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今日の記事は

昨日の記事「我が子をどう育てたいか②」の続きです↓

 

 

”子どもをどう育てたいか”の話から少し逸れますが

私の勉強へのトラウマがどう出来上がったのか・・・

やっぱり暗黒時代の話を書こうと思います。

 

自分の過去を振り返ることで見えてくることも

あると思うので・・・ただ、暗い話にしかならないと思うので、

苦手な方は読まない方がいいかもしれません。

 

 

過去にこのブログでも何度か書いているのだけど、

2才年上の兄は、頭の良い人だった。

小学校の頃から既に、私と兄では差があった。

 

母は兄をみて、子どもは”こんな感じか”と思ったのだろう、

私がテストでろくでもない点を取ってくるので、

「お兄ちゃんは頭がいいのに」と、よく言っていた。

 

勉強ができると、家族は皆褒めるので、

私の中で、”兄はすごい!カッコいい!”という

尊敬が生まれた。

兄の服(おさがり)を喜んで着ていたのは

そういう気持ちからだったのではないかと思う。

 

意外なようだけど、母は「勉強しなさい!」とは

あまり言わなかったのではないかと思う。

小学校の頃は、比較的自由に楽しく過ごさせてもらった。

家でも宿題以外の勉強をした記憶がない。

 

私の中で”勉強”の存在が変わったのは、

中学生になってからだ。

 

 

※今まで省略して書いていますが、私は生まれつき目が悪いので

幼稚園の頃からメガネをかけています。今はコンタクトです。

 

試験の結果がハッキリ順位になって分かるので、

より兄との差が分かるようになった。

 

母は兄と私を散々比較していたが、

「ピンも頑張らないとねぇ」「ピンならできるよ」と言った。

母だけでなく、家族は皆、

「兄弟なんだから、やれば出来るよ」と、

希望を持たせてくれた。

 

成績が上がれば、家族は褒めてくれる。

決して悪い環境ではなかったと思う。

 

自分も出来そうな気がする。

単純な私は、家族の言葉を信じて頑張ることにしたが、

兄に追いつけるわけではなかった。

 

成績は常に真ん中あたりで、

兄に勝てるものは美術だけだった。

絵を描くことが好きで、興味があったので

美術の勉強だけは苦になりませんでした。

 

 

 

 

 

反抗期というやつだろうか。

次第にストレスが溜まった。

 

勉強ができないのは、自分の努力が足りないからだ。

どうしてもっと頑張れないのだろう・・・と、

自分が情けなくて仕方がなく、

ストレスを母や物、自分にぶつけた。

 

母とは毎日のように口ゲンカしていたし、

勉強している時に、無性にイライラして

机を蹴ってみたり、物を投げたりすることもあった。

ペンで手を刺した時は

痛かったのですぐにやめた。

 

代わりに、気持ちが落ち着くまで

腕や足を引っ掻いたりした。

軽い自傷行為だったのかもしれない。

 

 

とにかく昔の私は、

兄の背中ばかり見ていた気がする。

小学生の時、兄が塾へ行き始めたので

”私も行く!”と言い、私も塾へ行ったが、相当つまらなかった。

 

苦痛だったので、しつこく”やめたい”と言ったが

母はやめさせてくれなかった。

途中で物を投げ出すのはよくないと、

母は教えようとしていたのかもしれない。

 

中学校を卒業するまでやめることはできなかったのだが、

最後の方は塾で居眠りしていたので、

ただお金がもったいないだけで、塾へ行く意味はなかったと思う。

 

今でも、あの時もっと頑張ることはできたのか、

考えることがある。

でもきっと、やって出来るものなら

とっくにやっていただろう。

 

そもそも、私の人生に学校の勉強がそこまで必要か?というと、

特に必要はないように思う。

結局、あんなに上を目指そうと

必死にならなくてもよかったと思うのだけど・・・

なかなか難しい時期だったな・・・。

 

 

この話の続きはこちらです↓

 

我が子をどう育てたいか④

 

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