(前回に続く)


※鏡のドームに入ると、
その世界は何が見える???


この問題は、
実際に球体を作り中に入って実験する事よりも、
自分で何とか答えを導きだそうとする、
《意識拡大》の訓練でもある訳ですね。


今、本井さんがお答えになったように、
その中では、
視点を合わせる位置空間によって、
自分自体がいろんな方向から、
変わって見える…。


大きく見えたり遠くに見えたり、
左の横顔が見えたり右の横顔が見えたり、
頭上が見えたり股下が見えたり、
お腹が見えたり背中が見えたり…。


しかもそれらが合わせ鏡のように反射して、
何重にも見える…。


つまり、
合わせる視点によって、
様々な自分と光が見えると思います。


しかも、
何も無いはずの空間から。


今まで考えた事の無い事を、
自由に膨らませて考える…


実はこれは、
実際にはどうかと言う事実より、
これからの時代にとってとても大切な考えなんです。


現在の固まった知識の殻を突き抜ける…、
そこから《時間の世界》も認識できるし、
全く新しい創造も生まれて来るんですね。


言葉では言い表しにくい、
物質である頭脳という枠を超えた、
意識の世界の入口を垣間見る事ができるのです。


※実際は、視点によって3Dのように立体的に見えるようです。
(ころりいさん情報)
https://www.youtube.com/watch?v=qR3fNTwkmx4


霊的感度の高い、
化仏化菩薩(プラーナ)が見える方も、
空を見る視点の位置をずらす事で、
別次元へと通じ、見え易くなるはずです。


よって、
空間をボーっと見る方も、
時間の世界を見ている可能性がある訳ですね。



実は26年前、
本井さんと初めてお会いした時、
こっそりと講演会に聞きに行きました。


その時に、
本井さんはこんな事を、
たくさんの経営者に教えていました。


時計周りも時計側から見たら逆回り、
螺旋状(スパイラル)も目線より上に行ったら逆回り、
左手も相手から見たら右側に…と。


※透けている時計を平面にして、
そのままの状態で下から上に移動すると、
目線の位置を境にして、
右回りの針が左回りに変わる。。


だから、
既成概念に捕らわれてはいけない、
常識に振り回されてはいけない、
常に可能性を探り、
夢と希望を持って見る視点を変えなさいと…。


先ほど、
私が言った事と同じ事を言っている訳です。


またこんな事も仰っておりました。


『人の目を移植したら、
ひょっとして赤色が紫色に変わるかも?…』と(笑)。


※本当はトマトの色は紫色なのに、
「赤」の単語にトマトを結び付け、
ただ脳で記憶しているだけでは?


後は、
『9つの点』を4本の直線で繋いで下さい…、
そんな問題を皆さんに出されましたね。


人の無限の可能性を示唆した問題でした。


それができると今度は、『3本の直線では?』、
それができると今度は、『1本では?』…と。


3本以内は、
本井さんオリジナルの答えだという事でしたが、
とても仰天しました。


※その私の講演後に、
「能力開発」の業界で真似されるようになった。


何という柔軟な発想なんだろうと。


※単なる変人です(笑)。


こう言った疑問を自らに問い、
答えを導きだそうと考える方は、
とても心が純粋で綺麗な方が多いのですよ。


これは、
「時間の世界」に住む住人の共通点でもあります。


※僕は鳥天狗か亀仙人?(笑)


しかも、
再現性と客観性をも兼ね備えていらっしゃる。


※相変わらず誉めるのがウマイ!



「ところで本井さん、
これ覚えてますか?」


※Wさんはいきなりカバンから、
色あせたレポート用紙を出された。


それは、
26年ほど前に私が書いたエッセイだった。


『へー、
まだこんなのとってあったんですか?
懐かしいなぁ~。』


「はい、
ここで本井さんの臨死(時空)体験が書いてあったからです。
実は私が実業家である本井さんに興味を持ったのは、
このレポートをもらったのがきっかけだったんですよ。」


