私たち一族の中でも、都心に住まう一族と田舎に住まう一族で、特性の出かたや二次障害などの症状の違いがある、と感じることがあります。その部分について、少し書いてみます。

 

発達障害の子供を育てる上での取り組みや考え方は、互いにシェアをして、環境調整を優先し、その上で、その子の、自分のできることを模索して工夫していくことは共通しています。

 

大きな違いは、「体全体を動かす運動量」であると、私たちはひしひしと感じています。都心に住まう親族の多くが悩まされているのが

 

睡眠障害

 

子供の夜驚

 

幼い子、大きくなった子問わず二次障害へ傾きやすい

 

という、この3点です。夜驚は特に家族が睡眠不足になるなどつられて体調不良が怒ることがあるので、田舎に帰省した時に様子を見て療養のように、田舎に長期滞在したりすることも多いです。

 

夜驚については原因は私たちも詳しく知りませんし、担当医師からも多くは「成長すると次第になくなる」と様子見をすることをアドバイスされることがほとんどです。

 

ただ、詳しくその子が送っている日々の状況をノートに取ったり、記録を見ていくと、日常生活の中で「集団生活に入った時」や「日中に癇癪や嫌なことで泣いたり悩んだり、苦しんだりしていた後の夜」に多いのではないか、と感じています。

 

ですので、田舎で日中、今ならトンボを追いかけて、何もしないで畑の野菜や虫を眺めているとか、川べりで葉っぱをひたすら流して遊んだとか、平々凡々とした生活を数日送ると、不思議と夜驚が減ったり、またはぐっすり寝て起きない、という子も多く見られるのです。

 

私たちは脳の作りが、「嫌なことを延々と覚えている」というネガティブな記憶を増幅させる機能をどうやら備えているようなので、日中に乳幼児が「自分の手に負えない」ような集団生活での困難や、本人が辛い、悲しいと思うことが度々あり、それを体験した場合、夜の寝ている時間帯に「脳が記憶を整理する」段階においてあまりにその記憶が辛く、夜驚となるのではないかと予測してみたりします。

 

こうした予測と同じく、児童期や大人の睡眠障害も、原因の根本はネガティブな思考の増幅が脳を支配している可能性がある、という面を鑑みて、睡眠が快適に取れない特性があり、それが体調を害するとか精神的に辛いと感じる人は、それなりに対処をしようと試みています。

 

ただ、例外もあり、例えば私ですが、在宅で仕事をしているのですが、睡眠は1日5時間や時には10時間など、睡眠時間が一定でなくても、例えば夜更かしをしても、または短時間でほぼ徹夜状態になっても、体調が悪くならない、精神的に悲観的にならない、むしろ「睡眠は寝たい時に寝れば心身ともに健康で害がない」人間もいます。

 

夜に寝ようとしても何時間も寝れないタイプの私は、それなら起きていて仕事をして、眠くなったら4時間ほど寝る、といった短時間睡眠で生活できますし、睡眠不足に傾いてくると自然と眠くなる夜があり、その時は10時間まとめて寝るなどができることがあります。仕事という生活の糧を得るのに支障がなく、また日中の活動にも支障がなく、なにより自分の心身の健康状態が安定している時には、こうした睡眠の不規則さや「寝ようとしても寝れない」性質でも、それほど問題にならないと感じています。

 

今回の記事は、「心身に支障が出る」タイプの人間についてです。睡眠障害で寝不足になると、日中の活動がままらななくなり、ぐったりと一日中寝ていて、結局勉強や仕事ができない、気力もダウンして、エネルギーも出ない、というタイプは睡眠も関係していることが多いです。

 

今は睡眠専用の外来が病院にあり相談もできるので、親族も客観的なデータを取ったり専門医の意見をいただくことは役に立っているようで、体調を整えるのには自分の睡眠の質や量、パターンを知るのが近道なのではないかなと思います。

