裁判が終わってからもずっと思っていた事があります。


何で、あれほど好き勝手やって他人を傷つけているにもかかわらず、日本の社会では何の不自由も無く生きていく事が許されるのか?

という事です。


このパワハラ事件で加害者となった人間たち以外にも、例えば商店などで弱い立場に置かれた人たちに対して理不尽に因縁を付けて怒鳴り散らし、無理を押し通そうとするような人間たちが何も罰せられる事も無く普段どおりの生活を送れている事が許されるのか?

ということでした。


被害者となり一時は自殺という言葉がちらつくほど追い詰められた経験をした影響か、こういった人間たちに対しては拒否反応にも似た厳しい感情が涌きがちになってしまう事が多かったです。


「何故ああいった行為を繰り返す人間たちを<その人の個性>という都合の良い言葉で片付けようとするのだ」と。




裁判が終わっても、そういった気持ちは変わりませんでした。


でも、現実としてこういった人間たちもたくさん存在している事も事実なのです。





もう、無理矢理自分に言い聞かせる事しかできませんでしたね。


こういう風に他人に迷惑をかける人間がいる事で、規則や法律の重要性が際立ち、他人に被害を与える行為をすれば法律によって裁かれるという事をその他の人たちに改めて知らしめる事で、ああいう行為をする人間になってはいけないのだと思ってもらえる事で加害者の数を減らすのだ。


と。

かなり無理矢理な言い聞かせです。今でもそれが正しいのかわかりません。でも被害者の立場を経験したために、どうしても加害者を否定する方向に向かいやすいのです。



他人に迷惑をかける事をにためらいを感じず、自分の利益だけが大事だと思っている人間なのか、それともまだ対話を続ける余地があるのか?


その事を時間をかけて冷静に判断するためにも、緩衝材としての役割をとしてこういった気持ちを考えるようにはしました。


でもやはり、公衆の面前でも平気で怒鳴る事ができてしかも後悔のような感情を持たない人間は苦手です。

またできることなら、再び被害者として当事者となってしまう事はご勘弁願いたいという気持ちもありますね。



でも判断を急ぎ過ぎないように、無理矢理ではありますが「それなり」の理由があるのだと言い聞かせるようにしています。







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