そのとき君は若かった・・・ハズ | ヤモリのつぶやき

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日々のニュース解説等をつぶやきます......

 ちょっと古い話で恐縮だ。
 先だって、サンデーモーニングで行った世代別支持率調査の結果が、出演者の方々の意向に逆らうものだったために、出演者総出で若い世代を叩きまくるという痴態があった。
 本日はこのしょうもない事象から、日本を筆者の半径数mで掘り下げてみようと思う。
 元ネタはこちら。
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【18~20代の安倍内閣支持率68%wwwww】TBSサンモニ、安倍総理を支持する若者に激怒 「若者は自分の利益ばかり」「広い視野を持て!」 2017年06月11日
http://hosyusokuhou.jp/archives/48794586.html
@take_off_dress
岸井成格「なぜ安倍内閣の支持率が高いか不思議!」
もはや自分が偏った思考をしてることすら理解出来ない岸井。

@take_off_dress
大宅映子「世論調査で【まだマシ】とか【他に代わりがいない】を選ぶ人は逃げ口上!政策を見た上で代わりがないと言ってるのか!」
口だけで何も出来なかったら意味がないんです。
それは民主党政権で国民が学んだ事です。

@take_off_dress
関口宏「若い人か…安定を望まずに変化を求めろ!」
大宅映子「若い人は自分の利益ばかり!」
姜尚中「若者は想像力が働かない!瞬間風速しかみてない!」
大崎麻子「若い人は広い視野で政治を見ろ!」
若者の安倍内閣支持率が高いことに文句をいう #サンデーモーニング
まさに老害…



関連:自民党に異変 “シルバー政党”化が進む民進党を尻目に若者の支持を獲得
http://www.sankei.com/premium/news/161228/prm1612280017-n1.html
--------以下略

 筆者が逆にびっくりしたのは30代。
 一世代だけちょいっと低いのだ。

 
 なんでこのネタを今更取り上げたかというと、田中秀臣氏がIRONNNAに記事を上梓されていたからだ。
 同じように教鞭をとり若いものに接する立場として、若干異なる切り口で書かれていたので、興味を持った。
 これだ。
 ↓↓↓↓↓↓
若者に変化を求めた関口宏の本心はやっぱり「安倍下ろし」だった 田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)
http://ironna.jp/article/6819?p=1
 TBS系列のテレビ番組「サンデーモーニング」で、司会の関口宏氏が11日、いまの若者世代の安倍政権への高支持率を批判的に言及した。街角での若い人たちへのインタビュー映像を交えながら、関口氏は若い世代がいまの「安定」よりも「変化」を望むべきではないか、と疑問を呈したわけである。もちろん、関口氏は若者が就職率の回復をはじめとするいまの経済的安定にひかれていることに一定の理解を示してはいるが、結局は彼の言う「変化」というのは、今の安倍政権を打倒するという「変化」でしかないのだろう。

 関口氏のこの「安定」と「変化」論は、「安倍下ろし」という結論ありきの議論であり、端的にいって政治的なものでしかない。ただ、話をこれで終わりにするのはあまりにもったいないので、もう少しこの関口氏に代表される「安定」と「変化」とはそもそも何かを経済学的な視点も交えて考えてみたい。

 結論だけ先に書くと、経済が安定的だからといって、若者の気持ちまで安定的であるわけはない。関口氏のいうように「安定をずっと安定かと思ってたら、眠りに入っちゃう」とはいえないのだ。
 むしろ経済学の研究成果では、経済が不安定なほうが、若者の心は「安定」志向になってしまうようだ。関口氏の発言は、あまりに若者の心の行方を断定し、その変化と躍動の可能性を軽視している。

 例えば、大恐慌期を経験した世代は、経験しなかった世代に比べてリスク回避的な傾向が強いという実証分析もある(ウルリケ・マルメンディア&ステファン・ネーゲル「不況ベイビー:マクロ経済の経験はリスク行動に影響するか?」)。つまり「変化」に伴うリスクを避ける傾向が、不況を経験した世代の方が強く出るというのだ。

 カリフォルニア大ロサンゼルス校経済学部准教授のパオラ・ジュリアーノと、国際通貨基金(IMF)アシスタントディレクターのアントニオ・スピリンベルゴの研究「経済危機の長期持続的な諸効果」には、さらに興味深い研究の要旨がまとめられている。たとえば、景気の良し悪しのようなマクロ経済的な環境が、若い世代に影響を及ぼすのは「人格形成期」の18歳から24歳までで、それ以降はそれほど強い影響を与えないという。

 今の安倍政権が発足したのは2012年の終わり(実際には同年の自民党総裁選で安倍氏が勝利してから株価などは大きく変化している)からであり、そのときに18歳だった人たちは23歳になっている。24歳だった人たちは30歳近い。いま現在の18歳から30歳ぐらいまでは、アベノミクスの影響下にあるのかもしれない。
 仮にこの大胆な推測が正しければ、彼らの行動は「安定」よりも「変化」を好んでいるだろう。もちろんそれは個々人の行動としてだ。私や関口氏が思いもよらない発想で、旧世代の予想を裏切る変化が生じるかもしれない。たとえば、昔ながらのリベラルや左派的なメディアに疑いの眼を抱いたりしている可能性だってある。その反対の政治勢力に対しても同様かもしれないが。

