「自分を知る」というテーマの続きのような記事です。切っても切れない、発達障害の人間の特性と仕事の関係について書いておきます。やや厳しい現実面について書きますので、ストレスを感じる内容がでてくるかも知れません。その際は読むのを続けるのではなく回避するなど、ご自身での対処をお願いいたします。



発達障害の子供を持つと、親は「今、目先の育児」に必死になり、とらわれがちになるかもしれません。時には投げ出したくなることもあるのではないでしょうか。特に、子供の思考回路や特徴に全く共通点のない定型一般のお父さん、お母さんには、非定型である子供を育てていくと言うのは、とてつもない挑戦のように思われるかもしれません。



ですが、乳幼児期、児童期、とくに高校を卒業するまでの約18年間が、その非定型の子供が成人して自立し、仕事をしていけるかどうかのベースとなります。この18年で身に着けたことだけが、社会に出たときに知恵となり、武器となります。逆に言うと、この18年で知らなかった事、身に着けなかった事を成人してから「自力で社会でもまれながら気づいて成長していけ」と言われても、それはとてつもなく困難です。だからこそ、社会人になって、


はじめて出会う仕事における責任、連絡、報告、相談のルール


自分にあわない仕事の作業、仕事の内容(営業、事務、サービス業、技術職など)


自分にあわない環境(大企業、中小企業、都心、田舎など)


自分にあわない人のグループタイプ(営業中心、事務中心、技術屋中心など)


に突然であった衝撃に混乱し、パニックするばかりか、それを解決するだけの手段も工夫も身に着けていないので、どうにもならず精神的にひっ迫していくだけ、ということになるのです。そもそも、「合わない」仕事へ飛び込んで行った、という所から無謀です。



仕事の内容、業務についてあまりよく考えず飛び込んでしまうと、大破する、という結果になりかねません。「自分のことを良く知らない」ということは、何も予備知識もなく、準備もなく仕事を選んでしまい、その仕事を始めた途端に発達障害の人間が一番苦手な「いきあたりばったり、予測できない、経験したことのない挑戦」を強いられる可能性が高いのです。


成人してから仕事で精神的に大打撃を受けるということは、それだけ自分が、自分について知らずに暮らしてきた、自分の良さ、苦手を駆使して「より楽に、楽しくやれる」方向性を模索してこなかった、ということにもつながります。18年の学びと工夫の積み上げがあって、その後の何十年の人生を生きやすくするか、18年をやみくもに過ごして、その後の人生を困難にまみれて生きていくか、このどちらかになりやすい、というのが現実だ

と思います。



ここまで書くと、「なんと厳しいことを言うのだ」と言われるかもしれませんが、私達の一族の間では、この内容は小学生時代から耳にタコができるほど言い聞かされています。なぜなら、私達の生きていく目標が、成人したら仕事をし、自立すること、とされているからです。大学を出たら家も出て自活する、と期限も切られています。そして自分に合った仕事でそれなりの喜びや楽しみはあった方が長続きするからいい、稼いだお金で生活するだけではなく、社会に税金として納めて義務を果たすこと、そして自分の求める楽しみ(自分を研究して探し出した趣味や興味)にも使うといい。



こういった目標に必要なのが、幼児期、児童期、18歳までの青年期における自分の性質や特徴を知り尽くすことです。苦手や比較的楽にやれること、得意な事、どういうタイプの友人や仲間が好きで良い関係性が持てるか、自分の勉強の仕方や毎日の過ごし方はどうすると快適か、一人好きタイプか、小グループ好きタイプか、たくさんの人間と浅く付き合うのが好きなタイプか、など、本当にいろいろと自分自身について知っておくことなのです。そうじゃないと、まず仕事の職種が選べず、仕事が決められません。またある程度、大学に入る頃、入った頃ぐらいまでに自分に向くだろう、やりたい、というターゲットや素材(音、色、物質、サービス、技能、なんでもいいです)を認識しておかないと、それを仕事に結びつけようという意識が維持できず、モチベーションを見出すことができません。逆に、自分の嗜好を熟知しはじめると、「これだ」と確信が持てるようになってきますので、大学を卒業するまでには「こういう仕事がしたいし、その中で自分に向く環境と人のいる所をさがしてみよう」という道筋ができます。



ここまでベースをつくったとしても、実際に働きだすと、「仕事の業務内容はやはり合っていた、自分の嗜好にも合っていた。モチベーションも持てる。でも仕事場の環境があわない。人数が多くて雑用や人間関係に力がそがれる」など、100%の結果は出せないです。ですがある程度、精神的な余裕を持った修正ができるんです。業務内容がぴったりでやっていけるのなら、少人数のマイナーな会社へ転職してやっている親族はたくさんいますし、3年~5年だけその会社で頑張って、業務を一通り覚えてからフリーランサーになって独立したりもします。


