偉人の、ためになる言葉だけをイイとこ取りして羅列した本って
本文を読まずに後書きだけ読んで読書感想文書いちゃうような・・・(そういう子いたよね)
本来の作者に申し訳ないような・・・
そんな気持ちがして読んだことがほとんどなかったんだよねえ。
ところが、息子が祖母からもらってきた本、しばらく前にベストセラーになった「ニーチェの言葉」を
ぱらぱらと読んでみたら
これがまた、なんともスルスルと とてもイージーにココロに入ってくる。
難しい本をじっくりと読むのもすきだけれど
イイとこ取りして読むのもこれはこれで時短になっていいのかも~。
だって、自分の持ち時間は永遠じゃないもんね。
数年前、自分のカラダのとある精密検査で、シロかクロかの医師の診断を待つ数日間、
頭をよぎっていたのは、子どもたちの成長をもう少しみていたいと強く思ったことと
まだ読んでない本がたくさんある!! という焦りだった。(幸い、シロでしたが^^;)
読みたい物語系の本はのんびり読むことにして、
ためになる書物や学びたい知識の本は、このように端折ったイイとこ取りの本もアリってことなのね。
(もちろん、これから哲学を学問として勉強するひとは、きちんと全文を読まなくちゃね!)
「ニーチェの言葉」を読むほどに思うけど、
ニンゲンって、生きていくことが既に哲学なんだなあ。
だって、なんだか当たり前なコト言ってる。(すみません)
十代くらいで読んでいたなら、きっと「へえ?ふうん、そうなん?」ってな感じかも。
長く生きてきて(と言ってもたかだか50年の若輩者ですが)たくさんの実体験を重ねてこそ
ニーチェの言うコトバを「ホントそうやなあ!」とか「そうは思わないなあ。」とか
自分なりにココロと肌とで感じとることができるような気がする。
(ニーチェはこれらの言葉を一体何歳の時に書いたのだろう・・・という疑問が湧いてきますが。)
そうか。ニンゲンはだれでも生まれながらの哲学者。
思うことを「コトバ」として上手に記すことのできたひとが
著名な「哲学者」として名を残すことになったのかも。
ニーチェさんのコトバにいろいろものを想わされているこの頃であります。
哲学する猫?(ムラーノ島にて 1994年)