*一度記事をUPしましたが、長すぎて読みづらいので、「その1:特徴」と「その2:傾向と対策:の記事2つに分けました。

 

今日は久しぶりに、アスペルガーの中学生の子について書こうと思います。

 

今は、アスペルガーという診断名ではなく、総合的な名称でASD、自閉スペクトラム症とされるようになったみたいですね。この子も主治医には「昔で言うところのアスペルガー」の特性が顕著に出ている、と言われています。

 

この子はどんな子かというと、よく考えて自分の行動を振り返り、ちょっと辛いけど、いろんなことを同級生や友人から聞いて、ギャップに悩みつつ違いをなんとか、合理的な方法でつないで、穏便に過ごせるようにしようとしています。それが平和な学校生活を送るための、自分なりに編み出したコツなのだそうです。

 

よって、集団生活では自分と周囲の友人たちとの「根底から違ってる」という部分にショックを受けつつも、学ぼうという意欲が強いので、話し方から態度から、自分なりに工夫をして、それが他人から受け入れられている状態で集団生活を上手くこなせている部類に入ります。本人の素養はそもそも、特性部分があり変わらないので、案外クールに割り切っているところがあります。

 

例えば、友達との会話でも

 

「週末、みんなで電車でイオンモールまでいかない?」

 

という話題が出た時、即座に「何しに行くの。遠いし金かかるし、めんどう。」と脳内で反応するらしいです。ここを、この子は「対外的に受け入れられる言語に翻訳して出力する」らしいです。翻訳の結果、こうなります。

 

「俺、今こづかい使っちゃって金ないんだわ。残念だけど、今回はあきらめるわ。」

 

と伝えるらしいです。自分の中での翻訳は、

 

「遠いし金かかるしめんどう」

 

→「小遣いがない、金ない、だからあきらめる」

 

→本音:

「(ショッピングモールで使いたいような)小遣いがない、(趣味以外に使う、食い物や外の遊びに使いたい)金ない、だから(週末にお前らと一緒に過ごすのは楽しいけど)あきらめる」

 

という、理詰めで他人が納得いくように変換するんだそうです。「めんどう」は「残念だけど・・・あきらめるわ」という言い方にすると、すごくウケが良い、と気づいてからずーーーーっと定番の「お断りする時の常套句」にしているそうです。

 

自分の気持ちは、行きたくない、めんどう、そこを大事にしつつ、友達の誘いを綺麗に断る、それが形式美というやつだ、と自分で「社会とはこういうもの」と捉えて、案外うまくまわしています。

 

友達は「そっかー、じゃあ今度な!」と男の子というのはあっさり引いてくれるらしく、本人も自分抜きで友人たちが出かける分には全く気にならないそうです。それでバランスが取れているので、付き合いも小学校からずっと続いているとか。友人関係は良好です。

 

中身を知ると、定型の方々は「うわ、黒い思考の子だなぁ」と思うかもしれませんが、彼は自分のこの思考が「条件反射のように湧いて出る」ため、特性として自分の思考がそういう斜な、大勢に受け入れられない思考や発想であることを、小学校時代に嫌というほど経験し理解しています。その中で、SSTの先生のアドバイスもあり、自分なりに「形式美」というものを目指して、それで仲間と上手く行くようになったのだから、「それでいい」と割り切ったのです。

 

子供が割り切るというのは、とてつもなく「あきらめる事」と「自分も我慢すること」を強いられます。自然な心の感想を、そのまま出せない、出すと嫌われる、だから「形式美」に翻訳して変換する、という普通ではない工夫をしているわけなので、子どもながらに多大な努力をしているのだと思います。ただ、彼は優先事項を「友人たちと楽しく過ごしたい。そのためには、自分の自然な気持ちは自分が心の中で認めて、自分一人でかみしめて、時には黒い考えを楽しんだりしても、他人にそれをぶつけずに仲間を大事にできている自分を自慢に思って折り合いをつける」と言っていました。

 

ここまで来るのに、小学校時代の喧嘩やイザコザ、仲間外れなど、たくさんのトラブルに遭遇してきた、その結果でもあります。SSTの先生の助言が、彼にはとても「目新しいもの」であり「初めて知る事」であり「生きて行く上でのコツ」であり、人生の分岐点でした。

 

さて、長くなりましたが、そんな学びの最中の彼にもまだ対処できていない部分がありました。

その2に続きます。


 

 


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