※参考までに、
そのレポートをそのまま紹介します。



人はなぜ生きるのだろう。


「生きる」とはどういう事なのだろう。


生きる反対の意味を持つ「死」とは。


自分はなぜこの世に生まれてきたのか。


そして「自分」とはいったい…


誰もが今までの人生で、
一度も考えなかった人はいないだろう。


私も例外ではなかった。


私は名家である旧家に、
4人兄弟の末っ子である次男として生まれた。


祖父の昔からの決め事で、
もし私が女子であったら養子に出される運命にあった。


今思えば、
時代錯誤も甚だしく厳格で封建的な家だった。


敷地は広大で小川まで流れ、
蔵が3つ、お手伝いさんが常時3人いた。


母はクリスチャン、父は神道、
祖父は密教、祖母は仏教という、
まるで宗教混合の家庭で育つ。


私が11歳の頃、
莫大な借金を背負ったまま父を癌で亡くす。


先祖から受け継いだ土地や、
蔵に入っていた数百本の刀や骨董品などを売りさばき、
危うく一家離散だけは免れたが、
母の内職だけでは生活が成り立たず、
家計はいつも火の車だった。
(※You Tubeで『本井秀定の物語』 参照)

https://www.youtube.com/watch?v=d5z6Dz4gTNY


父の死んだ翌年(12歳)、
自転車での通学途中に車で跳ねられ大事故に遭う。


幼少時、
原因不明だった心臓病で何度となく体験した、
幽体離脱をまた経験する。


しかし今度は少し様子が違った。


交差点で猛スピードで突進して来た車に跳ねられた、
その瞬間だと思うが、
周りの風景がこの世のものとは全く違うのである。


一瞬暗くなったかと思ったら、
眼下が全面百花繚乱の花畑で、
遠くの丘の方からハーブの音色のような、
美しい音色がかすかに聞こえてくる。


自分の意識は、
その花畑の上でふわふわ浮かんでいた。


青空の中で雲がゆったりと流れ、
春のような爽やかなそよ風を感じ、
とても開放的で安らいだ気配に満ちている。


ふと花畑に意識を下ろすと、
目の前に広がる全ての花の葉脈、
おしべやめしべ、
花から花へと飛び交う蜂や昆虫などが全部見えた。


見えるというより、
まるで集中した一点の視点が一気に広がったように、
全ての花の一本一本の様子が瞬時に分かってしまうのである。


※後にこれが大きなヒントとなって、
独立してから日本初の速読教材を開発し、
数十万人の生徒さんが学ぶ大ヒットとなる。


花や虫だけではない、
ところどころに羽根の生えた小さな妖精が顔を出し、
花や葉の後ろで恥ずかしそうにこちらを伺っている。


目が大きく、
ベレー帽のようなものから飛び出す触角を持ち、
現代風の色とりどりのスパッツをはき、
まるでシルバーでできた、
先端が淡く光る杖をそれぞれの妖精が持っていた。


※少し違っていたが、
Wさんが見たものと似ていた!


2~3歳の頃、
一人で花畑で遊んでいる時に一度だけ見かけた事があったが、
今まで見た事のないような可愛らしさだ。


その光景の美しさと心地良さで、
ずっとここに留まりたい…と思った。


するといきなり天空から、
「ならん!」という大音響の声が響いた。


その瞬間、
眼下に広がった花園から無数の光があちこち立ち上がり、
こちらに集合し始めた。


ひときわ光を放った杖を持つ妖精たちが、
私の浮かんでいる真下に集まり始めたのだ。


その数たるは1万や十万どころではない。


光る杖を高らかに掲げ、
上から見るとまるで、
光の絨毯が敷き詰められているようにも見える。


「一体何が起きるのだろう…」と思った途端、
いきなり「ドーン!」と鈍い衝撃を身体に受けた。


すると景色は一転し、
眼下の道路上にひしゃげた姿で、
『くの字』に横たわっている自分が見えた。


そばで自転車が、
無残な残骸として転がっている。


心臓発作の時のように、
「大変だ、身体に戻らなきゃ!」と思った。


しかし今回はなかなか戻れない。


一旦肉体に入る事はできるのだが、
またすぐに抜けてしまう。


焦った。。


まず最初に一人の警官が、
《慌てて駆け寄って行った》。


たまたま、
警察官が朝の監視をしていた交差点での事故だった。


『慌てて駆け寄って行った』…と表現しているのは、
文章の間違いではない。


なんと、
私の意識がその警察官の目線で、
横たわっている私の肉体を見ていたのである。


よって、
警察官の慌てている心も、
まるで自分の意識として読めたのだ。


※私の意識が警察官に憑依???


