経緯

ところで、日本におけるリフレ政策の議論は、マネーサプライコンロールを巡る「翁・岩田論争」がその発端であったと考えている。

この「翁・岩田論争」では、当時の日銀の金融政策のフレームワーク(いわゆる「受動的な資金供給」)が問題とされた。その後のリフレの議論がその流れを汲むとすれば、金融政策スタンスが議論の対象とされるのは当然の帰結であろう。

その後、2000年頃から、リフレ政策の研究は世界大恐慌の教訓の解釈を中心にしたものになっていく(それは『昭和恐慌の研究』として書籍化されている)。

世界大恐慌を研究・解釈していく過程で、筆者も様々な研究結果を参照してきたが、当時、もっとも説得的であったのは、ベン・バーナンキ前FRB議長やカリフォルニア大バークレー校のバリー・アイケングリーン氏らの「国際比較」であった。

彼らは、従来は特定の一国にフォーカスしていた大恐慌研究に、「国際比較」という新たな視点を導入した。

大恐慌期の経済政策は各国まちまちであり、経済政策のうち、どの政策に効果があったのかが不明であったが、バーナンキ氏やアイケングリーン氏の研究では、様々な国の経済政策を比較することで、どの政策が大恐慌からの脱出に有効であったかが明らかにされた。

彼らの研究によれば、色々な国の大恐慌からの脱出時期を比較してみると、金本位制(当時の「グローバル・スタンダード」の通貨制度)を離脱した順に、大恐慌からの脱出に成功していたことが明らかにされた。この金本位制離脱の過程で、多くの国が通貨安となり、輸出が急回復したのである。

そのため、大恐慌研究では、これをもって「通貨安が大恐慌脱出の要因である」という見方をとる立場もあるが、国際比較をすると、必ずしもすべての国が輸出の拡大によって大恐慌を克服したわけではないことがわかった。

そして、共通項が、金本位制からの離脱によって、それまで為替レートの維持に割り当てられていた金融政策がデフレ克服に割り当てられるようになった点であることもわかった。

この研究結果をもとに、「大胆な金融緩和政策へのレジーム転換が必要である」という考えが共有されるようになった。そして、その考えを共有する人達がいわゆる「リフレ派」として認識されるようになった。
一方、大恐慌期における財政政策の効果については、様々な論文が存在する。また、現に、当時、多くの国で金融緩和と同時に財政支出の拡大が実現したのは事実である。

だが、前述の国際比較で注目されるのは、比較的早期に大恐慌から脱出したイギリスでは、財政支出の拡大が見られなかったという点である。

イギリスは第一次世界大戦の戦費調達によって、大恐慌期以前から公的債務(国債発行)残高が対GNP比で200%程度まで上昇していたが、大恐慌期にこの比率はそれほど大きく変わっていない。そのため、イギリスでは大規模な財政拡大は行っていなかった。

それでもイギリスは大恐慌を克服できたということで、財政政策は大恐慌(デフレ)脱出の「十分条件(財政支出拡大を行ってもいい)」であることは否定できないが、「必要条件(財政支出を拡大させないとデフレ脱却は不可能)」とは考えにくいという結論が導き出されたのである。

さらにいえば、米国における大恐慌研究の泰斗であるクリスティーナ・ローマー女史(カルフォルニア大学バークレー校教授)による極めて簡単なシミュレーション(大恐慌期の米国において、もし、財政支出拡大が実施されなかった場合に米国経済はどのような回復経路を辿っていたかを検証)でも、財政拡大政策はそれほど重要な役割を果たさなかったことが示されていた(すなわち、財政支出拡大がなかったと仮定した場合の実質GDPの経路が、実際の実質GDPの経路とほとんど同じだった)。

この点も、「金融政策重視」により傾斜した理由だったように思う。

以上より、デフレ脱却に必要なものは「金融政策のレジーム転換」であり、財政政策は、その補完的な役割を果たしうる政策ツールである、というのが「国際比較」から導き出されたインプリケーションということになる。

これが、いわゆる「リフレ派」が、これまで、どちらかというと財政政策よりも金融政策を重視してきた背景であると筆者は考えている。

だが、これは「財政政策が必要ない」という意味ではない点に注意が必要である。
■「FTPL」の肝とは

米国ではリフレ政策に関する研究がいまなお進行中である。

最近では、これまでは、長期的に見れば、財政収支は均衡するという前提で考えられてきた財政政策の枠組み(レジーム)を変えることでデフレ、ないしは経済の長期停滞に対処しようという試みもなされている。

筆者の「好み」でいえば、例えば、ブラウン大学のガウティ・エガートソン教授らは、「長期停滞」から脱却するためには、金融政策と財政政策の両方を拡大させる必要があることを理論モデルから提示している。

また、エガートソン教授の最近のマクロ経済政策に関する研究では、ゼロ金利制約の壁に直面して政策金利の引き下げが不可能になり、インフレ率の変動に対して金融政策が十分に対応できなくなった場合に、代わって財政政策のレジームを変えることによってインフレ率を引き上げられる可能性を論じている。

そして、この「財政政策のレジーム転換」こそが「FTPL(物価の財政理論)」の肝であると筆者は考えている。

「FTPL」の話はまた機会をあらためてしたいと思っているが、リフレ政策は、「金融政策と財政政策のどちらを用いるか」というような「二項対立」の図式で語ることはできないという点に注意する必要があろう。
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筆者には謎なのだが、このコンピュータが当たり前の時代なんだから、なぜシミュレーションしないのか?
ちょっとやってみればすぐ解ることだ。
それを何かこう、小難しい理論モデルを組み立ててごちゃごちゃ言ったところで、苦しむ国民が減るわけじゃない。
学者も識者もマスゴミも官僚も、頭おかしいとしか言えない。

 

責任だけ政治家に押し付けて、日本を屠ろうとする国家に与するというのが、ホント意味がわからない。
経済成長が不要であるとかできないとか、経済のけの字もわからないような話をいけしゃあしゃあと言える神経が一番わからないのだ。
悪い方に進んだ結果、全員存在が危ぶまれることになるのに、だ。
こういう馬鹿連中は早くご退場頂いた方がいい。

 

お金というのは、ただサービスの証明書でしかない。
サービスは減らないのにお金を減らせば、相対価格が下がってサービス停滞を招く、これだけのことだ。
ほんと困ったもんだ。

 

 

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