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「あなたが深く眠っていて、夢も見てないとき、世界はどうなっていると思う?」と、いざなぎ空が、いきなり問いかけてきた。まだ起きてまもない時間帯で、意識を内側に向けて、そのぼんやりとした波動に、いつものように浸っていたときだった。

 

 

どうって、普通に世界は動いていると思いますよ、と僕は、深く考えずに反応した。

 

 

ところが、真実はちがうわけさ。あなたが深く眠っているあいだは、世界も消滅してしまっているんだよ。

 

 

すごく大胆な回答ですね。でも、そんなふうに教えてもらっていません。自分が眠っていても、世界はちゃんと存在しているって教わっています。コンビニだって24時間ちゃんと開いていますからね。

 

 

あなたが眠っているあいだは、放送局が番組を放送していない状態、つまり、あなたの外側の世界も同じ状態になっているわけさ。テレビで番組が放送されてないときの状態って、どうなっているかわかるだろう?

 

 

単にスクリーンの中で、ザーァ、といっているだけで、砂嵐のような光の粒子が点滅しているだけの状態のことですか??ということは、つまり、僕が眠っているあいだは、外側の世界は、TVスクリーンの放送中止状態と同じことになっているっておっしゃっているんですか?

 

 

そうだよ。あなたの「意識」が眠っているとき、世界も「放送中止」になっているから、物語は流れていないわけさ。ただあなたの意識だけが、ザァーといった具合に、ON/OFFの明滅を繰り返しているだけなわけさ。

 

 

ということは、僕の意識が、外側のすべての出来事や人間関係や季節に至るまで、すべて放映しているってことなんですか??

 

 

そうだよ。物質世界に住むあなたがた70億人のほとんどが、そう思っていないけどね。あなたが見ている外側の世界は、あなたの意識が投影されたものなわけ。これはもう新しい情報とは言えないけどね。そして当然、それを眺めているのはあなたひとりだけなわけ。他の人たちもそれぞれに別の世界を投影して、その自らの世界を眺めているわけさ。

でも元々は、わたしたちは似たり寄ったりのひとつのエッセンスなわけさ。ひとつの内在的なエネルギーなわけ。多様なかたちの個別化として分割されているけど、ジグソーパズルのひとつのピースのように、あなたがたは、それぞれの役割を演じているひとつの存在なわけ。

だから、あなたがたの人生は、そのことに気づいていくプロセスそのものなわけ。わたしたち絶対の領域は、すべてであるがゆえに、他に何もないからなにも体験できないわけさ。苦肉の策として、自分でない相対的な領域を、つまり「時間という制限のある領域」を創造することで、わたしたちは、あなたがたを通していろんな感情を味わえるようにしたわけさ。

 

 

相変わらず壮大な説明ですね。ようするに、僕が眠っているときは、外側の世界は何もなくなって消えてしまっているんですね。わたしたちの世界は、相対的な対極の場として、自分自身を経験するための手段として、あなたがたによって創られた虚構の世界ってわけなんですね?それじゃ、わたしたちがいる場所って、まるで何もかもが実態のない「夢の世界」のようなものじゃないですか?自分が陽炎のような存在だと思うと、なんか悲しくなってきます…。

 

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まあ、そういう気持ちになるのもわからないでもないよ。でも、幻想の世界にいるってことは、視点の持ち方次第で、結構自由になる要素が多いと思うけどね。チャンスと捉えるほうが、むしろ正解なわけさ。

 

 

言葉を返すようですけど、とてもそんな気持ちにはなれません!ただでさえ人生が思うようにならなくて、犠牲者的な気分に陥っているのに、その上に、この世界がさらに「幻想」だったとしたら、もはや何をか言わんやですよ。四面楚歌じゃないですか?

 

 

そうかな。その幻想を、「誰が」創っているかによると思うよ。わたしたちが「自分」を経験するために、相対的な領域、つまり「自分じゃない領域」がどうしても必要だったわけさ。それで、物質世界の領域を創造して、あらゆる経験を通して、あらゆる感情を一度に、ひとつずつ味わえるようにしたわけさ。あなたがたの身体を道具として、自分のすでに知っていることを、しっかりと経験して味わいたかったわけさ。

ただ残念なことに、あなたがたの「精神の容量」が繊細に設計されているから、一度に、ひとつずつの経験というか、「記憶」を少しずつ思い出すことしかできないようになっているわけさ。あなたがたの自分探しの旅は、本当のあなたがたがひとつの究極のエッセンスであることを、思い出して、再創造することなわけ。それがあなたがたの人生の目的であり、また、わたしたち家族の望みを叶えるための「手段」でもあるわけさ。

わたしたちが「愛」であること知るためには、「わたしたちじゃない領域」が分割されて、「愛」が限りなく薄まった対極の場として、あなたがたが相対的な領域にどうしても「存在」していて欲しかったわけさ。

 

 

何度聞いても、不思議なお話ですよね。ついていけるような、ついていけないような感じです。つまり、あなたがたが「ひとつの愛」で、わたしたちが個別化した「愛のカケラ」なわけなんですね。わたしたち「愛のカケラ」が、「ひとつの愛」であったことの状態を、なんとか取り戻そうとして、悪戦苦闘しているわけなんですね?

