この時期ゴールデンウィーク前になると、発達障害の子供達は学校生活において状況が悪くなるケースが多々起こってきますね。


うちのような田舎の地域でさえ、支援級のある小学校に通級として通う子が増えてきていますし、普通級に在籍している子達でも、登校できない状況になったり、不登校の状況に至っている子が一定数います。

少子化で子供の数は減っているはずが、こうした状況は数としては減っていないか、改善していないように拝見します。



その状況について、我が地域の自治会でも問題として話し合いがありました。子供の会と連動している関係上、そちらの役員選出などもあるわけですが、子供の登校拒否や支援サポートなどで忙しく、地域自治会の役割まで担う余力を持たない保護者が、いつもより増加したんです。子供の会を担う役員さんのなり手の不足という事態になりました。



育児がおおむね終わったような家庭は自治会の方の役員をしていることが多いです。仕事量が多いので、40代、50代が主軸になります。サブには育児中の親が入り、子供の会の方を兼任する感じです。そこで、子どもの会の方を老齢の祖父母たちに協力してもらうのはいいのではないか、という話になりました。


ここで障害が発生です。


定型一般の保護者もそうですが、ご老人世代のおじいちゃん、おばあちゃんというのは、子供の不登校や精神的な落ち込み、学校への行き渋りなどを「甘え」と受け取り解釈します。そのため、不登校をする子供は家でごろごろしているのだから、親はすることはない、子供の会の役員はできる、と言うわけです。あるお嫁さんの舅、姑がまさにこれをズバリとみんなの前で声高らかに言ってしまいました。


不登校に悩む子に向かい合って母親業をしているお嫁さんの舅や姑が言うのですから、子供の困難をマネージメントしつつ、年長者の理解を得られず、地域の仕事のことも考えないといけない大変さはいかばかりか、と思いました。


また、この狭い田舎という地域で、自分達の孫だけが(他にもいるけど、自分の孫だけが特別不登校だと思い込んでおられる様子)こんなじゃ、恥ずかしいという気持ちがどうにもできないようです。私はこういう年長者が沢山いる場では、あまり発言しなくなります。特に定型一般のご老人は苦手です。なので、お嫁さんを助けられないのが心苦しい状態でした。



私のような、親自身が発達障害の当事者であり、不登校や精神的な困難を抱えた子供の立場であった経験者としては、他人の子だろうと子供の精神的苦痛や負担を思うと、味方せずにはいられなくなります。なのでお嫁さんを地域の中で「もっとしゃんとせんと」と叱咤激励する老人の方々には辟易します。


そうした話し合いの中で居心地の悪い思いをしている私や従妹達の気持ちを慮ってか、うちの長老というか、年長者達は、普段は寡黙を貫く頑固者で変わり者ですが、お嫁さん擁護に回ってくれました。しかも、定型一般の人というのは「恥ずかしい」とか、「自分の孫が自慢できるようであってほしい」という気持ちが強いのだ、ということはわかっていますので、お嫁さんをかばうのではなく、そこのお孫さんを擁護するように話してくれていました。



「日本全国で不登校が増えている。何もそん子が特別悪いわけじゃない。時代が変わった」とか


「学校のサポートも、今は先生の手が足りんで、子供らが悩んでも十分には対応できん。だから親が全部ひきうけなならん」とか


「学校に行けない子は自分のペースが学校の設定にあわないだけだから、その子のペースでやったほうが勉強もよくできるようになって大学にも進学できるってこともある。(うちの一族はそのタイプなので)」


「何も、子供がおかしいところはない。学校の役員も、子供のことも、自治会の役員もと嫁さん一人であれもこれもせないかん状態だ。そんで子どもにしわ寄せがきとるってこともあるだろう。大人の人手は俺らがおるで、自治会だったらなんとかできる。」


などなどと、とうとうと話してくれました。さすがじいちゃん、ばあちゃん達、と思いました。定型一般の人が欲しいと思っている言葉をみんなの前で言うことで、その舅、姑さんの心の負担軽減をしたんだなぁ、と思いました。お孫さんのことも、特別ではない、そういうことは多々起こっているということで、恥ずかしいと思わないように、と説得したわけです。



お嫁さんにしたら、舅や姑から恥ずかしいだの、しっかりせいだのやいやいと言われる事が一番、精神的にも辛いでしょう。要するに、舅や姑は彼ら自身の不満がうっ積して、それが解消されないので他人(嫁)にどうにかしてほしい、不満の原因となっている孫が学校に行きさえすれば、2人のうつうつとした気持ちも晴れて問題は全部解決する、というそういうことなんでしょう。



うちの一族の長達は、そこに「子供のことを一番に考える」という視点がないのを知っています。心配しているとはいえ、気にしている事の優先順位が「恥ずかしい」、「学校に行けと母親、孫をせっつく」という孫の状態に反した言動であるので、これではどうにもならないと初めからわかっているんですね。


そういう考え方で、大人の心情と都合で子供に向かい合っても、子供の心身の状態を観察もしなければケアもしていないのですから、何も好転するわけありません。一般定型のご家庭の、ご家族の協力における問題点は、この大人の心情と都合が家庭を支配してしまう所にあるのかな、と老人方の話し合いを聞きながら思いました。



お嫁さんが涙ぐみながらも、結局は年寄りができるだけ子供の会に関わっていくことを約束したことで、地域の仕事から少し楽になり、舅や姑はそこの活動で忙しくなり、そしておそらく、うちの長老たちにあれこれと吹き込まれて多少は嫁、孫への不満やストレスを軽減して、穏やかになってくれるんでは・・・と思います。



私が心情的に不登校のお子さんの立場にシンクロしたように、うちの長老たちは、紆余曲折し七転八倒する発達障害の子達を育てた親として、その頃の心情を思い出し、お嫁さんの味方をせずにはいられなかったんだろうなと思います。


いつまでも子供達の側を大事にしてくれる親族の年長者達には、今までのことも全部含めて感謝したいです。




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