本日2つめの記事です。


ゴールデンウィーク明けから、不登校をしていた親族が学校へ戻ったのが、三分の二ほどいるということに少し触れました。そのことにも少し関わりがある内容なので、本日2つめの記事として書きます。


不登校のうち、環境的な問題(いじめ、無理解)で不登校をしている子達はまだ残っていますが、子どもの弱さや認知の歪みなどが原因の子達は、大人との話し合いを通じて「また、やってみよう」と思いもどってみたように思います。また良くない結果が出るかもしれません。ですが、再チャレンジしようと思うほどには自分を見直して、納得して出かけています。


いくつか、時間はかかったけれどかなりハードな話し合いをしていた親子を知っていますので、ご紹介します。


一つの参考例として、「クラスの中で泣いてしまう子」を出します。


この子は、低学年はそれなりにやれていましたが、3年生ぐらいから登校することに尻込みしたり、学校で泣くことが増えて、結果的に周囲から疎まれたりして浮いてしまい「居場所がない」辛さで不登校となりました。


親のうち、お母さんが子供と似たタイプで、「ここは大事な事を学ぶ時期だ」と腹をくくりました。4月半ばから、子どもはぼちぼちと登校し始め、ゴールデンウィーク明けからは一日も休まず登校しています。やったことは、粘り強い話し合いです。話し合いの目的は、「弱い自分から目をそらさず、完璧な自分だけを好きにならず、できない自分のことも大目に見て少し優しくしてあげる」自分になること、です。


なんだそれは?

と思われたかもしれません。いつも泣く、気の弱い子が、なぜ、「弱い自分から目をそらさず、完璧な自分だけを好きにならず、できない自分のことも大目に見て少し優しくしてあげる」必要があるのか。


この子と過ごせばわかりますが、泣くとき―正確には泣く状況―に特徴があります。学校ではほぼ、「違うぞ!間違ってるぞ!」と指摘を受けてクラスメートからの注目を浴びた時や、学校で何かに失敗すると、クラスメートから見られていても1人しくしく泣いていますし、家ではできなかったことがあると泣きませんが癇癪で転がりまくったり、「もう!」とイライラしたり、短気な面があります。


大人達で観察したところ、見た目の気の弱さにまぎれてわかりづらいのですが、この子はいわゆる「完璧主義」な自分を秘めており、できない自分を直視できない弱さから、それを忌避し、周囲から指摘されると心臓をつかまれたかのように青ざめて胸が苦しくなり、泣いてしまいます。


つまり、「できる理想の自分」が「できない弱い自分」を常に見張っていて、できない部分を許さずに毎日を過ごしています。自分一人でいる時には、癇癪やイライラという自分いじめのようなある種の自傷ですみますが、他人から「できてない、間違っている」と指摘されようものなら見られた、知られたと絶望的に傷つきます。まるで他害を受けたかのようなショックを受けます。


これが度々重なると、学校へ行くことで「弱い自分を指摘され心臓が止まるかと思うほどドキッとして苦しくなり、深く傷つく」ことが怖くなり、また確かに傷ついているので、集団生活に入れるパワーがなくなり、学校へ行けなくなります。


親子の話し合いでは、この上の状態を親が「今のあなたはこういう状態だ」と知らせたうえでされました。そして、傷ついていることを理解した上で、


・クラス全員の中で間違いを指摘されて、「ほんとだ!あー間違った!」と言って済ます子と、ショックを受けて泣いてしまう子の違いは何か


を話し合いました(私もそこに立ち会っていました)。親族の子は「自分は勇気がない子だから」と言いました。「我慢しても泣いてしまう。我慢しても我慢できなくて泣いてしまう。たぶん自分はほかの子みたいに勇気がない子だから」という解答です。お母さんは、


「我慢しないといけないのは、どうしてか考えよう。何をそんなに我慢しないといけないのか、それがわかっていないと、これからもギューっと心臓が痛くなる思いを続けてしまう」と、話し合いの真相に迫りました。


それからは、「お母さんが見ていて思う事」をいくつか、箇条書きにしつつ、話して見せました。


・新しい漢字を勉強する時、書き順は読もうとせず、四角い箱の4つの仕切りも無視をする割には、お手本のように書けないと「イラッ」としたり癇癪を起こす。


途中の書き順や形のバランスを先に知る過程が大事で、だから先生も親も「この部分から書き始める、この四角の仕切りの、真ん中あたりに線を書く」などを見ていくように指導はするけど、あなたはよくすっ飛ばすよね。「はしょる」「ぶっつけ本番でやりたがる」「でも一発で成功したがる」コツコツが嫌いな手抜きな性格になり、それなのに「間違う事は大嫌い」「間違う自分も大嫌い」な状態になる。


でも、面倒でも農作業は好きだよね、はしょらないで何度も試して、何時間でも粘り強く失敗しながらやっているよね。好きな事は手を抜かない、すごく集中する。こういう自分のこと、言われたらわかるかな?漢字の時の短気は、なんだかやっていることがおかしいって、自分でもわかるかな?