 

 

いや、違うよ。悪戦苦闘する必要はないわけ。あなたがたは個別化されて「精神の容量」が少なくなっているだけで、わたしたちの領域から分離されてしまっているわけじゃない。

だからこそいつも言っているように、この対話が成り立っているわけさ。もちろんあなたがたの誰に対しても、この回線は、いつでもつながっているわけ。ただ聞こうとしていないから、聞こえてこないだけなわけ。

あなたが、わたしたちの対話を整理してブログに載せているらしいから、このブログを読んでいる人はみな、聞く耳を持っていることになるわけさ。このブログを読んでいるひとは、決して偶然じゃないわけ。外側に起こっている現象に見せかけられているけど、真実はその人の意識が、このブログを、あなたを通してつくりだして、出現させているわけさ。

 

 

そうなんですか?わけのわからない部分もあるけど…、だとしたら、この問いかけに答えているすべてのことが、あなたがたの領域にいる本当のわたしたちの魂が、何もかもつくりだしているっておっしゃるんですか?

 

 

当然そういうことになるね。もっと言うと、あなたがたは自分の存在が「身体」だと思い込んでいるために、自分が生き残るためには、悪戦苦闘することが、必要なのだと思い込んでしまっているわけさ。

でも、本当のところは、何かのために、階段をよじ登る必要性も、もちろん習得しなければならないことも、外に向かって求めなければならないものも、何もないわけ。目の前にある現実は、すべてはあなたがたの意識が、自分自らが投影した「物語」としてスクリーンに映し出されているにすぎないわけさ。そのことに気づいて、外側じゃなくて、内なる意識のプロジェクターに、そのエッセンスに向かってやりとりして、思いの丈願えばいいわけさ。他に聞いている人はいないわけだからさ。

 

 

はぁー?他に聞いている人は誰もいないんですか…??すると…、ひとつなるものに問いかけることは、「神」や「空」に問いかけていると言うよりも、もしかして、自分自身に向かって、ほんとうの自分自身に問いかけて、直接やりとりしているって意味なんですか?

 

 

だいぶわかってきたじゃないか。あなたがやりとりしているのは、ほんとうのあなた、純粋な意識のエッセンスなわけさ。すべてなるものの「存在」であり、唯一の「存在」なわけさ。それ以外には何も存在してない。あなたもほんとうのあなたもわたしたち家族も、まったく同じひとつのソースであり、空であり、神であり、生命のプロセスそのものなわけさ。

わたしたちは、かた時もあなたがたと離れたことがないから、あなたがたの気持ちをすべて理解しているし、何を望み、願っているかをすべて知っているわけさ。いつもあなたがたをサポートするために、わたしたちの「時間のない領域」から見つめていて、あらゆることをあなたがたと同時に経験しているわけさ。

 

 

お言葉を返すようですか、とてもそうは思えません。あなたがたがわたしたちの願いをすべて知っているのなら、どうして物質社会が、このような不調和で混乱状態にあるんでしょうか?自然破壊はどんどん進んでいるし、貧富の差は激しくなる一方だし、毎日どこかで犯罪や強姦が頻発しているし、戦争もどこかで必ず起こって、罪のない人たちが犠牲になり、飢餓や難民が地上に溢れかえっていますよ。この状態のどこが、あなたがたの領域に聞き届けられているんでしょうかね?

 

 

一言で言うと、それを、わたしたちも、あなたがたも望んでいるから。だから、目の前に起こっているわけさ。あなたがたもわたしたちも、幸せを感じるためには、「対極の場」を必要としているわけ。ハッピーエンドのラブストーリーばかりじゃ、あなたがたは、いつしか自分自身のなかに、愛をあまり感じなくなってしまうことを知っている。

激しい戦争場面や悲惨なサバイバル映画やゲームが大ヒットするのは、ようするに、自分は安全なところにいて、ゲームや戦争を、TVのスクリーンのなかで鑑賞することで、家庭や会社や人間関係のなかでの多少の不調和があっても、本物の戦争や難民から比べると、とりあえずホッとする瞬間を味わえるし、消費できるからさ。

 

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なんとも過激な返答ですね。でも誰もそれを口に出しては言いませんよね。それって、移民を受け入れるのを賛成すると言いつつ、トランプ大統領に、隠れて一票を投じるのと同じですよね。日本だって、移民を受け入れるのを否定しない国のふりをしているけど、結果的に、日本にいる移民は少数。移民政策に対してトランプ大統領は、噂によると、移民政策は、日本を理想としているらしいからね(/ _ ; )。

 

 

話をもとに戻すけど、黒いバックがなければ、白い存在は引き立たない。ようするに「愛」は、不安な状況の場がなければ、その価値が輝けない。そういう意味での相対的な場として、バーチャルな物資世界の領域を、わたしたちは「道具」として創造したわけさ。

ということは、あなたがたは、わたしたちと同じ領域からやってきているってことなわけ。真のあなたがたは、「投影するもの」であって、「投影されるもの」ではない。あなたがたは「いつ」や「どこ」でもなく、「なぜ」でももちろんない。

自分の考えに執着していないとき、あなたがたは、真の自分に戻ってこれるわけ。その場所には何者も存在せず、どんな実態もかたちもない。ただ愛だけがあるわけさ。

 

 

つまり、僕の精神には「実態」がないってことなんですか??