私も転職しましたが、それは業務内容が理由ではなく、会社の勤務スタイルや社風が合わないことでのチェンジです。やや思いつめてうつ病になりましたが、その理由が自分でわかっていたので回復は早かったです。転職しつつ自分を回復させるだけの、精神的余裕がそれでもあったと思います。具体的には、評判の良い、若者が満足できると言われていた、いろんな革新的な融通の利く会社でしたが(フレックス制で出勤・退勤時間が自由設定できる、働く部署をトップダウンではなく、(社員にも開示される)能力別に決定してもらえる等々)、私にはもっと伝統的でお堅い、時間もルールもはっきりと変更が少ない会社へ移動したほうがぴったり合いました。革新的な会社の方では、自分の評価がどう会社の中で査定されていくのかなどの概念がごちゃごちゃして、むしろ把握しにくかったので落ち着きませんでした。仕事に集中できない感じです。その後、転職した会社では業務そのものに集中できました。マイナーな会社でしたが、気持ちよく仕事ができました。



会社を変えたり、働くグループのタイプを変えたり、独立したり、そういった環境調整は可能なのです。働き出して、社会人になって、勤め出してから「この仕事は合わない。自分はどんな仕事が合うのだろう」と自分探しと仕事探しを同時にやりだすのはリスクが高いです。仕事というのは、お金と引き換えだけあって、責任を伴った「やらなければいけない」事だけで構成されます。やりたくない、とか、できない、が沢山ありすぎると仕事には到底なりません。最初はどんくさくて許されても、それは1年の新人時代ぐらいであって、その期間にある程度、どんなに不器用でも「そこそこ自分でやれてるな」と思ってもらわないと、会社で必要とされる人間にはなれません。つまり、自分で「不器用でも工夫したら60%~70%ぐらいはできる。80%、90%できるなら天職」というぐらいになりそうな、めぼしい業務内容をあらかじめ目指して就職する必要があります。



親族と結婚したパートナーの何人もが、この問題に直面しています。何をしたらいいのか、自分が何をしたいのか、自分がどうすればいいかわからないけどなんとなく勉強して、なんとなく大学へ行き、就職する時に「この仕事してみよう」となんとなく決めて入社したら、全く予想もしていなかった「仕事」という厳しさと、自分がコントロールできない、全く対処できない業務内容と、そのために批判され責められるだけの人間関係になってしまい、何のために仕事をしているのか、意味も意義もわからなくなってきて・・・だけど仕事は勉強とは違いまったなしで、毎日、次から次へと要求され、結果、休む間もなく考えて考えて、頭を酷使してしまい、精神的に自分を追いつめ、ここで初めてひどいうつ病を経験する・・・というパターンがもう定番といえるほど、よく見られるケースとなっています。



もちろん、伴侶である親族は、そうしたパートナーと出会って結婚しているのですから、伴侶の回復のために共に歩むのですが、そこからの道のりは見ていてもかなり大変です。培った20年、30年の間の思考回路の癖や、特にネガティブな言動の根源となっている認知の仕方、定型と非定型の価値観のズレにおける混乱、これまでのマイナスな経験からの影響、こうしたことで自信を失くしてしまい、動く力すら残っていないことがあります。ですので、自分探しをして自分の課題に取り組む前に、精神的打撃、うつ病という疾病まで治療する必要があります。結婚前の家族との機能不全家族の問題やアダルトチルドレンの問題を抱えていれば、まずそちらの回復が先になりますし、集団社会での苦しい経験からうつ病がひどいのであれば、過去の経験を振り返って、自分の発達障害の性質とそこから来る定型社会との齟齬についても知って行かなければ、心が晴れないのです。


こうした内面の対応をして、自分というものを確認し理解し、そして精神的落ち込みから回復し、落ち着きを取り戻して心の安寧を取り戻してから、さあ、次は仕事、となるので「自分の育て直し」には時間がかかっているというのが現状です。夫の場合は、私との交際期間に内面の振り返りと、疑問に思ったりおかしく思っていた過去について探求し、落ち着きました。自分が発達障害であると知らず・診断されていない状態でも、「自分の違和感、困難の原因を知りたい」と思う気持ちがあり、そうさせたのです。結婚後に共同生活、転居、育児という生活の変動があって、また再度、精神的な揺さぶりがあり、アスペルガーと診断され、そこでも四苦八苦しましたので、実際に彼が「自分の心がどこまでも安らいでいて、楽しい物があると感じて、嬉しいとか、幸せだと感じられる」状態になるまでは約10年かかっています。(そのうち、結婚後の変化と仕事が原因でのうつ病には2年以内と比較的早く復活しています。)



小さい頃から自分というものを「当たり前」に知っていこう、自分の至らない部分をもし発見してもそこを少しだけでもカバーできるように、次々と知恵や工夫を覚えて行こう、という作業さえ18年間していれば、こうした「定型社会の集団の中で頑張った子ども・学生時代の苦労」+「社会人になってから自分と向き合わざるを得ない苦労」+「会社での苦悩」+「結婚という吉事でも揺さぶられる不安定さと混乱のある自分自身への苦悩」という、「育ってきた年数」+「社会デビューしてから自分探しと自分育てにかかった10数年」という、苦労、苦労、また苦労、不安、失望、挫折、混乱、という耐えがたい、とてつもなく長い生まれた時からの長期にわたる精神的圧迫を受けた生活を送らなくてもすんだのでは、と思うのです。



