福島の春はまだか | ヤモリのつぶやき

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日々のニュース解説等をつぶやきます......

 先般、東日本大震災から7年が過ぎた。
 その他の震災エリアは日に日に回復をしていると言うのに、まだ春遠からじなエリアが、原発と放射能という特異な条件をもつ、福島だ。
 これらが安易に安全であるとは、いい切ることは出来ない。
 しかし、何分にも誤解が多い部分があるので、そういった事も踏まえて、再度、記事を書く。

 震災7年目を迎えた11日、少し悲しく、そして少しうれしくなるニュースがツイッターとまとめサイトを駆け巡った。
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わたしは福島の高校生です!めっちゃ暇だったら読んでほしい…⇒ 宮迫博之のRTで大拡散中の福島の真実がネットで話題に! 2018年03月13日
http://seikeidouga.blog.jp/archives/1070070460.html
@MikanPen: ?? 2018-03-11 15:40フォロー
わたしは福島の高校生です
めっちゃ暇だったら読んでほしい
#東日本大震災 #東日本大地震 #福島 pic.twitter.com/hdNKp1c5Wa

 
 

@MikanPen: ?? 2018-03-11 23:07フォロー
温かいお言葉有難うございます。
まるで私が福島の、被災地の代表であるかのような発言に見えてしまったこと、私の意見がうまく伝わらない部分があったこと、申し訳ないと思っています。
それでも、少しでも福島が元気であることが伝わったのならば本望です。
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@MikanPen: ?? 2018-03-11 23:10フォロー
予想を超える反応の大きさにiPhoneとわたしの読解力が追いついていないため個々の返信等遅くなります。
申し訳ありません。
一旦この場を借りてお礼のみ申し上げさせていただきます。
本当に有難うございます。
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@MikanPen: ?? 2018-03-11 23:15フォロー
また、合わせてこのツイートをRTして多くの方に拡散してくださった雨上がり決死隊 宮迫さん(@motohage )にも御礼申し上げます。
有難うございます。
たくさんの方にこのツイートを見ていただけました。
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一部抜粋
@opabinia_Taiyoh: オパビニア 2018-03-11 19:35フォロー
@RadiPita 言いたいことはわかります。でもメディアが少し大々的に取り上げてくれないと、いつか震災についての記憶や悲劇は人々から忘れ去られてしまいます。それが一番最悪です。何気ない一日であり、震災があったということをいつもより意識する日でもあるというのが自分の意見です。
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@aynyh2227: ?? 2018-03-11 21:20フォロー
@opabinia_Taiyoh @RadiPita 取り上げてくれるのはとても有り難いですが取り上げ方が現地の人の思いとズレてるんですよね。特別な日にして「忘れないで」と報道することは間違っていませんが、いつも取り上げられるのは海沿いの工事してる場所と避難所だけ。「まだ被災地はこんな状態なのか」と勘違いされたくないんですよ。
@Dfkc69Y: マダコ! 2018-03-11 16:55フォロー
@RadiPita 自分も黙祷だけをしていいことをした気になっていました。

しかも、自分は現地の方々の生の声ではなくメディアからの声を聞き
大変な日々を過ごされていたんだなと思っていただけでした。

これからも、『普通』の日々を過ごされることをお祈り申し上げます。

長々と失礼しました。
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@cloetty_: 瀬道くろえ/金欠マン 2018-03-11 19:38フォロー
@RadiPita こんばんは!私は19歳くらいから22歳まで、除染の仕事をしてました??!
当時からずーっと福島のご飯食べて来たけど、美味しすぎて周りに勧めまくってます!
嬉しいことにファンも増えてます????
郡山、吾妻、飯野の事しか知らないけど、良いところだからホントみんな遊びに行って欲しい!
@schwkatz: くろ☆ねこ 2018-03-11 17:28フォロー
@RadiPita
(=^・ω・^=)???
先日、福島県のお米を買って来たので、食べています。もちもちして美味しくお米です。
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@schwkatz: くろ☆ねこ 2018-03-11 18:38フォロー
@kotetsu245 @RadiPita
(=^・ω・^=)???
うちも、今は福島県のお米メインです。ただ、扱っているところが余り無い(場所柄か新潟県のが多い)ので、また見かけたら買いたいと思います。
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@nerpea: ニーレプカ 2018-03-11 16:29フォロー
@RadiPita フォローさせていただきます!3.11を私は、台湾におり中国語で流れるニュースに津波の映像は今も忘れられません。いつ起こるかわからない災害に、僅ながらの支援(福島県産の食品を買う)などさせて戴いてます。被災した人たちの支援になればと、微力ながら尽力しています!
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--------以下ソース 