 ジュリアーノとスピリンベルゴの論説で興味深い指摘はそれだけではない。おそらく客観情勢を考えれば、いまの安倍政権の経済政策は「偶然」に生まれたものである。たまたま安倍首相が、いわゆる大胆な金融緩和政策を主軸にした経済政策(リフレ政策)を採用しただけだ。実際に自公政権、そして野党含めてリフレ政策の支持者は数人程度しかいない。いわばリフレ政策による最近の若者の雇用状況の改善は、安倍晋三氏が首相にたまたまなったという「偶然」でしかない。

 ジュリアーノとスピリンベルゴは、偶然の重みを知っている人たちが「大きな政府」を望むと指摘している。ただし彼らの定義した「大きな政府」の定義は、増税=緊縮なので、本当の「大きな政府」ではない。「大きな政府」とは、緊縮を否定し、金融緩和と財政拡大を支持する政府のことだ。この意味では、いまの日本の若い世代は、安倍政権のリフレ政策が偶然の産物にしかすぎないことを十分知っている可能性がある。

 この議論が正しいとすると、「大きな政府」を積極的に支持する気持ちは理解できる。若い世代は、この「偶然」の成果を背景にして、それを支持する一方で、自分たちは自分たちの人生の可能性を切り開いていこうとしているのかもしれない。言い方をかえれば、マクロ経済政策は最低でも現状維持、できればもっと非緊縮型(=大きな政府)を進め、そして個々人の生活はより変化を追求していくことが考えられる。

 いずれにせよ、関口氏が本心では期待しているとしか思えない、アベノミクスの否定は、日本の経済と社会を逼迫(ひっぱく)させ、政治勢力の「変化」はあってもそれは混乱だけをもたらすだろう。その政治的混乱は、経済の停滞という形で、若い世代の活躍の場と意欲をくじいていくことだけは間違いない。そのことをわれわれは老いも若きもこの「失われた20年」の体験で十分に知っているはずだ。どうも関口氏とその意見に賛同する人たちは、そのことを忘却してしまったか、違う世界線の住人なのかもしれない。

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 筆者が思うに、端的に経済安定性のみに立脚しているものではない、と推察する。
 若い世代が安定を求めているとか、変化を求めているとか、そんな単純なことでもない。
 程よい変化と程よい安定は、どの世代であろうとも、人間なら求めるものだからだ。
 アベノミクスの恩恵があったから嬉しい→支持するという単純構図で括るなら、

若い世代を軽く見過ぎな気がする。
 
 むしろ、経済の悪化で苦しんできた世代といえば今の30代だから、この世代が低支持率を弾き出すことが経済でくくれば自然な気がするのだ。
 例えば、若い頃から経済は悪く、就職から結婚に至るまで低迷する経済のアオリを食い、現在好景気になりましたと言っても、その恩恵を享受している割合はごく一部だ。
 一方、もっと若い世代だと、子供であったことで経済低迷を肌身で感じることは少なく、成長に合わせて景気が良くなっていった状態であれば、昨日より確かに前進している世の中を感じるから、経済で理不尽な思いをしていない、と言うだけにすぎない。
 すると、30代の方が、政策のアオリを食っていることになり、未だ目に見えて変わってきてない景気動向と、可処分所得の低下での軋轢を考えれば、低支持率も頷けるわけだ。
 
 筆者が接する若い世代はというと、根本的な考え方がかなり合理的だ。
 何かを教える場合でも、しっかりと理屈と必然性を説くとちゃんと憶える。
 一方で、昔みたいに頭ごなしに言っても聞かないし、不合理だったりおかしな話はしっかりと反発するとも言える。
 筆者から見ると、今の若い世代はだいぶしっかりしている印象が強い。
 
 同じようにもっと高齢の世代と話をすると、いささか辟易することの方が多い。
 だいぶ話が通じないことが多いのだ。
 単純な所感だが40歳位からだんだん??な状態の方が増え、50歳~70歳位だと首を傾げる様相の方が激増する。
 ところが、80歳代になると今の20歳前後と同じ感じの会話が成立する。
 無論、筆者が教える学生の場合、先生と学生という関係性があるから、全ての話を鵜呑みにはできない。
 しかし、会話の成立具合という点で、かなり違う感覚を持つのだ。
 不成立具合のピークが70歳前後という状況なのは、筆者の半径数m。

 当たり前だが、あらゆる世代は昔若かったはずなのだ。
 なぜか、自分らが若かった頃の調子のいい話だけ覚えていて、都合の悪い話は覚えていない。
 そして多くは自分の都合だけでものを考え、それを他者に押し付けるのを是としている。
 これでは、若い世代にNoと言われるのは当然の話だ。
 

 合理的に考えてバランスを取った時、今の政治で行われていることは最大公約数の結果だから、これを理不尽に否定しているさまを見れば、若い世代が政権を支持し年配者を否定する状況になるのは、筆者から見ると当たり前。
 公平に見ても、年配者の言っていることの方がなんかおかしいのである。
 無論、全てにおいて全員ではなく半径数mでの傾向、ということをお忘れなく。

 了

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