前回の補足となりますが

控訴に対しての弁護士や支援者との連絡や提示条件の再検討をする際の心境は、非常に淡々としたものでした。


許したとか大目に見る事ができるようになったとかそういった感じでは無く


怒りや憤りを感じすぎてしまい、最早人間としてかける情けなどを感じなくなってしまったという感じのほうが近いかもしれません。

庭に生えた雑草を抜く、害虫に殺虫剤を吹く、そういった感覚に近いかもしれません。痛いだろうなとか苦しむだろうなとかそういった感覚がわく事も無く、淡々と処理する。という感覚でしょうか。


裁判で断罪されても反省する素振りを見せる事が無かった事が、淡々と処理するようになった最後の決め手だったようにも思います。


そしてこの行動が、話が通じない相手には情けをかけても無駄だから、そういった相手には粛々と処理し杓子定規で対応する。その結果相手が断罪される事になっても、それは身から出た錆だ。

という考え方をするようになったきっかけでもあると思います。ドライだとか言われるようにもなりましたが、実際に話が通じない相手と関わり、はっきりと「ダメだ」と判断されたにもかかわらず、相変わらず理解できない姿勢を見ると、「ある程度のところでばっさりと判断しないといけないな」という事は経験として残るんですよね。


今のように心理学といった概念が無かった時代の人が、「つける薬がない」と言った事が正に核心をついていたと改めて思いましたし、その言葉がその後の判断基準に大きなウエイトを占めるようになった事は間違いありません。



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