 宮迫氏がばらまいたのか~と今知った。
 やるな!すばらしい!!
 
 震災や大災害と言うと、命の問題もある上に、生き延びても家が無くなってしまったり仕事が滞ったりと、生活のすべてが変わってしまう。
 全ての被災地のみなさんに、心よりお見舞い申し上げたい次第だ。

 
 福島の場合は、これにプラスして原発の問題がのしかかる。
 半端ない弱り目に祟り目なのだ。
 それ故、7年経っても尚、被災に苦しむ方々が沢山いらっしゃるということなのだ。

 一方、高校生が発言されているように、エリアによっては普通の生活は取り戻している所もある。
 普通でないのは仕事、農業などが主体だとそれらが一切元に戻っていないという歴然たる事実があるわけだ。
 一部の心ない人は、原発受け入れたのが悪いと言うのだが、これも事実誤認。
 原発を受け入れた自治体の場合は、未だに立入禁止エリア。
 しかも、安全だ言われて受け入れ、津波原因の被害だから、同情を禁じ得ない。
 ↓↓↓↓↓↓
福島復興ステーションホーム > 避難区域の状況・被災者支援 > 避難指示区域の状況
http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list271-840.html
 

 そして、筆者が何より「誤解」と思うのは、

 福島という県の大きさをみなさん知らない点。
 それで危険区域と遠く離れて全く関係ない地域を分別しないで危ないと思いこんでいる方が多すぎるのだ。
 関東あたりの人ですら誤解するという謎の事態だ。

 まず、グーグルマップで同じ縮尺で福島県とその他のエリアのマップを拾ってみた。

 エリアのチョイスに他意はない。わかりやすそう?と思って選んだだけだ。

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 福島県が相当でかいのがわかるはずだ。
 なにせ、これだ。
 ↓↓↓↓↓↓↓
都道府県虎の巻 都道府県 面積ランキング
http://prefecture.gontawan.com/ranking_area.html
順位    都道府県    面積(km2)
1    北海道    83,456.20
2    岩手県    15,278.77
3    福島県    13,782.75 
←ココ
4    長野県    13,562.23
5    新潟県    12,583.46
6    秋田県    11,612.22
7    岐阜県    10,621.17
8    青森県    9,607.04
・・・間はソースで見てね・・
40    奈良県    3,691.09
41    鳥取県    3,507.26
42    佐賀県    2,439.58
43    神奈川県    2,415.84
44    沖縄県    2,275.28
45    東京都    2,187.42
46    大阪府    1,896.83
47    香川県    1,876.47

--------
 福島は長野県よりデカイのだ。
 WEBブラウザでタブをいくつか作って、いくつかのエリアを同じ倍率で表示し、見比べてみると一目瞭然、自分が距離感を持つエリアでも比べてみるといい。
 同縮尺で定規を当てて直線距離を測って比べて見るだけでも、即分かる。

 そして、さっきの避難区域の地図と、グーグルマップの地図を重ねてみた。
 ↓↓↓↓↓↓↓
 
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 さすがに、帰宅困難なエリアならば、そこで農業というのも厳しいのは解る。
 余裕見て、広めのエリアで見たところで、福島県の1/6にも満たない程度なのだ。

 さらに航空写真で見ていただくとわかりやすいが、青い筋の東北新幹線の通っているところが細い平地で、山を超えて海岸線という地理条件になる。
 したがって、郡山あたりから言えば、原発がある海岸線は山を超えた向こう。

 