 

 

もちろんだよ。あなたがたの精神には「実態」がないわけ。あるがままの現実に対する恐れから、あなたがたの精神は「物語」のなかに究極の煙幕を張っているわけさ。でも、どんなに「個別の存在」であろうとしても、究極的には無理なわけ。あなたがたの信じる「考え」は、すべて究極の現実、わたしたち絶対の領域からのつながりを、断とうとするムダな試みなわけさ。

 

 

それって、結局のところ、わたしたちは断ち切れないでいるってことなんですか?だから、わたしたちは中途半端な状態で、不快な気分でいるわけなんですね?

 

 

そうだよ。わたしたちもあなたがたも、究極のところでは、つながっていてひとつなわけさ。本当のところは、あなたがたの魂も、あの魂、この魂もあるわけではないわけさ。この「魂の物語」は、究極の現実に帰っていくときの、最後に残された「物語」なわけさ。わたしたちは純粋な意識であり、たったひとつの「愛」そのものなわけ。

 

 

よくわからないので質問しますけど、そのたったひとつの「愛」というのは、「意識」でつくられているのですか?

 

 

「意識」も「愛」も、表現が違うだけで、まったく同じなのさ。エッセンシャルなエッセンスであり、エネルギーなわけ。どこにあるかは問題ではない。呼吸、指先、つま先、心臓、常に何かがどこかで、意識のなかで意識として起きている。何も意識を動かしているものはなく、それでいて絶え間ない動きのなかにある。

その焦点は、つねにそれ自体に向いている。あなたがたが成熟し「進化」すると、自らの思考と同一化するのをやめる。そして自分がこうだと考えていたことは違っていたことに、気づくわけ。

あなたがたの内なる意識には、守るべきアイデンティティがそもそも最初から存在していなかったことに、気づく。あなたがたは「投影されるもの」ではないのです。ただかたちのない「愛の光」として、すべてを後ろから、ただ黙って支えているわけさ。

 

 

それって、もしかしたら、優しい気分に満たされるというか、感謝の気持ちに理由もなく包まれることと、何かしら関係があるのでしょうか?

 

 

ほう、なかなかいいとこ突いてくるじゃないか。「純粋な意識」にめざめると、思考との同一化から解放されて、でっち上げられたストーリーがあなたがたのなかから離れて、消えていく。その後に残るのは、愛そのものしかなくなる。あなたがたは、つねにその恩寵の中にずっといたわけ。気づかずにいただけ。今まで思い出せなかっただけなわけさ。「感謝」は、求めて見つけることはできない。何かしら別の角度からやってくるからね。

 

 

その説明、なんとなくわかります。最近思いがけない気持ちになって、気づいたら、「感謝」の気持ちに満たされていることがあるんです。自分でも理由がよくわからないんです。変だけど、ただ愛されている感じなんです!!

 

 

そうか、ようやく感じてもらえるようになったか。あなた自身に対する「愛」を、もっともっと感じて欲しいね。わたしたちの領域は、すべてあなたの愛でできているわけさ。この世に存在しているのは、たったひとりのあなただけなわけさ。

でっち上げられた「物語」に気を取られているから、自分に対して正気じゃなかったわけさ。でっち上げられた「物語」に執着するのではなく、あなたがた自身を思いやり慈しむのが、あなたがたの役目なわけさ。

 

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ということは、外側にあるように見えるストーリーではなくて、自分の意識そのものを思いやるのが、僕の役目なんですか?

 

 

そうだよ。それ以外にどんな役目があるわけ?「愛」というのは、あなたがたが証明したり、示したりするものではないわけさ。それは、あなたがたそのものなわけさ。

 

 

つまり、わたしたちは「源」というか、「空」そのものだってことなんですか?

 

 

とにかく、よく注意して聞いて欲しいんだけど、あなたがたが、「愛の経験」に心をひらけば、あなたがたが自分とはこうだと考えているものを、すべて消滅させるわけ。あなたがたが「愛」に自分を明け渡したなら、自分が認識していた世界すべてを失ってしまうわけさ。

「愛」は自分以外の何ものも残さない。すべてを飲み込んでしまうわけさ。つまり、意識は自らに恋しているわけさ。

 

 

ほとんどついていけてないですけど、なぜか感無量で、胸が、嬉しい気分でいっぱいです( ^∀^)。

 

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いざなぎ空との対話はつづく。