昨年のちょうど今頃、悩みに悩みすぎて、精神的におかしくなりザビエルのように禿げました。

 

 日に日に広がっていくザビエル禿げは恐怖です。たった10日間で禿げが倍に広がり、禿げが隠しきれない状態にまでなってしまいました。

 

 そして決断した2017年6月18日。

 

 私は人生で初めて、すべての髪の毛を切り落とし剃髪しました。

 

 

 剃髪後に判明したことですが、実はザビエル禿げに加えて、後頭部には大量の多発性円形脱毛症もあり絶望的な状態になりました。

 

 もうね、笑いが止まりません。

 

 禿げの上に、さらに禿げてる。

 

 絶望的すぎると無駄に笑いがこみ上げてきます。

 

 でもね、私は現実として自分の禿げを受け入れました。悩んでいても状況が変わるわけではありません。

 

 むしろ剃ったことでザビエル禿げだけではなく、大量の円形脱毛症を見つけることができたのです。現実を受け止めたら、あとは対処するだけです。

 

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 現実を受け止めるのはとても怖いです。ですが事実です。私は現実を受け入れ、今できることを考えました。

 

 まず最初にしたことがウィッグ(かつら)の購入。次にウィッグだとばれないように、ウィッグの上にかぶる帽子を購入しました。

 

 

 昨年のセレーネTVに出演した時、表参道の日本最大の占いイベント、今年の六本木のホテルリッツ・カールトンでの占いイベント。

 

 すべてウィッグを被っての参加です。

 

 暑いし、痒いし、ウィッグはズレるし。色々あったけど、私は禿げたからこそウィッグの楽しみ方を覚えました。

 

 禿げているからいろんなウィッグに挑戦できる。新しい髪型の自分を知ることが出来る。

 

 そうすると、あぁ、私って意外とこういう髪型似合うんだなぁとか面白い発見がたくさんありました。

 

 同じ状況でもそれを不幸と見るか、幸せとみるか。悲しむのか楽しむのか。

 

 これはすべて自分で選べます。だからどうせなら楽しい方がいいと思い、私は楽しい方を選択しました。

 

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 そうしているうちに一年が経ちましたが、今ではウイッグ生活から脱却しています。

 

 

 禿げたのはすごく悲しくて、精神的に追い詰められるとこんな風に身体に出るんだなぁと思いましたが、その辛さや苦しさにちゃんと向き合って対処していたら、私の髪はちゃんと生えてきました。

 

 しかし、当時の苦しい状態・辛い状態の気持ちを持ち続け、私は可哀想と何も対処をしなかったら私の髪の毛は今でも生えてきていなかったでしょう。

 

 皆さん、辛い・苦しいことってたくさんあるでしょうが、その中でも楽しみを見つけることが出来れば必ず道は拓かれていくと思います。少なくとも私はそうでしたから。

 

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《追記》

 

 昨日、長いお付き合いのお客様からのご要望でご家族の回帰法要をしてきました。その際に、ご先祖様に失礼がないようにと実家から法衣を送ってもらい供養に臨みました。

 

 

 数年前の全国行脚を行う前の話。

 

 私は、本当のご供養をするために僧侶の資格を返上しました。

 

 私の真の目的は僧侶(尼僧)になることではなく、亡くなった方々のご供養です。その方にとって必要なお経。聴きたいお経。私の宗派に問わられることなく、その方が望んだお経をあげるべきなのではないかと思いました。

 

 僧侶だと自分の宗派のお経しかあげることが出来ません。ですが僧侶でなければ、どの宗派のお経も上げることができます。

 

 そのため、私は自分の目的の為に僧侶の資格を返上しました。そして僧侶の資格を返上後、すべての宗派のお経をあげるようになりました。

 

 

 私は「法衣は僧侶が着る物だ。」とずっと思っていました。そのため私は僧侶の資格を返上後、法衣を着る資格がないと思い、以後どんなことがあっても僧侶の法衣を着ることはありませんでした。

 

 僧侶の資格を返上してから一度も着なかった法衣。

 

 

 全国行脚の時でさえ着なかった法衣。

 

 しかしながら、近頃法衣の大切さを痛感する機会があり、僧侶じゃなくても袈裟をつけなければ問題はないと思って数年ぶりに法衣に袖を通しました。

 

