信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

2017/06 奥日光クリンソウ物語2 ~H・ハンター~

2017年06月25日 | 季節の花

お早うございます、信です。
尾瀬から帰ってきて一週間、一応仕事をして

翌週末(6月17日)奥日光に行きました。

高山からの雨が流れる溝ですね。


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ここも石灰石が多い場所のようです。
太古の昔、海だったのでしょうか


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最後の曲がり角


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うまく残せませんでしたが、湖面がキラキラととても綺麗でした


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はりさんが喜びそうな看板


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いよいよ
お目当てが出てきましたね


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今日は風が強くて雲も多い


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すぐ横では遊覧船を造船中


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昨日からの続きです。
ハンター氏やメンバーは同倶楽部の所有してモーターボートで、クラブハウスの『西六番館』から中禅寺湖最奥にある
千手ヶ浜の釣り場まで移動していた。
クライスラー社製のエンジンを載せたモーターボートは湖畔を20分くらいで快適に縦断した。
歩けば健脚でも2時間あまりかかり、菖蒲ケ浜から先はアップダウンが激しい山道である。




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今年もフッキ草がたくさん


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千手ヶ浜にはレストハウスを設けて、地元出身で鱒釣りと観光船の船頭をしていた伊藤乙次郎氏が管理人をしていた。
乙次郎さんはハンター氏の側近だった伊藤徳造さんの次兄だった。倶楽部解散後は中禅寺湖の漁師となりその傍ら
狩猟を続け林野監視員を務めて後に “奥日光の仙人”とも呼ばれた人だった。




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その仙人の庭に入りました。


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昭和4年(1929)というと、ニューヨークの株価暴落から始まる世界恐慌のあおりで、日本は昭和不況に陥った年であるが
16ミリフィルムからは不況の影は微塵も感じられない。ハイソサエティの優雅で活気に満ちた宴が記録されていた。
見立鉱山が稼動して錫採鉱・精錬は順調で、大正14年には日本とラトヴィアの通商航海条約が締結されて、H・ハンターは
ラトヴィア名誉総領事に就任しており、前途洋々に見えた。




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昭和4年の夏、中禅寺湖畔で『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部メンバーたちがヨットレースや川で鱒釣りに
興じていた頃から日本国内では不況が深刻化。東京帝大の卒業生の就職率が3割に落ち込み『大学は出たけれど・・・』 が
流行語になり、巷に失業者があふれ、農村では若い女性が身売りをする悲劇が 後を絶たなくなっていった。




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中禅寺湖畔での『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』宴が16ミリフィルムに撮影された2年後の昭和6年9月18日
満州の奉天( 現在の瀋陽)北方の柳条溝で満鉄線爆破事件が起きた。
この事件を中国軍のしわざとしてでっち上げ、満州に駐留する関東軍は軍事行動を開始した。
いわゆる満州事変が始まり、軍部が台頭して国内は軍事色を強めていく。

(うたかたの如く消えた「範多農園」より)



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仙人の家です


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あれ
これは去年までは無かったです。


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伊藤さんが丹精込めた庭


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今年もお会い出来ました。


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水辺に廻りましょう。


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可憐で美しい


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西ノ湖からの沢を渡ります


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水辺のクリンソウが輝いていました。


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今年はパワーアップして三脚を持参しました。

早速、一番奥の場所でセッティングしてみました。

それは明日の朝、掲載します。


それでは皆様、ご機嫌よう。





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4 コメント

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Unknown (錫杖)
2017-06-25 09:20:39
おはようございます。

まずは 最後の言葉にある三脚セットしての作品が気になるところです。
 信さんマジックにハマったくくりでした。

中禅寺湖は日本最高所の湖、四方を山々に囲まれてすべての雨水や大地の栄養が中禅寺湖に集まってきますね 相当水が奇麗なことが判ります。日本一美しいと言われたサクラソウ科の九輪草。 自然環境に敏感で、自生する場所は限られてます。
 わたし自信 山で自生するこの花に出逢ったことはなく 管理された入笠山湿原で見たきりです。
 伊藤さんの努力の積み重ねに敬服ですね。


 
日光国立公園 ()
2017-06-25 10:31:28
錫杖師匠>

やはり昭和9年(1934年)に我が国最初の国立公園の一つに指定されたことが大きいですね。
当時は尾瀬も含んでの指定でしたが、先日書いたように尾瀬は会津駒ケ岳等を編入して2007年に独立しました。
それにしても奥日光の仙人、伊藤乙次郎さんが残された功績は大きいですね
そのまま放置されていれば今頃、鹿の食害でこのあたりはペンペン草だけになっていたことでしょう。
早くから鹿が増えてどうにもならなくなることを、予見したことは仙人故の大果断だったと思います。

そんな歴史を含めて、ここにこの九輪草がこうして群生として残っていることが
どれくらい奇跡に近いのか
もっと声を大にして云っていく必要があると思います。
コメントありがとうございました。


Unknown (takayan)
2017-06-25 16:53:32
こんにちは。
素晴らしい九輪草の群生ですね。
花好きにはたまらない景色です。
ここでならじっくり腰を据えて、撮影が楽しめそうです。
そばを流れる川が本当にきれいですね。
このような自然環境があればこそ、この九輪草の群落が、
守り続けられているのでしょうね。

takayan宅の近くで、昔は鹿なんて見たこともなかったのですが、
最近は鹿が増えていて、お墓の花は一晩で食べられてしまいます。
動物の保護と自然環境の保全は、兼ね合いが難しいですね。
食害の被害が出ないように、この素晴らしい九輪草の群落を、守り続けて欲しいですね。
昨年の5月、滋賀県高島市朽木能家地区で、道路脇の民家の近くに、
九輪草が咲いているのを見つけて、撮影したことを思い出しました。

明日の続きも楽しみです。

Windows10、OSが認証されないままのようですね。
PC改造により異なるパソコンと認識されたのでしょうかね?
素人のtakayanには、詳しことは分かりませんが、
OSの買い直しによる出費は痛いですね。





能家の九輪草 ()
2017-06-25 17:51:40
takayan師匠>

小入谷へ行く途中の能家の九輪草ですね。
あれは鮮烈でした。
ピンク一色の九輪草
パープルと云った方が近いかな
私も覚えてました。

ここも素晴らしいのですが
私にはもう一つ忘れられない場所があります。
高山の宇津江四十八滝の山野草園です。
ずっと沢を遡上する園地ですが、その入り口近くの
森の中に突如現れる、九輪草の群生地です。
4年前の5月に行ったのですが、高山で泊まって翌朝訪れたところです。
一度またゆっくり撮影のために訪れたいと思っています。
飛騨・美濃紅葉三十三選地とも書いてあったと記憶しています。
こういう場所が増えていくことが嬉しいです。
コメントありがとうございました。

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