Fable Enables 81 | ユークリッド空間の音

Fable Enables 81

 チトセの言葉は俺のまったくの埒外にあった。
 石板に嵌められた玉の数は六個なのだから、それに反応する者を数え上げても、ひとつにひとりだと最大六人にしかならない。紆余曲折があったが、その六人がここに過不足なく揃っている。
 確かに洞窟の分岐は七つに別れていた。チトセを追い詰めるこちら側としては、六人がばらばらになり、道の七分の六を塞いでしまうことが勝率を最大にする手管となった。ただ、確率が一ではない。チトセは、六人が誰も選ばなかった道で待っていれば、俺たちをやり過ごすことができた。チトセの立場になれば、単純に考えたら七分の一の勝率だ。だが、七つの道のうち六つの道では俺たちの足音が聞こえたはずである。何も聞こえないひとつの道を選べば、確実に俺たちの包囲網を逃れることができる。
 それがゆえに、こちらが七人いればチトセを百パーセントの確率で追い詰められたであろうことは確かである。しかし俺たちは六人しかいないという事実は変わらない。
「昨日まで、あなた方――石板に導かれた召喚者――は、七人でした。しかしその日が終わりを迎えようとする頃、そのうちのひとりが賢明な選択をなさり、そこにある次元の断裂の向こうに自身を擲ったのです。それにより、この世界は今日の始まりを境にして一段階ほど昇格しました。望まれざる者が七人いる世界から、望まれざる者が六人しかいない世界にまでになったのです」
「さっきから七人ナナニンって気持ち悪いわね」アミは喧嘩腰で言った。「どこをどう数えたら、ワタシたちが七人に――、もとい、七人と断言できるワケ? まさか幽霊がもうひとり控えているわけじゃないでしょうね」
「さようですね」マコトはしゃなりと長い髪を整えた。「わたしたちは現実では到底起き得ないようなことを経験してきました。しかし仮に昨日までは七人目の仲間が存在していたとして、その者がこの世界から消滅してしまう際に全員の記憶からその者が消えてしまうことはまったく不可解です。『知る』という行為は不可逆でしょう? わたしたちの仲間は七人だったという確たる証はあるのですか」
「ございますとも」チトセはゆるりと頷いた。「この世界を外から俯瞰できる神――、そしてこの世界を物語として読んでいる読者の方には、昨日までは七人目の召喚者――音羽ヒビキさんがいたことを極自然に受け入れています」
「『読者』って何なんだ。ピンとこないな」マモルは首を捻った。
「あなた方が生きているこの世界は確かにここに存在し、あなた方はこの世界で生きていくための意思を持っています。しかしそれらのすべてが誰かの空想の産物だとしたら? 存在はするけれども実存は保証されていません。保証はされていませんが、少なくとも存在を認識できる者にとっては、この世界を歴史物語――あるいはお伽噺と見做せるわけです。そしてお伽噺の登場人物は、世界の外から見られていることを認めることは、普通では叶いません。同時に、この世界が『昇格』したことも、登場人物当人は気付きません。ただ読者はお伽噺を最初から読んでいる限り、文章と文章の間に挟まれた不自然な断裂により世界の格に差ができたことも当然読みとることができます。今一度問います。あなた方は音羽ヒビキさんのことを憶えていますか」
 残念ながら俺は知らない。いくら記憶の糸を手繰っても、そんな人間がそばにいたことなんて想像ができない。他の五人も一様に黙っている。
「理解しました」
 チトセは殊更に厳然とそう言い、しばし目を瞑っていた。何かを待ち、何かを祈っているようなその表情を経て、チトセはゆっくりと目を開いた。
「これで証明されたことになりますね。本来なら生まれたなかったはずの人間が、本当に存在しない世界となっても、周囲には何の影響もない。あなた方が音羽ヒビキさんを忘れたまま生きていけるように、あなた方全員がこの世界から次元の断裂に人知れず身を投げたとしても、気にする者はひとりもいません」 

 

 


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