この記事は昨日書いた内容の補足になります。


また、以前書いた

癇癪の記事子どもの癇癪と、向き合ういろんな方法。

子どもを観察していると、癇癪を一発で消火できたりします。「子の観察」の重要性とは。

では、癇癪の原因や観察が主題でした。その癇癪繋がりで、もう一つ記事を書こうと思います。

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発達障害のお子さんをおもちの保護者さんの中に


「今ものすごく癇癪を起こしていたのに、すっきりした顔をして、トラウマにならないかな、と心配したのにフラッシュバックもしないようだ。なんなのだろう、さっぱりわからない。」


という経験をした方が、少なからずいらっしゃるのでは、と思います。そういう経験をされている保護者は、「あるコツ」をすでにお持ちなので、子供が成長するにしたがって楽になってきた、むしろ大きくなったら、親を信頼してくれて、優しいし、策略的な所が全くないし、とても良い関係が築けている気がする、と感じておられることがあるのではと思います。



それは実は、発達障害の子どもの立場から説明ができるのです。



先に書いた記事の中で、「癇癪は子どもにとってもとても苦しいもの」と書きました。



精神を錯乱させるもの

抜け出せない心の不安に溺れるようなもの

すべてが崩れていくような恐怖感をともなうもの

時には心拍数が上がって心臓が実際に痛くなるもの

泣いても泣いても、何かがとりまいているような恐怖

頭が熱くて熱くて、何が起こっているかわからないもの

体が冷えて、足の力もなくなって気を失いそうなもの

思考停止して、周囲が白くなり無知覚となるもの



こうした混乱が癇癪でパニックしている時に感じるものです。なので、話しかけられても時には抱きしめられても怖くて聞けない、受け入れられないことが多いです。


癇癪やパニックの悪い点は、そこで終わらず、上に書いたような不気味な恐怖が「リアルな体験」として体にも心にも、記憶にも刻まれてしまう事です。そしてふと思い起こす機会があると、フラッシュバックしてしまい、また混乱とパニックに引きづり込まれる・・・。


この悪循環をストップさせられた人が、先に書いたような「あるコツ」を持った保護者さんです。

そのコツとは、原因究明をしてそれを子供に丁寧に説明する時、また子どもを観察していて「あなたはこんな風だったけど、~なことに困っていたんじゃないの?」とフォローをする時、あることをして子どもを救済しています。子どものパニックになった時の感情について、はっきりと名前を教えてあげています。


子どもが忘れられないぐらい不気味な体験は、実は


人前で大失敗をした


人から指摘されて注目を浴びた


皆に自分がしくじったことがばれた


というようなその時の回想を親子でしている際に、


「突然の指摘でビックリして、最初はショックで頭が白くなったんだね」


「思考停止してるけど、皆からは注目されているのがわかって恥ずかしいのと・・・失敗がばれたショックがあったのかな」


「一番つらかったのは、クラスでの自分のポジションが、評価が下がるような事が起こった衝撃じゃなかった?皆に失敗したことを知られたくなかったのは、自分がクラス内で気を付けて築いてきたものが、そこで貶められたと絶望したんじゃないのかな。」


など、その時に感じた「何も考えられなくなった」「すごく辛くて我慢できなくて泣いた」というような、子どもの言葉をひとつひとつメモをして、前後の状況を合わせて考えて、「ああ、この子はきっと、こういう風に傷ついたんだな」と感情の一つ一つに


「突然でビックリして」


「頭が白くなるぐらいショックを受けて」


「しくじったことが知られて恥ずかしくて」


「自分が下がったような衝撃を受けて」


「評判が落とされた、という辛さ」


というような、名前付けをして解釈、説明してあげています。これに、子どもは「うん、うん」とうなずき、「そう、そんな感じだった」と納得しつつ一つ一つの場面での自分の気持ちを再確認しながら理解し、状況を理解するための親子の情報交換が終わる頃には「つきものが落ちたように」すっきりとします。
そして、落ち着いて「あなたの弱さについて見直しして、対策を練ろう」という次の話がしっかりとできる感じです。



発達障害の子どもだけでなく、大人もですが、自分の感情が何であるかを把握することが特性上できないことが多いです。そのため、その「もやもや」や「心臓が縮むような怖さや辛さ」「ショック」を咀嚼できないと、延々と何十年と覚えています。


逆に言うと、ショックを受けたその時、その都度、その「気持ち」に親や第三者との話の中で名前を付けられたり定義づけされると、ストンと腑に落ちて、その気持ちに折り合いがつき、それ以上思い悩む事がなくなります。


これは大人の発達障害の人にも言える事で、うちの親族のパートナーさんの多くは、伴侶やカウンセラーさんと「過去の辛かった記憶」を話し、その時の自分の気持ちを「それは悲しかったんだよ」とか「理解されなくて悔しかったのかな」とか、「周囲から見放されたような気がして~したんじゃないかな」と解説されたり定義されたりすると、


「ああ、確かにそんな感情だった」


「そうだったんだ」


と思った瞬間にストンとつきものが落ち、それから思い出しても何ともなくなった、という人が多いです。つまり、自分で訳の分からない感情をずっと持ち続けている事こそが負担であり、ストレスであり、また持続して自分を傷つけている状態で、ひとたびその状態を「悔しかったのだ」「悲しかったのだ」と理解すると同時に、苦しい記憶の呪縛から解放されるようなのです。



感情を定義づけしてくれた親は、子どもにとっては「長く続くだろう心の負担、苦しみ」から一気に解放してくれた救世主ですから、その感謝と信頼感は並みではありません。先の記事にはこの大事な点が書きこめていませんでした。ですが、最も大事なのはこの「自分の感情に決着をつけられたこと」なので、補足として書き足しました。




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