・大人から説明を聞いている時や、お友達から話しかけられた時、「ちらっと時計を見る」ことや「消しゴムで消し続ける」「靴を脱いだり履いたりする」ながら聞きをして、嫌がられることが多いけど、兄弟や大好きな人に同じように他の事をされて「ながら聞き」をされようものなら、あなたは「ちゃんと聞いてよ!」って怒り狂う所がある。


つまり、他人から嫌がられても、はっきりと「それは不快だ」と言われても、傷つかないしまったく自分は気にもしていない部分があなたにはある。「やめよう、それは不快だ」と言われても嫌われることをうっかりだと思うけど、でも堂々とやる勇気はなぜかある、と思われている。そして自分はしてもいいけど、他人がすると許せないという心が狭い人、わがままな人、と言われて仲間はずれされることがある。


こういう、あなたが気づいていない、気にしていないだけで、「できていないこと」は子どもだからたくさんあるんだよ?でも指摘されても叱られても泣かないのは、ただ「自分的にはあんまり大事と思わない」からだよね。気にならないから。でも、人から嫌われてもやるって、ずいぶん勇気あるし、大胆だし、図々しくもあるよ?


泣いてしまう事と、嫌われても、ダメって責められても平気な事と、その違いはただ、「あなたが(許せないと)決めているだけ」なのがわかるかな。



等々、いくつかのエピソードを交えて、耳に痛い話なのですが、目的の「弱い自分・できない自分を許さない」この子の思い込み方針と、外から見えている「マナーとして治した方がいい弱点は完全に自分に許して放置している」この子の実態を、そのまま抜き出して、実社会での「矛盾」をはっきりとつきつけることをこのお母さんはしました。


子どもの「こだわり」は子どもの思い込み視点からの「弱点(できない自分は受け付けられない)」であり、でもまだ10歳で、子どもとして、言われても現実的に「できていない」、取り組もうと思いつつもそれほど気にしていない「弱点(気にしてないし出来ていない)」があるわけで、そもそもどんな子でもできないことが多い年齢の子どもが、


「理想の自分」が「できない自分」を思い込みで毎日見張って目の敵にしてイライラして、しかも他人にその「できない自分」がばれると大ショックで泣いてしまう・・・ということがおかしな思考回路をたどっている、と指摘しました。


失敗してしまう自分、弱点がある自分を嫌がって、嫌って、毎日癇癪して怒っていると、その弱い失敗してしまう自分は、毎日毎日傷つきながら我慢していて、とうとう、皆の前で「お前それ違うぞ!」と言われた時に、「できる理想の自分」に怒られたこと全部を覚えて気にしてるから、どっと出てきてドキーン!として我慢できなくなって、弱い失敗しちゃう心の中のあなたが我慢できずに崩壊して泣いているんじゃないの、というようなことを絵に描いて説明していました。


毎日、癇癪を起こしてイライラする「できる子」と、失敗してイライラされる「できない子」が共存していて、「できない子」が中に居ることを一切認めないで生きているから、他人から言われると


できる子は「恥ずかしい!」とひどくショックを受け

できない子は「やっちゃった!ああ、あんなに失敗が怖くて間違えないように祈ってたのに」


の両方が心で爆発するから、あんなに我慢ができないぐらい苦しくなるんじゃないか、と言われて、ぽろぽろ泣きながら


「皆に見られた時、恥ずかしかった。自分がしたことがものすごく大変なことに思えるし」

「絶対失敗したくないってびくびくしてるのに、皆にばれて全員から見られるし」


と心の中の葛藤を吐露しました。親ができることは、自分の「今」のそのままを受け入れるように認知の歪みを通さず、現実に起こった事と、親の解釈を照らし合わせて子どもが自分の理解をすること、そしてそれからの対策です。


大事なのは、納得して、次につなげることです。


「新しい漢字を勉強する時からはじめよう、手を抜いてはしょって、書き順をチェックしない、良く見ない、でもぶっつけ本番でそっくりに書けると思い込む」手抜きな自分、はしょりたい自分=弱点とはっきりと自覚して受け止めて、手順を踏んでやることをしたのであれば、良い結果=自分の理想に近づく、ということを地道にやっていこうと目標建てて取り組む事です。


それによって、繰り返し、めんどくさがる自分=弱点、と自覚していき、その自分を「性質」として青年期までには自然と受け止めていくことにつながります。これは百ゼロ思考で繊細な面もある割には、手抜きで大ざっぱな面もあり、辛辣な話し合いを受け止める力のある子にした指導方法です。


子どもが「自分を知る」作業を手伝う時、親は核心の深い部分まで切り込んでいく辛辣さも時には持たないといけない場合があります。「気づき」を与えられるのは切り込める親だけで、また子どもの特徴をよく知っていて残酷になり過ぎない加減を知っているのも親だけです。落ち込む子供を受け止めるだけでは子どもに進歩がないのもまた、事実です。こんがらがっている現実世界での問題やトラブルの、


そもそもの根もとは何か?


そこにたどり着いて考えないと、子どもの苦悩は続きます。このお母さんは、根もとを暴く作業をしたのでした。そして、具体的な「こうしていったらいいんじゃないか」ということをリストして、親子で家で、そして学校で今取り組んでいる最中です。


少しファンタジーを持っているこの親族の子は、学校で失敗をしてどきーっとした時に、心臓を撫でながら「びくびくしているかわいい鳥さん(弱い自分)に、大丈夫だよ、やり直すから気にしないで、って言い聞かせてやっている」のだそうです。そういう子どものファンタジー傾向を上手く使ってしまったお母さん、よく子どもの傾向を知っていて、そしてそういう子どもを可愛いと思っているのがいいなぁと思いました。






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