今日は、「人と違う道を行く」ということについて書いてみたいと思います。

 

私達の一族には不登校生が多いです。しかも数か月や1年ではなく、何年も、しかも小学校という低年齢で不登校をしていた人間も多い方ですし、そうしたことを状況によっては親が推奨してしまうことも世間では道を外した人間に見えるのではないかと思います。

 

私達の目標はただ一つ、「仕事をして生きていける人間になること」であり、途切れめなく幼稚園から高校または大学まで進学することではありません。途中で不登校をしようと、就職してから大学へ進学しようと、順番や途中休憩、回り道は「その人に必要なこと」としてアリだと考えているだけです。

 

この田舎でも、今の時代は大学卒業が当たり前、または専門学校へ行くのが当たり前、そうじゃないと良い就職ができないという発言は多々聞きます。田舎でもこれなので、都心の方ではよりそうした風潮は強いのではないかと思います。とすると、不登校をしているような子達にはすごいプレッシャーがかかっているのかもしれません。

 

今回こちらに書く親族の一人は、中学でいじめに遭って不登校をしましたが、高校へ進学し、一度就職をしました。家庭では、他県の私立大学へ出すだけの教育費に余裕がなかったからです。この子のご両親は子供が発達障害を持つので、大学生活をしながらアルバイトで生活費を稼げるだろう、という学業とアルバイトの二足のわらじは想定をせず、おそらく学業だけでいっぱいいっぱいになるはず、とあらかじめ資金として生活費も準備しておく必要があると考えたのです。

 

奨学金の話も出ましたが、親と子で話し合った結果、「健康で、辞めずに働けるという未来の保障は自分には自信がない。自分の生活だけなら、きりつめればなんとかなる。大学資金が貯められなければ、今すぐの進学をあきらめればいい。調子が良い時に貯金して、貯まってから進学したらいい。

 

でも借金は一度すると必ず返済しないといけない。自分はそこまで絶対に返済できるだけの長い勤めができるかわからない。たぶん、社会人になってからコツコツ返済するということが、自分にはすごいプレッシャーになる。」という理由で、借金である奨学金を受けることはしないとの結論を出しました。

 

他の親族であれば、ここで親の方が教育ローンを借りたりするのですが、この親族の家庭は親も特性があることで、「いつ借金返済ができなくなるかわからないのに、絶対に仕事を続けて返していくというプレッシャーは心理的にきつすぎる」ということで、借金全般は一切しない方針でご両親はきました。つまり、田舎で必需品である車でさえ、買い替える際には現金一括です。それまではどんなにボロになろうと大事に乗りますし、新車が買えない時期には中古を買う、という徹底ぶりでした。

 

この親族の家庭では、高校を卒業して福祉関係の会社に勤めることになった子供プラス、親も2人とも農業以外にアルバイトの仕事をして、3人で「進学費用を貯金する」ことにしたのです。もともと、いくらかは教育費として積み立てていたのですが、それはそれぞれの子供達が地元の専門学校や国立へ行ける範囲のお金です。誰かが他県の私立に、という場合は難しくなります。

 

子供が国立へは行けそうになく、地元の専門学校でもなく、他県の私立大希望なので教育費がより多くかかるのです。また、社会人として働きながら大学受験の勉強をするのはこの子には簡単ではありません。社会人の仕事で精一杯となります。ですので、資金が貯まったところで半年年だけ浪人生活をして大学受験の勉強を集中してやり進学する方法を取り、進学は私立へ絞ることになりました。

 

親の側も、それぞれの親の老後の見守りなどもあり、その費用や、また自分たちの老後資金として積み立てているお金なども差し引かれるので、私立分の生活費・教育費をねん出していくのは容易ではありませんでしたが、実際には3年で、なんとか資金はできました。

 

子供は3年を社会人として勤め、その間の給料やボーナスはほとんど教育費として貯金し、親2人も子育て中とは違い、日中は仕事に出て誰も家にいませんので生活費もよりかかりませんから、どんどん貯金に励む、といった生活を頑張りました。

 

目標額より余裕を持って貯金ができた時点で、子供は大学受験勉強を目標の私立大学に絞って学習し、社会人入試を受けました。

 

一般の学生とは違い、社会人経験のある人は大学は社会人枠で受験できます。たくさんの学科試験があるわけではないですので、1年も浪人生活をしなくても、半年で準備はできたそうです。この子は、自分の歩んできた道を参考に、どうしてもやりたい仕事と、その資格が取れる学びたい学業分野がありました。そのやりたいことのために、時間を、年数をかけて、定型の人のように器用ではないけれど、回り道をして進んでいきました。

 

今は、その資格で仕事をしています。社会人経験で福祉の会社にいたため、資格を得たこの親族の子は同じ会社で働こうかと考えたようですが、資格そのものがより活かせるグループ会社で求人が出ている他の組織に紹介してもらえたそうです。いきなり学生から大学で資格を取り、資格を生かした高度な仕事になると特性上とてもハードになったと思いますが、この子の場合は高校卒業程度からできる仕事からコツコツとやらせてもらえていたので、その3年の社会人経験がスモールステップとなっていて、資格取得者としての仕事を始めた時に、さほどパニックなどもせずスムーズに就業に集中できたとのことです。

 

何が、子供にとって良い道なのか、ベストの道なのかわかりません。世間ではスキルのある子達は、受験という荒波を乗り越え、大学で自由を謳歌しつつ、アルバイトと学業を両立し、そして就職活動という戦場を生き抜いて、いきなり社会人としてデビューし立派に仕事をしています。それはとてもすごいことです。漠然とした未来の中に自分なりの道筋をつくるという暗中模索が柔軟にできているのですから。

 

ですがこの子のように、暗中模索では入り口でうずくまってしまい、一歩も進めなくなるような発達凸凹の子もいます。「漠然とせず、目標が明確でわかりやすい」順路をたどっていくことの方が、やりやすい子だった、ということでしょう。

 

ちなみに、この家庭の他の子供達は高卒で農家に就職していたり、地元の国立大学へ進学したりでそれぞれ、勉強嫌いな子は仕事へ、勉強好きな子は学業へと違う道を歩んでいます。

 

一般的な進路と就職という道筋をたどらなかった親族の子の一例として、書いてみました。

 

追加: 「人と違う道を行く」ことで、世間(周囲の人、学校関係者、友人知人など)から厳しい言葉をいただくことも多々あったということを、記載しておく必要はあるということで追伸しておきます。

 

主には、高卒で子供を働かせることでのネガティブなご意見、仕事を辞めて大学へ進学することへの「今さら」や「卒業しても仕事が見つからないよ」などの発言、子供が複数人いることと親の経済力のなさのご批判、不登校経験者だから「普通に進学できない」というご意見など、いろいろ、本当に色々と家庭、家族の方針や本人の目指すものを知らない人は何でも想像で言うものであるとご家族は経験しています。

 

その親族の感想としては、「世間の人が言う事は『予言』ではないのだから、何も根拠や努力、道筋などを検討して出した現実的ではない話なら、噂話程度である、と自分たちに言い聞かせて気を強く持って、自分たちの道を行く勇気がいると思う」とのことです。参考までに書いておきます。

 

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