ディスコとクラブ、どちらも余り縁がない筆者だが1週間の間を置いて連続してその手の現場を訪れることになった。方や「GIGADISCO」と称するディスコビートが鳴り響くイベント、方や暗黒ヒップホップレーベルBLACK SMOKERB主催クラブイベント、その両方に出演したのが灰野敬二という合縁奇縁の二日間であった。
ディスコ(のようなもの)を初めて体験したのは高校2年生の学園祭だった。クラスの出し物がディスコだった。教室を暗くして蛍光灯に色セロファンを貼り、壁にスライドを投射して音楽を流していたらしい。というのも筆者はブラバンとパンクバンドで忙しく教室にはほとんど寄り付かなかったから何をしていたのか知らないのである。しかも初日に自分のバンドのライヴを終えてヘトヘトになって着替えようと暗い教室に入った時に電気のコードを足に引っ掛けてスライド映写機をぶっ壊してしまった。翌日自宅にあった映写機を持っていたが電球が切れていて使えなかったと記憶している。クラスの出し物を台無しにして申し訳ない気持ちがした。
大学に入ってから初めて本物のディスコへ行った。新宿か六本木だった。エイドリアン・ブリューを真似てブカブカのスーツを着ていったが周りの金持ちそうな連中には勝てるはずもなかった。ディスコミュージックに混じってニューウェイヴ系の曲もかかり、特にファンカラティーナ(ヘアカット100やブルーロンド・アラ・ターク)が流れると昂奮した。見よう見まねのダンスは端から見たら無様以外の何者でもなかっただろう。見栄を張ってフリードリンクの安物ウヰスキーを飲み過ぎてトイレで吐くのが常だった。とは言っても大学4年間にディスコへ行った回数は片手程度だったと思う。
就職して90年代にはクラブが流行り始めたが、ラップやヒップホップ系のクラブにはまったく興味がなかった。とにかくレコードを乱雑に扱うDJに我慢がならなかった。一方でジャズやボサノヴァやソフトロックやUKロックをかけるクラブも現れ、自分の好みにあう筈だがイマイチ入り込めなかった。レコードは自分の部屋で1対1で対峙するのが好きだった。筆者にとってサイケやフリージャズを聴きながら落ち着いて一服する歓びは他人と分かち合うものではなかった。だからレコード屋やロックバーの常連になることも無かった。モダーンミュージックではカウンターに集う常連の話が途切れた隙を見計らって会計をする一見の客で通した。
90年代半ばブリットポップが出てきた頃訪れた渋谷のDJバーEdgeEndで時々DJの真似事をするようになった。そのうちEdgeEnd主催のDJイベントにも出演するようになった。誰も知らないサイケやインディロックばかりかけるのでダンスフロアは白けたが、時々一部の客が熱狂的に盛り上がってくれることがあって嬉しかった。しかしブリットポップブームが過ぎるとEdgeEndに行く回数が減りDJをする機会もなくなった。2000年代に入って不失者を観たことをきっかけに再び地下音楽の世界に潜行することになった。
それから十数年経って『盤魔殿』イベントを渋谷EdgeEndで開催している今、好きな音楽を他の人に聴かせられる歓びは、バンドをやる以上に満足を得られる気がする。またその場で新たな出会いが生まれる創造性の連鎖は、ディスコやクラブと同じく音楽によるコミュニケーション/エンターテインメントの素晴らしさの体験に他ならない。その想いは二つのイベントを体験することでより深く心に刻み込まれた。
1月28日(日) 東京・秋葉原Club Goodman
GIGADISCO!
