先日の記事の補足記事なので、この記事は蛇足だと思って読んでいただければと思います。

 

というのも、この補足記事を書こうと思った理由は、私とは対照的な親族からのメールが入ったからです。この親族は、以前に記事で書いたことのある私の従弟なのですが、海外でバリバリ働いていて、私に「音楽の使い方」を教えた師匠のような存在です。

 

私は「音楽を知らない」子でした。

 

この従弟は私にとっては実の兄よりも兄らしい人で、「音楽」というものの存在を実地で教えてくれた人です。私の実家の家族は音楽にはかなり無頓着でしたので、そのまま実家のメンバーとだけ接していれば、おそらく「音楽」というものは何か、なぜ音楽があるのか、ということを全く理解しないまま成長しただろうと思います。

 

実の兄が小・中学生の年齢からメカが好きで、親族が使い古して故障し、いらなくなったラジオやプレイヤーがあればそれをもれなく引き取って、機械の中身を空けていじくりまわし、修理するような人だったのですが、その復活した機械を目当てに出入りしていたのが、この私に多大な影響を与えた従弟です。

 

従弟は私とは対照的に激情型であろうと思います。喜怒哀楽がはっきりとあり、活動的で多弁でした。けれど忍耐力がずば抜けていて、本人曰く、幼少のころにすでに精神的な打撃を受けて「二度とこんな目に遭いたくない」との思いから、自分をコントロールすることにはやっきになったようで、すでに私が知っている・よく接していたころの従弟は、激情を外に出す人ではなくなっていました。

 

そのため、激情を内側に持ちながら、その過激ともいえる内面を外に出さない高度なスキルを高校生ぐらいから備えた人でしたし、親族の中では発達障害への向き合い方を自分で苦悩しながら恐ろしいほどの成長、早さでずば抜けた自己制御を身に着けた人だと思います。ただ、それでも未熟ですから、時どき学校で対人トラブルを起こし悩んではいました。

 

私と対照的な部分があるのは、この内面の気性の部分です。私の中からは中学の頃に怒りの感情がごっそりと抜けた、と前回の記事で書きましたが、一方で激情型の従弟は、怒りの感情がまるごと体内で膨れあがる爆弾を抱えて生きている、と今も言っています。ただ、その爆弾を外に出すことなく生きているため、従弟の内面を知っている私などは猛烈なエネルギーと忍耐でもって、自分をコントロールしているのだろうと考えています。

 

しかし、それが「生まれてずっとの性質」である従弟にとっては、一生付き合っていく自分の爆弾は飼いならすことが必須であると常々言ってるように、爆発する前に「捨てる」作業がやはりいる、と言います。この点を、私はこの従弟から学んだわけですが、早くから一人悩みながら、その技を探し当てたこの親族の功績は、私だけへの影響ではすみません。多くの親族が、セルフコントロールする際の参考として助かっています。

 

彼は自分の激情型の性格が日本ではなおきつい、と感じて海外に「逃げた(本人はそう言います)」わけですが、あちらでは感情をスパッとあらわさないと逆に理解されないので、爆弾を爆発させなければ喜、哀、楽、などの感情は思いっきり出す社会のようなので、親族が無理をせず生きていける状況ではあるようです。「変わったやつが多い」という海外が、彼にはピッタリとあうのでしょう。

 

前回の記事の補足なので話を戻します。

 

私が曲を一つYouTubeで紹介しましたが、その曲を「マイナーで今は聞いている人も誰もいないと思う」と書いたことで従弟はがっくりきてしまったようです。従弟が海外へ出る前に傾倒していたミュージシャンだったようなので、多大にお世話になったとのことで。

 

私はミュージシャンの名や曲名をあまり覚える気がない、覚えないため、適当なのですが、そう言えば中学で私が自分をセルフコントロールするスキルを身に着けている最中に従弟からもらった曲のいくつかは、前回の記事で紹介したミュージシャンのものだったな、と思い当たりました。大変失礼な話です。従弟への感謝を表すため、この記事でねぎらってみようと思いました。

 

私は「気持ちが泣く」という状況を曲の中でシンクロさせて解消していくタイプですが、従弟は「怒りを浄化させる」ために、儀式のように透明性のある曲を聴くタイプです。ティーンエイジャーで多感な時期にあった従弟は、邦楽、洋楽ともに主にラジオで多読ならぬ多聴をしていましたが、その中で自分の内面を洗いあげてくれるような曲を抜き出して大事にしていくタイプでした。

 

怒りの解消には「浄化がいる」、と常々言っていましたが、その際によく聞いていたのがこの曲で、いまでも大事にしている曲だそうです。彼にとってはお経や祝詞並みの大事な音源なのだそうです。(コメントでも知っている方がいましたが、a-haというノルウェーのバンドです。今もソロやバンドの期間限定再結成などで活動されているようです。)

 

 

怒りが収まるまで、ヘッドフォンで大音響で1時間でもリピートして聞くらしいので、相当、内面を鎮めるのに多大な尽力がいるのだろうと察します。

 

何か、憎まずにはいられない出来事が起こった時には、自分の中に「汚いものを留めておきたくない」という一心で、必死で体の中から憎悪の感情を追い出す、という手段にもこうした曲を多用してきたようです。「感情の汚さと曲の綺麗さの対比」で自分の頭が冷えていく、中から綺麗になっていく気がするのだとか。

 

この「その気になる」のが大事で、自分の思い込みを利用した

回復方法である、と思います。

 

それで社会生活を平穏に過ごし仕事をバリバリこなし、日本にいる親族の子達にも気を配ってくれているので、従弟が私達に見せる、外の顔を思うと、社会に出てくるときの「心の準備」を周到にしてきた長い年月の積み重ねを、やはり尊敬してしまいます。

 

私は「暗さのある曲」で泣くような感情を曲の中で消化していくので、同じa-haでも「Rolling Thunder」https://www.youtube.com/watch?v=wMIetvJVsJc

 

など、暗く激情的な曲を選びがちです。クラシックでも選ぶと感傷的な曲になります。(例:弦楽セレナーデ ハ長調 作品48 チャイコフスキー)

https://www.youtube.com/watch?v=OuQp0-wqhUE

 

ですので、選曲が従弟とは真逆だなと感じます。人それぞれの「音楽の使い方」と言う点で「音楽を感情のコントロールに使う」部分は同じですが。

 

この社会で生きていくということは、自分の予想外の出来事に直面し続け、自分ではないもの・外界から受ける衝撃、悲しみ、辛さ、怒りなどを受け続けることでもあります。そしてそれをそのまま「受け続ける」状態にして生きていくことは、発達障害の人間には「日々のたわいない生活そのものすら、成り立たなくさせる」ことになったり、自分のことなのに自分を手放してしまうほどの混乱の原因、エネルギーを奪うそのものであるので、読者の皆さまの何かの足しになれば、と思って補足を書きました。

 

 

 


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