 
 しかも猪苗代や会津若松、もう少し内陸部からしてみれば同じ福島県だが、ものすごく離れている。
 福島原発から会津若松までの距離で比較しても、埼玉北部から神奈川とか、大阪から和歌山南部/白浜あたり、四日市と大阪とか位の距離なのだ。

 そのぐらい離れていて、間に山を挟んでいるとすると、感覚的にわかるはずだ。
 実際に車で走ると、栃木を超えたあたりから東北な感じになるが、福島と岩手がデカイので、盛岡までがものすごく遠い。

 この距離感覚や山を超えてというのをまるっと無視して、

 「福島県産」と言うだけで全部却下するのは、かなり馬鹿げた行為であることが解るはずだ。
 この齟齬は、風評被害はあるのに実害は少ないから生活は普通という状態を生み出し、

 働けども農作物は売れないという悲惨な状態になるのだ。 

 危険なエリアではそもそも立ち入りも出来ないから農作物も作ってない。

 誤解なきように、一応、宣言しておくと、筆者は本籍が東京、埼玉で育ち千葉でも生活経験がある。
 したがって、福島県には何ら縁がなく、ポジショントークで説明しているわけではない。
 正しい理解で正しい対応を促すためだと、素直にご理解いただきたい。
 筆者ブログの読者さんであれば、何度となく福島県産のアピールをしているので、ご存知かと思う。
 震災以降、お米等々の福島県産を、ご紹介している事実で筆者はお安い価格でかなり美味しいものを食べている。
 スーパーでも取り寄せや通販でも、A級品が風評被害で激安・激ウマなのだ。
 貧乏な筆者には、本当にありがたいし助かってる。
 ただ、それが風評被害によるものであるというのが、大変、気に病むところなのだ。
 ↓↓↓↓↓
 福島の特産品
http://welcome-fukushima.com/tokusan/index.php
 水・食品等の放射性物質検査
http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list280.html

 例えばかなり距離が離れている会津若松。
 ↓↓↓↓↓↓
 会津若松市
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E8%8B%A5%E6%9D%BE%E5%B8%82#%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%BE%E3%81%A7
 松平容保公や白虎隊で有名だ。
 大河ドラマにもなったんだっけ?
 その北方にあるのが喜多方。
 喜多方ラーメンで有名だ。
 猪苗代と磐梯山もかなりおすすめだ。
 何度も行ったが、落ち着いた風情がたまらないエリアだ。

 重ねていうが、危険エリアまで全てとは言わないし、無理して食えとも言わない。
せめて正しく理解して、大丈夫なエリアの被害はなくしてほしいのだ。
 考えても見て欲しい。
 同じ県内だと言うだけでかなり離れた問題ないエリアが全部ダメ、そのせいで廃業とか理不尽すぎるし、そうなった場合のケアはただの廃業で国からもサポートは出ないのだ。
 さらに放射能チェックもしてるし、管理もしているはずだ。
 被害者が貴方だったら?貴方の家族親族だったら?どうなんだろうか。


