自分は鬱ではない、と思っている。
強迫性障害がきっかけとなり、うつを併発する事例がかなりあると聞いた。
実際のところ、鬱症状が出ているかどうかはなんともわからないのだが、
自分の中では自分は鬱といわれるとしっくりこない感覚を持っている。

なぜか。

鬱というと、何事もやる気が起きなくなり、動きたくけても動けなくなると聞く。
自分の場合は、そういうことではまったくないのだ。
やる気は寧ろ有り余るくらいなのであるが、そのエネルギーが純粋にそのやりたい対象に向かうのではなく、
無意識の奥底から沸き起こる不思議な作用によって、
どこか別の対象(今回の場合は強迫対象)に向かっているということなのである。
そういう実感を持っている。
なので、エネルギーそのものが枯渇している気がする鬱、というイメージとは重ならない部分がある。
いや、もしかすると、鬱症状がまさにこのような状態をいうのかもしれないからなんともいえないが。

毒蛇がまさに自分の毒で体を蝕まれるかのよう、
ヤマアラシが自らの鋭い針によって、自分を傷つけるかのごとく、そんな感じだ。
本来河豚は自分の毒で死なないように、自然に任せればうなくエネルギーが使われるのだろう。
特段、なにか苦労して身に着けることではないようだが、
思考の癖によって、何か自然ではない働きが起こるようになり、
人間本来の作用が妨げられている感じがする。
無意識の働きに委ねることができず、意識できること以外に対しての信頼が揺らいでいる。
このことに起因する状況なのであろう、となんとなくは想像ができている。

当然ながら無視息については意識によってコントロールすることはできない。
このコントロールすることが本来できないことに対して、支配しようとしている。
しかしながら、全幅の信頼をおいて、全てを任せることができないでいる。

どうしたものか。


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