 

あと、これは単純に大まかな比較なのですが、夜中に度々起きる、寝苦しい、すぐに寝入るけれど睡眠の質が悪く、万年眠気が取れないという性質の田舎の人間が、収穫の時期などに1日中、体を使って労働した時には、夜は墜落型ですぐに寝付いてしまい、寝ている最中に起きない・微動だにせず動き回らず寝相も悪くなく深く寝る、という様子を見せます。

 

つまり、人間は生物であり生き物であるので、「頭に支配されている」だけでは悩んだり苦しんだりして、その不安や苦悩から心身に影響がかなりあるとは思いますが、それを超越して、考える暇もないほどに日中の労働にまい進すると、結果として体の疲労から、その体の疲労を回復するためだけの深く質の良い快適な睡眠がとれている、ということなのかなと思います。

 

都心に住まう親族が田舎に帰省して、私たちからすすめられて農作業をやり、特に都心で悩みが多く精神的にダメージを受けている子などは、こうした農作業の過程を経ると、睡眠もそこそこ「夜に取れる(昼間は農作業をしているのでゴロゴロしない)」ようになり、1週間もすると

 

「体がなんか、元気になってきた」

 

「あんまり、夜に色々考えることがなくなってきた。すぐ寝てしまうし」

 

と、自分の回復を実感することがあります。「田舎だから環境がいいから」とひとくくりに大人が言うことがありますが、実際には体を動かす運動量がかなり違うこと、頭を使う時間数が都心ではほぼ1日中であり、田舎では頭を使う余裕がなく体をひっきりなしに使う時間の方が長い、という違いがあることからの、心身への影響もある、と考えています。

 

都心に住んでいる子達で、学校ではヘロヘロな子達でも、不登校の子達でも、武道やランニングクラブに入って体を使うことで、暇や体の不調から来る不適切言動を減らそうとしている試みをしているケースもあります。スイミングが自分には必須だと言い、泳げば泳ぐほど、自分はほどよい力の抜き方ができる、と言う子もいます。(*スイミングスクールに入るのではなく、好きな時にプール施設へ行き、好きなだけ泳ぐスタイルです)中学・高校になると、案外、陸上の長距離選手になったりと、走ることでの自分との向き合い方を実感している子も出てきています。

 

こうしたことのあれこれを寄せ集めて考えると、もし今、睡眠障害や気分のダウンで日中が不幸せすぎると感じている発達障害の特性を持つ子供や大人がいる場合は、自分の「生物、生き物としての運動量」について考えてみるといいかと思います。

 

微生物やペットなどの生き物が、常に同じシャーレ(器)の中に入れられて、動けない環境で飼われた場合、その個体は元気に育つのか、ということです。その生き物が何を考えているのかはわかりませんが、「生物」として、動かない環境で体を動かさない、運動量が極端に少ないという事は、その個体を弱らせて最も脆弱な生き物となっていくことを目撃するのではないでしょうか。

 

自分自身が知らず知らず、日々の生活の中で動かず、運動量も最小限で「生き物として脆弱である」場合は、そこでいくら「前向きになろう」「不適切な言動をしないようにしよう」と特性に向き合おうとあがいても、元気な個体のように身体的に健康的に、健やかに生きているわけではないので、力不足、エネルギー不足、気力不足となり、色んな事に取り組む前から生き物として生存しているのがやっと、という状態なのかもしれません。

 

根本的に、その生き物としての基礎、体の健康から取り戻していくことを考えたほうが、心の健康や、心が健康だからこその良い活動、良い発想、良い記憶の定着を図れる、良い試みをしようという原動力が得られるという順番になるのだと、思っていいかもしれません。

 

睡眠、運動量、健康とつなげて発達障害の人間が色んな取り組みや工夫をしていける「以前の」前提、これがないと何も先に進まないだろうという「基礎の基礎」について書いてみました。

 

 

 

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