Open 12:30 / Start 13:00
Adv. ¥3,000 / Day ¥3,300 (+1d)
出演:灰野敬二 / 七尾旅人 / テンテンコ / 美川俊治 / 吉田達也 / 天鼓 / 河端一 / Li2MIHOLiC / 妖精マリチェル / isshee / 齋藤久師 / 花園ディスタンス / dj.sniff / BONSTAR / HATAKEN / 遊神 /ニーハオ! / HIKARI / galcid+Machina / 沼田順 / DJ.MEMAI / 飯田華子 / ドラびでお
1月28日に因んでBPM128の四つ打ちバスドラがなり続ける中23組のノイズ/エレクトロニクス/アヴァンギャルド/即興/その他の地下音楽系アーティストが9時間に亘って演奏を繰り広げる過酷なイベント。演奏するミュージシャン以上に観客にとって過酷極まりないことは数10分会場内で演奏を観ていればよく分かる。耳を塞いでも身体に侵入するバスドラの打音が否応なしに心臓の鼓動と呼吸をシンクロさせようと襲いかかるのだ。各ミュージシャンの演奏は多少の気晴らしになる(失礼)が、会場内にいる者は恐らく多かれ少なかれ船酔いに似た症状を発症するに違いない。並行感覚が失われ時間の感覚もおかしくなる。ディスコとはこれほど過酷な四つ打ちサウナであったのか。目から鱗ならぬ耳から鉛状態でライヴを観た。持参したMIDI音源のスピードを片手で調整しながら変拍子ドラムをキメる吉田達也、ビートを無視するようにノイズを巻き散らす河端一や美川俊治、ビートに乗ったまま自分の歌をうたう天鼓や七尾旅人、ビートがあろうがなかろうが我関せずのドラ美保とテンテンコ、それぞれ苦闘しつつ楽しんだ様子であった。灰野敬二は爆音ギターでビートを掻き消す反則業に出たが、ステージ上はわからないがPAから流れ出す四つ打ちは揺るがなかった。最後はビリー・ホリデイの「暗い日曜日」を英語で歌って終了。エンディングのリズムマシンのスイッチを止める儀式に歓声が上がった。
2月4日(日) 東京・中野heavysick ZERO
BLACK SMOKER RECORDS PRESENTS
「マヒトゥ・ザ・ピ---ZZZ / My Final Fantacy Release Party!!!」
OPEN&START/19:00 CLOSE/23:00
DOOR:3000YEN(1D別) ADV:2200YEN(1D別)
■LIVE:灰野敬二×KILLER-BONG/Phew/マヒトゥ・ザ・ピ---ZZZ×Ultrafog
■VJ:ROKAPENIS ■DJ:Sports-koide (SLOWMOTION / MSJ)/Ginji (LIFE FORCE /MIXER)/DJ SOYBEANS (Isn’t It?/ Jack You)/Zooey Loomer 1979 (BLUE)
灰野はBlack Smoker RecordsからミックスCDをリリースしており、KILLER-BONGとはライヴで共演したこともある。昨年久々にレーベル主催イベントで渋谷ContactでMerzbowとコラボしたのも記憶に新しい。この日はGEZANのマヒト・ザ・ピーポーのソロユニットと新作『VOICE HARDCORE』が高評価を受けるPHEWと共に灰野とKILLER-BONGの久々のコラボライヴ。ライヴアクトはクラブ系ではないが、満員の観客にはBlack Smoker系のクラバー風が多い。B2のDJフロアは早い時間から馴染みの客のパーティ会場の用な賑やかな雰囲気。ライヴスペースはかなり狭くスタンディングでギュウギュウなのでかなり過酷なライヴであった。ヴォイスを素材にエレクトロニクスでメタモルフォーゼさせるPHEWのエクスペリメンタルなステージ、マヒトはエレキギターの弾き語りをPCでエフェクトさせて空間を拡張するようなスケールの大きな演奏。灰野のポリゴノーラのアコースティックな演奏で始まったコラボはKILLER-BONGと低音サンプラーと言葉のラップ、灰野のシンセやドラムマシーンの鬩ぎあいの中から別の歌や詩情が聴こえてくる音の饗宴となった。とにかく音圧が凄くて精神が吹き飛びそう。轟音の中でジミ・ヘンドリックス『今日を生きられない(I Don′t Live Today)』を歌った。最終的には二人の歌と言葉の交わりこそコラボの真髄であることが明らかになった。
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