 「僧侶じゃないけれど、法衣を着てもいいよね。より良いご供養のために着ても良いよね。」と思えたのは、きっと昨年のザビエル禿げにより剃髪したからだと思います。

 

 剃髪=出家であり、僧侶としての儀式です。

 

 私は昨年、ザビエル禿げ → 剃髪したことにより、僧侶としての儀式を行ったことになります。

 

 その剃髪によって、私はいつのまにか自分が知らないうちに課していた法衣を着ることに対するためらいや罪悪感、変な先入観や思い込みの呪縛から解放されていたことに気がつきました。

 

 そう考えると、私にとって法衣を着ての供養に踏み切るためは一度剃髪するという儀式が必要だったのでしょうね。

 

 今回、何の抵抗もなく法衣を着れたのはザビエル禿げのお陰。だからザビエル禿げは私の目的のためには必要でした。

 

 

 後にならないとわからないけれど、人生には何一つ無駄なものや無駄な経験はない。目的のためにすべてが必要なことなのだ。ということが理解できました。

 

 そして供養をしながら、占いも大切だけど、やっぱり私の本当の役割は供養をすることなんだなと感じました。

 

 

 

※ やっと地毛で生活できるようになったので、現在の地毛の写真も掲載しています。

 

 いっぱい心配してくださった皆様方、本当にありがとうございました。

 

二度と生えないと思っていた髪も、やっとここまで伸びました。(*^ω^*)

 

 


2002年/実家の本堂で息子と一緒に撮影。
 
 
2017年6月/悩みすぎて気付いたらザビエル禿げになっていました。10日後には禿げが倍に広がって前髪や横髪では隠しきれなくなりました。
 
 
 
2017年6月17日/剃髪する1日前です。すでに禿げが隠しきれなくなり、増毛スプレーで禿げを隠していました。
 
 
 
2017年6月18日/人生で初めての剃髪。
 
 
 
 
正面から見るとわかりませんが、上から見ること、こんな感じです。剃って初めて大量の円形脱毛症があったことが判明しました。
 
 
 
 
後頭部にも円形脱毛症が・・・。
 
 
2017年7月/多少髪の毛が生えてきましたが、髪が生えたことで円形脱毛症がより際立ってしまいました。
 
息子からは「鹿の模様みたい」と言われ、爆笑されました。
 
この頃は鏡を見るたびに毎日泣いて生活していました。この一年間はずっとウィッグで生活していました。
 
 
 
円形脱毛症はほとんど隠れましたが、ザビエル禿げのところからは髪が生えてきません。
 
息子からは「ひらがなの “う” みたい。」と言われ、またもや爆笑されてしまいました。_:(´ཀ`」 ∠):
 
 
2017年9月/ウィッグ使用。
 
ウィッグ生活のお陰で、いつもの自分だったら絶対にチョイスしない髪型やヘアカラーに挑戦することが出来て、新しい発見がたくさんありました。禿げたからこそ、新しい可能性を広げることができました。
 
 
もう生えてこないと思っていた髪の毛ですが、2018年の1年後には・・・。
 
 
2018年6月17日/お陰様で、1年間でここまで髪が伸びました。
 
袈裟こそありませんが、数年ぶりに法衣に袖を通しました。供養には法衣は必要だと改めて実感しました。
 
昨年、剃髪したからこそもしかすると自分の中で法衣に袖を通す罪悪感がなくなったのかも知れません。
 
今思えば、供養という点においては剃髪という経験も必要なことだったのでしょうね。
 
 
 
もうウィッグ生活ではありません。地毛です。
 
これからは、風でウィッグが吹き飛ばされることも、人とすれ違って「あれってズラだよね?ww」と言われることも、夏の暑い日に汗をかきまくって不快な気持ちになることもありませんっっ!!!
 
 
普段の生活はこんな感じです。しろたんのTシャツがかわゆいです。(笑)

もう二度と生えないと思っていた髪もやっとここまで生えて、髪の毛って本当に大事だなぁと痛感しました。
 
ザビエル禿げになっているところは白髪になっており、まるでブラックジャックのようになっています。そのため禿げ部分は毛染めで黒色に染めています。