ブログを「書いている」側、情報を発信している側の私ですが、日常生活では「情報を受ける」「情報を仕入れる」立場の方が多いと思っています。そのことで、親族の親達はよくやっていることがあるのに気が付いたので、書いておこうと思います。



情報を処理する「器」である人間は、自分一人の時にはあまり意識しないと思いますが、大人になり、子どもを持ち、「人を育てる」親となるとあることを意識するようになると思います。それは


「親である自分が決めていかないといけない」ということであり


「子どもを育てること、全部に関して、自分が責任を負っている」気がすることです。


まあ、幼稚園をどこにするか決めるにしても、塾はどうするか、習い事はどうするか、お友達と揉めたと聞いたら親としてどうしようか、こういうことを考えるようになるという事ですね。


それだけなら、なんとかやっていけそうなものですが、発達障害の子どもを持つとなると、さらに


決めないといけない事

選ばないといけない事


が増えていきます。しかも、毎日、色んなことで「この子にどう対応していけばいいか」ということについて、嫌でも向き合わないといけない、泣き叫ぶ子や癇癪する子が目の前にいれば、嫌でも向き合わないといけなくなります。自分が望もうと望むまいと、向き合わされる、という現実がどっとやってきます。


多くのお母さん、お父さんが発達障害の子どもを育てている時に感じる疲労感というのは、この否応なく、どんなに小さいと思われることでも親として向き合わないといけなくなる、向き合わされる瞬間が終わることなく、また連続して、収束することなく次々とやってくる・・・ということにあるんじゃないかと思います。


どうしたらいいか、決め続けないといけない

どうすべきか、選択し続けないといけない


誰に相談するかすら、考えて選択肢ないといけない

どこから、どんな情報を得るかも考えないといけない


相談し、アドバイスをもらったとしても、それをどう使うか考えないといけない

園や学校に、どう報告したらいいか、どう関わってもらうか考えて伝えないといけない

伝えたら「どうしたらいいですか」と聞かれるので、その都度返事しないといけない


子どもに対応した結果が良かろうと悪かろうと、次にどうするかを成長を考えて準備して行かないといけない、そうしないといきなり色んなことに直面するのでは身が持たない


なにより、子ども自身に、どうしたらいいの、もう嫌だと言われたり無言で反抗され暗に言動を期待されたり、そういう「要求」はひっきりなしに受け続ける



そういう、続けざまの「考えて選んでいかないといけない」状況に圧倒されて疲弊する、ということが発達障害の子どもの親には定型の親よりもずっと多くなるのだと思います。


例えば、発達障害の相談センターや児童相談所の支援センター、学校や児童デイから支援を受けても、その支援を受ける決断も支援を受け続けている間のやり取りも、プラスアルファで考えていかないといけない親の仕事になっていきますよね。


どんな人間でも、せっぱつまって考えないといけない状況が続きすぎたり、考えないといけないことが日々増えていったり、しかもそこにそこはかとなく確信できない物、将来への不安などが合わさると、心理的負担も相当なものです。


私達親族の親は、かなりの数が発達障害の特性を持っています。生来、器用ではないのにこういう状況に入って行かざるをえないわけですから、自分を救う技を発揮しないと、子どもをサポートする前や途中に疲弊して挫折してしまいます。


ではどうするのか、ですが、


「ああ、私ちょっと疲れてきた」

「頭が回らなくなってきた」


となると手遅れになる事が多い特性持ちが多く、寝込んでしまったり、うつ病に突入したり、身を守るために無意識に周囲を遮断して完全自閉の状態に籠ってしまったり(特性全開)します。ですのでその前に、他の家族に子どもと、子どもへの対処を任せて休息を取ったり、一時保育や児童デイをフルに活用して他者に任せたり、ということをします。



そうなる前に自分の疲労を予防することとしては、


単純に、「子どもを見る(知る)こと以外はやめる、しないようにする」ということがあります。


これは、


教える

説明する

定型の世界をわかるように通訳する

促す


ということを、できるだけ自分ではやらずに他の大人にやってもらうようにして、気力が回復するまで「知る」ことはするけど、「何かをすることはしない」ようにします。


自分しかやる人がいない、という場合は、上記は最小限にして、ホワイトボードに書いたりスケジュールを指さすなど「促す」ことはしますが、自分が疲れている時には教えようとしたり説明しようとしても、上手くいかないことが多いのであきらめておくんです。


子どもには「今、お母さんは疲れているから、いつもみたいに説明したりこうしたら、というアドバイスができない。お母さんが元気になったよ、というまで、とりあえず1週間、今までに大人からアドバイスとして言われたことを思い出したり自分サポートのノート(*)を見たりしながら自分で自分のことをやってみて。失敗した、とか、相談したいことがある、と思ったらノートに書いておいたらいいから。元気になってからそれを見てお話しするからね。」


と伝えて、いわばその1週間はこれまでの成果を試す「子どもの自立試験」のようにやらせておいて、自分は休憩に入ります。



そこまで深刻ではないけれど、もっと気軽にできる「疲労予防」としては、


・周囲から得られる情報を取りすぎて情報過多、混乱に陥らないように、「自分の子どもに合っていると確信できる内容以外は捨てる」


ということをしておきます。万が一役立つ情報を捨てて忘れてしまっても、情報は後でまた拾いなおすことができます。インターネットで探したい時に探せますし、支援者にはまた聞けばいいですし、本はまた借りたり読み直せばいいのです。


どれもこれも、得た情報を使おうとすると、例えば発達障害系の本、人からのアドバイスを「加工せず」そのまま使うと大失敗することもあります。自分の子どもに合った内容であることが、何より重要だからです。


その選択だけして、あとは断舎利的に捨てていく。


外から受ける情報を最小限にそぎ落とし「子を見る(知る)」を生活の中心にしていく。



これをするだけで、周囲に振り回されることも少なくなり、また「やらなきゃいけない」感じから解放されます。どちらかというと子どもを知れば知るほど、「サポートしないと!」という身構えが減って行き、「あれ?こんなことだけでいいの?」と思うような、あまり努力しなくていい、力まなくていい、疲れない自然な親としてのやり方というものに出会う事があります。



お母さんが、お父さんがエネルギーがないと、心が健康でないと、「生きているというのはエネルギーを保つ、心も体も健康でいること」という人間の有り方が共に生活している子どもへ身を持って教えられず、すべてを支える基礎がぐらぐらしてしまいます。そして「疲れたならこうして休むのが人として当然」と教えることも、また人生で子どもに教えられるもっとも大事なことです。休んで健康になる姿を、実例として見せるのです。


生活できるだけのエネルギーを最低限は保持し、心と体が健やかであるためにも、親も自分に関心を持って自分自身を「生きやすいように」大事にしていくことが一人の人間としての自分の自由の一つです。そしてそれは誰からもそれは妨げられない、一人の人間としての権利です。


心と体の健康は幸せを感じるには必要なことなので、世の中の発達障害児を育てる親御さんには自分の状態を見直すために「最低限」はクリアしているかな、と一度考えてみてほしいな、と思います。



*自分サポートのノートとは、親族の子達がよく書いている日記やメモのようなノートです。「~してしまうときは~したらうまくいく」みたいな、自分法則、自分ルールを書いている子もいます。



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