だからこそ、自分が子供を持った時、その子の18年の間の子育てに、こうしたパートナーさん達はものすごく真面目で意欲的に取り組んでいるように思います。「自分のような苦労をさせたくない」と言い、突拍子もないはずの私達一族の習慣やルール付けを、「こういう場合、そうするのはなぜ?どんな効果があるの?」とか「このルール、習慣は何か理由があってやってる?」とか、頻繁に情報収集をされている様子がうかがえます。私達夫婦もそうですが、一族の育て方と自分が育ってきた過去は違いすぎて、お互いの話をすればするほどお互いに発見が多いので、すごく会話が多いです。その中で、「ああ、自分の子供にはここは言っておいた方がいい、これだけは知識として身に着けておいた方が、自分のように困ることはないだろう」というような、育児におけるこまごまとした小さな目標が夫婦間にできていきます。私達の親や、祖父母、年長者達もそういう気持ちで、子供達を育ててきたのだろうと思います。



発達障害であることを早期発見できた、もしくは発達障害かもしれない、と思われている保護者の方がおられましたら、こうした私達の経験を踏まえて、無駄にはならない、どちらかというと子供が社会人になった時に絶対に役に立つはずだから、ためらいなく療育の機会があるならそれを受け、自治体で一般的な知識でもいいので教えてもらえるのならば教えてもらい、その「一般的なこと」からスタートしてじょじょに、自分の子供の性質を自分や周囲を参考に「この子のオリジナルの傾向はこれ、それとこれかも」と発見していただき、そこを伸ばせるものは伸ばし、凹みは「どんな工夫をすればこの子にはやりやすいか」という試行錯誤を、地味で地道な作業で面倒かもしれませんが取り組んでいってほしいです。自分の傾向、というものをはっきりと自覚しながら生活すれば、それはすなわち、直接的な力となります。社会人として会社デビューをしてから本当に役に立ったのは、こうした「自分の傾向を知ってる」からこそできる工夫であり、対応であり、自己コントロールでした。これは一族の人間がよく言う、親のしてきたことに感謝することの一つです。



自分の傾向を知っていれば、一度に同時のことを迅速に対処するのは苦手だけれど、一つ一つ、順序立てて取り組めば素晴らしい出来が望める性質なのに、自分を知らなければ、例えばアルバイトにスーパーのレジ打ちを希望し、「レジを打っている最中にお客のクレームを受けてレジの打ち直し、並んでいるお客の対応、袋をよこせと急かす目の前の次の客」という迅速な同時作業を頻繁にしないといけないような業務を、何も考えずに選んでしまい、自分に自信喪失して「私はまともにアルバイトもできない」と絶望してしまうようなことになります。自分の性質を知っていれば「選ばない」でしょう。むしろ「俺は単純作業で力があるから、とにかく野菜を運んで運んで、運べば時給の上がる市場のアルバイトやるわ」と、高校生でも判断できるようになってきます。(息子がアルバイトを決めた時のセリフです)「なんとなく、レジ打っとけばよさそうだからコンビニのアルバイトやるわ」というような、自分の性質と仕事内容を全く比較もせずに無謀な挑戦をするようなことはなくなります。



社会で無理なく、ストレスなく自立して一人で生きていけるか、というのは、子供の頃にたくさん学ぶ時間のあるチャンスに、どこまで自分を掘り下げて理解して行けるかにかかっていると思います。でもその因果関係は子供には全くわかっていません。ただ、親がそういう風にしつけてくるから、そういう風に接してくるから、「習慣として」身に着けてきただけです。親が子供に「自分探究」という命題を育児に入れるか入れないか、で結果が大きく変わってくるのだと思います。社会に出てそこそこ働くことができて、一族以外の人と結婚したら、その人はとてつもない苦労をしていた・・・しかも、自分についてどうしたらいいかがわかっていない中で必死で努力して疲弊している・・・。私の伴侶もそうですが、「自分についてもっと知っていたらなあ。親はまさか、俺が自分自信に興味がない、自分がわかっていないなんて思わなかったんだろう。どれだけしなくていい苦労をしてきたことか・・・子供にはそんな目に合わせたくない」というのが、心の底からの叫びの叫びのようでした。


この記事は、書くとかなり厳しい内容になってしまっているからどうだろう、と長い間、下書きのままにしていたのですが、夫と、夫と同じ立場の今では親族となっている外から来た伴侶の方々から、「発達障害の子達の子育てに四苦八苦している人に、今の苦労、特に18年かけて教えていくことの苦労は必ず実る、子供達が社会人になったときに、その時代の思考錯誤に助けられるから、と伝えるだけでも書く価値はあると思う。」と言うので書いてみました。



伴侶達が経験してきた苦労を、「これからの発達障害の子達は経験しない」ようにこの文が少しでも自己探求を促す機会となればいいなと思っています。







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