セブ島移住者の本音トークⅡ

セブ島でNGO活動に従事する管理人が、フィリピン人家族との奇妙な生活や、現地での国際交流について語ります。

ハッピーエンド(断ち切れた負の連鎖)

2017-06-25 | NGO活動

ここ暫く、僕がここセブへ来たキッカケ他についての投稿を連載していましたが、今回は、ちょっとお休みを頂き、別の話題を投稿します。

先ず、冒頭の写真ですが、昨日の日中に撮られたものです。


...実は、僕は、通常、余り写真には撮られたくないし、写っている自分を見るのが嫌なのですが、今回の写真は我ながら、いい顔して写っているなあ…と思えます。


その事情を説明しますと...


...昨日は、久々に時間を割いて、セブ市の南に位置するタリサイ市からセブ島の南端までの全奨学生のフォローに出かけました。


何時ものことながら、連絡の具合が悪くて、3割の生徒とは直接面談が出来なかったのですが、彼らについても、地元の先生から様子は伺い、特に問題は無いとの報告を受けて、取り敢えずは安心しているところです。


さて、そんな中で、偶々、南端の町へ向かう途中の郡部の奨学生をフォローする中で、僕がこの地に来て以来、ずっと奨学生の窓口としてフォローして頂いている、某ハイスクールのI先生のご自宅によってご挨拶及び、フォローをしたところ、偶々、この時、地元の教会を中心とするお祭り(Fiestaと言います)の最中で、ここフィリピンの状況をよくご存知の方にはご理解頂けると思いますが、


『あら... 権兵衛先生!どうぞどうぞ、上がって食べていって下さい!』


…みたいな感じで、I先生が朝から食材を買出し、自慢の腕によりをかけた料理を振舞ってくれたのですが、僕もまだ、‘旅の途中’で、そこから片道未だ2時間強の行程を残していたので、I先生に事情を話した上で、折角の心づくしを少しだけ頂き、そろそろお暇しようかと言うタイミングで、予想だにしなかった人物、画像の中で僕の横にたたずんでいる女性、Aさんが、I先生の家にやって来ました...


彼女は実は、プルメリアの前身の団体で、支援していた元奨学生で、彼女に会ったのは、彼是10年ぶりの事でした。


彼女がI先生のお家に入って来た瞬間、直ぐに、誰かは分かりましたが、Aさんの表情の明るさ、話し方は以前とは別人のようで、僕は、暫く呆気に取られておりました。


実はAさんは、現在、地元の小学校の先生をしています。彼是、5年になるようです。その前は、私立学校でコマ単位の授業を担当しており、更にその前は、教職の国家試験に受かるまで、パートタイムの保育士の仕事をしていた訳ですが、今や、彼女は国家公務員の待遇を手に入れたのです。


これが、如何に凄いことかは、8年前の投稿‘ 父の日の出来事(ある奨学生の思い出)をご覧になって頂ければ、ご理解頂けるかと思いますので、もし、お時間がありましたら、この先、読み進められる前に、過去の記事をご覧になって下さい...

 

 

 




...また、8年前の記事では述べなかったのですが、僕らがAさんの支援を開始した際には、彼女の家族には、貧困だけではなく、もっと悲惨な状況がありました。


彼女の実父は、実は、覚せい剤中毒であり、違法薬物を売りさばく末端の売人でもあったのです。


その所為で、Aさんの兄弟姉妹にも薬物の汚染が広がり、Aさんも放置していたら時間の問題だったかも知れなかったので、I先生が意を決して、実父に掛け合い、Aさんを引き取り、僕らもAさんを一般の教育支援の枠を超えて(特に個別の里親さんを設定することもなく)支援したのです。


そして、それが、今日(こんにち)に繋がりました。


僕に言わせれば、最大の功労者はI先生ですが、それでもAさんは、僕を父親のように慕ってくれていました。その後、当時、僕が使っていた携帯を無くしてしまった事もあって、音信は切れてしまっていましたが...



Aさんは、何か、僕に伝えようとする時、面と向かうと恥ずかしいのか、以前から、僕の背後に回って、そっと僕の手を取って物を言う癖があって、昨日もその通りだったのですが、


『...先生、今の私があるのは、あなたのおかげです。私は、今、本当に幸せな生活を送っています。本当にありがとう...』


…と言うので、僕も目の裏側が熱くなるのを感じ、堪えながら、


『良かったな... 僕も嬉しいよ』


...と言うのが精一杯でした。


そして、その時、感じたのが、彼女の手の温かさでした。以前は、栄養失調による低体温で本当に冷たい手をしていたのですが、今ではスッカリ違っているのが感じられ、それだけでも胸一杯になりました。


その後、彼女が自分の携帯を取り出してモジモジしているので、“写真を撮りたいって事かな”…と察した僕は、


『折角だから、お互いの写真を交換しようよ』


…と、彼女の携帯と、僕の携帯をI先生に預けて、撮って頂いたのが冒頭の画像です...


AさんとI先生の関係は一時、拗れていた事もあったのですが、それもスッカリ今では解消され、僕が一旦、お暇しようと席を立つ暫く前に、I先生が彼女の娘さんに頼んで、近所にいるAさんに声を掛けてくれたようです...


...再確認したのが、これが教育支援NGO活動の本質であり、ちゃんとした結果が出るのに、途方も無い時間と労力が掛かるのです。


要は一般のビジネスライクな考えでは、どうしようもなく、金銭による見返りは基本的に無いのです。色んなことが絶妙にかみ合わないと、全く機能しないのです。(或いは、それを人智を超えた‘運’とか、‘タイミング’と言っても良いかも知れません)


また、これは10数年前の環境と様々なタイミングが噛んだ結果、僕自身だけの力ではなく、何か別の力が働いた結果、幸運にも、こうした仕事をさせて頂いたと感じるのですが、今の状況、或いは僕の年齢を考えると同じことは多分、二度とは起こらないでしょう...


…が、こうしてAさんから感謝の言葉を頂いた事、これは、全く期待は出来ない、しない事ですが、昨日の言葉は、僕にとっては、お金、名誉や、何事にも代えられない‘最高のご褒美’だと感じました。


また、実を言えば、フィリピン人は、この辺り、かなりシャイで、余程じゃないと、思っていても中々、口にはしてくれないのだと言うことが、十数年の時を経て、やっと僕の中で実感・体感しているところです。


昨日は、忙しい一日でスタート時点では体調も余り良くなかったのですが、おかげさまで、昨日は本当に良い一日になりました。ありがとう...



 

 

  


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