 責任者出てこい!と糾弾しても、

 問題は一切変わらないし減らない。
 我々が正しく理解した正しい対応をするか、

 全てを忘れ去ってしまうまで、何も変わらない。
 逆に言えば、
我々の努力でフォローできる問題なのだ。
 
 なお、最後にアカヒ系のGJ記事を引用する。

 立入禁止エリアだった所の過酷なお話だ。
 ↓↓↓↓↓↓↓
福島に残り、動物たちを世話し続ける男 背負った「十字架」 3/17(土)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180317-00010000-sippo-life&p=1
 生い茂る木々に囲まれた山里の一角で、不意に動物たちの気配が濃くなった。
 福島県富岡町。東京電力福島第一原発から12キロの町に2月19日、山口県光市の写真家・那須圭子(57)と友人の葛西敦子(56)=東京都=が訪れた。原発事故で立ち入り禁止になった地に一人残り、動物たちの世話を続ける男に会いに。
 日付が変わる頃、作業服を着た男が帰ってきた。松村直登(58)。那須たちと酒を飲みながら、これまでの日々を振り返った。
空腹の犬が集まり
 震災当時、鉄筋工事の会社を営み、両親と暮らしていた。7年前の3月11日午後、ものすごい揺れに襲われた。だが、母は足腰が悪く、動くに動けない。その翌日の午後、今度は「ドドーン」という音が腹に響いた。原発で起きた水素爆発の音だった。
 さすがに避難しようとしたが、親戚の家や避難所に居場所は見つからず、やむなく自宅に戻った。数日後、近所を歩いていると、顔見知りの犬の鳴き声を聞いた。飼い主が避難する中、取り残されて、腹をすかせていた。餌をやると、またその先にも空腹の犬……。繰り返すうちに、動物たちを放っておけなくなった。
 1カ月ほどして、両親は静岡の姉のもとへ避難したが、松村は残った。動物たちを残して、飢え死にさせることはできなかった。避難指示に従うよう、説得もされた。「動物たちを何とかする方法を考えろ」というと、皆、黙り込んだ。
 電気は止まり、夜になると明かりはロウソクだけ。山菜を採り、川で鮎(あゆ)を釣って食べた。話し相手もいない孤独の中、松村は犬たちと約束した。「餌は俺が何とかしてやるから」
 犬、猫、牛、ポニーと、世話する動物は次第に増えた。外国のメディアがその姿を報じ、松村のことが伝わっていった。那須はインターネットで松村のことを知った。話を聞きたくて、2014年5月、葛西と共に松村を訪ねた。それから数カ月に1度ずつ、足を運ぶ。
 翌日、松村は2人を連れて外出した。牛に草をやるためだ。ほぼ毎日、家の近くの牧場など3カ所で牛を世話する。大量の草を運び、下ろす。草をやり終えると、車である場所へ向かった。
 柱と柵が立ち並んだ建物。そこは、かつて牛舎だった。震災で所有者が避難し、120頭ほどの牛が舎につながれたまま餓死した。舎の中にはほんの1年前まで、白骨化した死体が連なっていたという。那須は幾度もこの牛舎に赴き、無言の骨に向かって謝った。ごめんね、人間って愚かだね。

 

女の子から受け取った「十字架」
 その日の夜、松村は押し入れから手提げ袋を二つ取り出した。中が詰まり、ずしりと重い。「これは、俺の十字架なんだ」
 5年ほど前、横須賀駅(神奈川県)の近くで募金活動をした。動物たちの餌代を得るためだ。小さな女の子がお金を入れた。これで牛さんを助けて。その声を聞いたとき、松村は「もう俺はダメだ」と思った。何て重いものを背負ったのだ、と。そうした思いが詰まった募金が松村の「十字架」になっている。
 松村は動物愛護者ではない。放射性物質で体がどうなるかも分からない。それでも動物を世話するのは、自分も動物も「同じ生命、同じ境遇」だからだ。
 町は17年4月、一部を除き、避難指示が解除された。戻ってきた人はごくわずかだ。7年間、歯を食いしばってきた松村の覚悟は揺るがない。「俺はここで生きる。ここで戦う。それが俺の使命なんだ」(敬称略)

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 避難指示は解除されても、農業どころではないのだ。
 7年経ってもなお、直接被災エリアも、間接被災エリアも苦しんでいる。
 被災から7年も経つと人々の記憶も薄れ、忘れ去られていく。

 年に一度、報道で思い出す程度になる。

 しかし確実に存在し、今なお過酷な生活をしている。
 せめてお金があればと賠償金や補助金でケアすれば、

 焼け太りと批判を浴び、

 集まった義援金は使途不明で渡ったかすら分からない。
 遠く離れたエリアは同じ県と言うだけで、頑張って作った恵みを受け入れてもらえない。
 理不尽すぎる話じゃないのかと、今一度問いかけたい。

 忘れ去られそうな今だからこそ、なにかできるんじゃないのだろうか?
 米でも桃でも、食い物が嫌なら工芸品でも、買うだけでもいいんだぜ?
 無理はせずとも、できることをちょっとでも協力する人間に、俺はなりたい。
 福島に本当の春の風を送るのは、

 我々だと知るべし。

 了

ガンバレ!日本!!
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