セブ島移住者の本音トークⅡ

セブ島でNGO活動に従事する管理人が、フィリピン人家族との奇妙な生活や、現地での国際交流について語ります。

若い人たちへ

2016-10-10 | Weblog

NGOプルメリアの活動を通して、日比の若い人たちとの交流が多い僕です。

特に日本の若い人たちから、何故、ここへ来たのかと聞かれた時、何時も言うのは、‘偶々’、そして、‘何も知らなかったから良かった’そして、‘最初から全ての現実を理解していたら、ここに来るという選択はバカらしくてしなかったでしょう’と答えるのですが、どうも、この説明だと、舌足らずで、誤解を招く可能性が高いと最近、気が付きました。

 

そこで、今回は、言葉の限界を感じつつも、出来るだけ、誤解の無いよう、正確に、僕の思いが伝わるよう、記事を書いてみようと思います。

 

ハッキリ言いますが、僕がNGOに携わったのは、世間の感覚で言えば、‘逃げ’と言う事になるかと思います。要は、それまでの人生、上手くいかない事が多く、正直なところ、折角、世間的に言えば、出世と目されるチャンスが有りつつも、それが自分の中で、シックリ来なかったので、ケツを割った…その結果として、目を掛けて下さった嘗ての上司、家族、(元)妻…様々な方々に迷惑をかけたと自覚しています。

 

でも、僕は、前の生活を続けられなかった… 何時か何処かで言った事があるかも知れませんが、僕は恐らく、ここフィリピンへ来るまでの若いころには、何時も‘死にたい’と思っていました。(ただ、後になって、‘それ’は嘘だったと気付きましたが)もし、無理に継続していれば、精神を病み、体も病み、今現在、こうして生きている事実は無かったと思います。

 

世の中の主流派から見れば、僕は‘馬鹿な奴’でしかありません。でも、それで結構。何故なら、逃げて、避けて、生き延びて、結果、僕は今、多分、生きて来た中で最も幸せな状況になりつつあるからです(笑)

 

僕には世間で評価される所の肩書とか、富とか、何にもありません。まあ、NGOを継続して来た事でお褒め頂く事はありますが、経済的には、食えない事は無いが、何だか、何時もヒヤヒヤもので、もう直ぐ、50歳にも達しようと言う所で、恥ずかしい事、この上なしです(苦笑)

 

結局、他者の価値観(世間の価値観)に囚われている以上は、この感覚は、理解されないし、最近まで、僕自身も、そこに迷いがありました。

 

 

 

天上天下唯我独尊

 

 

 

僕は過去に宗教の勉強をさせて頂いた事もありますが、今はそこからは外れております。そして、この宗教の始祖と呼ばれる人物が説いたモノは、決して現代で言うところの宗教では無かったと今は結論付けています。

 

そんな中で、何故、その方(宗教の始祖)が生誕の際に発したとされる言葉をここに持ち出したのか?

 

果たして生まれたばかりの新生児が、本当にこの言葉を発したか否かには疑いがありますが、この言葉には、実は、全ての本質が集約されていると僕は観じています。

 

この言葉は誤解、曲解を受けやすいけれども、実は、その宗教の始祖とされる方、唯一人が尊いとするのは正に曲解(或いは宗教的ねつ造)であり、生きとし生ける者全てが唯一無二で尊いと読むのが正解だと思います。

 

だから、まず、その手始めとして、自分が絶対なのであり、その後に、他者も其々、絶対なのだと理解すれば、恐らく、この世の全てが読み解けるのではないか…と。

 

だから、他者がなんと言おうが、自分が幸せだと感じれば幸せなのであり、不幸だと感じれば不幸なので、不幸な状況は打開すべきです。

 

…打開すると言うと、‘戦う’と言うイメージが先行するかも知れませんが、逃げるとか避ける事も大事だと僕は今、確信しています。逆に言うと、変に戦えば、自分も含め、ダメージを負う者を増やすだけです。



こうした物言いをすると、人によっては、僕は敗者(負け犬)であると看做すかも知れません。しかし、そもそも、何が勝ちで何が負けなのか?僕にとって、ある種、世間で言う所の‘機会’を逸した(奪い合う事を避けた)としても、その後、生きているだけで儲けもの、しかも、そこに小さな幸せでも見出す事が出来れば、これは紛れもなく、‘勝ち’に違いない…それが結論です。

 

僕がこうした理解を得たのは、間違いなく、フィリピンに於ける貧困の実態を目にし、体感したからに他なりません。

 

今回、こうした記事を上げているキッカケは、最近、日本に於いて、超一流の学歴をもった若い女性が、超一流と看做される企業に就職した数年後に、過労により自殺に至ったと言うニュースを見て、余りにも切なかったからなのですが、実は、同じ大学の出身者で、大学時代にプルメリアの活動に少なから協力して下さった、この犠牲者の先輩に当たる女性(仮にAさんとしておきます)が、この一件とは別の超一流企業に就職して、1年経ったところで、‘辞める’とした選択をされ、アフリカへの活動へ行かれたとした事実も目にしていたので、何だか、他人事のように思えなかったのです...

 

恐らく、前出Aさんは元々、聡明だった事もあり、僕らの案内により、目にしたフィリピンの貧困から、僕よりもずっと早く、‘何か別のスタンダード’を見付けたんじゃないか…そんな風にも思います。

 

だから‘死’に逃げ場を求めないで… 


逃げ場所は他に幾らでもありますよ。


生存は、この世に生れて来た者たち全ての本質ですよ。あなたが死にたいと思うのはきっと錯覚(嘘)です。




 


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