大人たちが次々と集まって来た。


すると今度は、
その中の一人の大人の目線になった。


何を思っているかも、
自分の意識のように分かってしまう。


まるで、
あらゆる角度から自分の身体を捉えた、
複数のビデオカメラが設置されているかのように、
視点があらゆる方向から次々とスイッチされ、
自分の肉体に戻ってみたり離れたり、
駆け寄って来た大人の意識に入ったり出たりして、
視点がころころと変わってしまうのである。


するとまた自分の肉体に戻る。


肉体に戻っている時、
「頭がやけに熱い…」と感じ、左手で頭を触ってみた。


見ると手にビッチョリと血が付いていて、
それが止めどなく流れていた。


その様子を後で聞いたところによると、
この事故にはたくさんの不思議があった。


まずは、
猛スピードで突進してきた車に真横から体当たりされ、
まずボンネットに持ち上げられフロントガラスを粉々にし、
空中高く跳ね上げられた事。


跳ね上げられた瞬間、
見ていた誰もが「死んだ…」と思ったほどの大事故だったらしい。


しかし、
頭から落ち地面に叩きつけられる瞬間、
一旦ふわっと浮かび上がってからストンと落ちた事を、
後で複数の人が証言していた。


跳ねられてから地面に落ちるまでの時間が、
わずか数秒の出来事なのに、
体感では少なくとも30分以上に思えた。


また、
どうも意識が肉体から出たり入ったりしていた時や、
頭に触った状態を、
周囲の大人たちは「死ぬ前の痙攣」と勘違いしていた事。


自分では冷静な状態で、
『学校に着いたら保健室に行かなきゃ…』程度にしか思っていなかった。


警察官が私に名前を大声で尋ねたので、
即座に声に出して答えたつもりでも、
『ダメだ、意識を失っている…』と言われた事。


喋ろうとすると、
矢継ぎ早にすぐに次の質問が来た事。


時間のスピードに、
余りにもズレが有り過ぎた…。


また、
どういった顔の人が集まり、
どういった状態で救急車に運ばれたか、
その様子を鮮明に覚えている事。


特に救急車に運ばれた時は、
はっきりと覚えている。


二人掛かりで担架に私を乗せ、
後ろの荷台に入れようとした時、
まだ完全に担架が車中に入っていないのに、
バックドアを閉めようとしたのだ。


※その救急車は観音開きではなく、
ボンネットのように上に開いて下にバタンと閉めるタイプ。


『今閉められたら、
足が挟まってしまうじゃないか!』


そこで思わず足を引っ込めようとした。


動かなかった…。


するとその心配をよそに、
ドンと力強く担架を奥に入れ、
その瞬間にバックドアを閉めた。


『あ~良かった…』


あちこち注射(麻酔?)をされた事までは覚えているが、
その後の記憶はない。


緊急手術をしてから3日くらい経った頃だろうか、
看護婦さんに、
この救急車の経験だけ話した。


「へ~、
あなたが運ばれた時はすでに虫の息だと、
病院の誰もが思ったくらいなのよ、
助かったのが奇跡…覚えてるなんて有り得ないわ。」


『いや、本当なんです。
足を挟まれたら痛いじゃないか!…
ってその時確かに思ったんですから。』


「じゃ、
今その時の救急隊員が来てるから、
直接聞いてみる?…」


是非!…という事で、
30歳前後の救急隊員が病室に訪れた。


私用で来たらしく、
私服だったが確かにあの時の…。


「おぅ、元気か?」


その時の様子を救急隊員に話した。
すると…


「それは有り得ないなぁ、
だって君は意識を失ってずっと目を閉じてたし、
見えるわけがないよ。」


『じゃ、僕の足がまだ収まってないのに、
バックドアを閉めようとしたのは?』


「あぁ~(笑)、
それはその日は風が強かったんで、
間違ってバックドアが閉まらないように、
ドアを押さえながら、
君の乗った担架を奥に押したんだよ。」


『じゃ僕の勘違い?…』


「そうだね…、でもおかしいなぁ、
なんで目を閉じてた君にそれが見えたんだ?」


結果、
大事故だったにもかかわらず、
頭と腕を数針縫う程度の軽症で済んでしまった…。


その後も大病を患ったりして、
何度も死ぬような目に遭遇したが、
なぜかいつも命拾いしている。


ひょっとしてまだ、
あの妖精たちが私を守っているのかも…(笑)。


…以上。



Wさん「このように本井さんが体験した事は、
まさしく、時間の世界を体験した事なのです。」


本井『すると《時間の世界》とは、
まるで、
あの世とこの世の中間地点みたいなものですね。』


「良い事に気が付きました、
まさしくその通りなんです。
3次元と4次元の狭間と言っても良いかもしれません。」


『生きてもいるし死んでもいる、
死んでもいないし生きてもいない…』


「物質界と霊界の間にあるものは、
《時間の世界》が大いに関係しているんですね。』


『よって、
この世とのズレも生じるし体感も違う訳ですね。』


「この世では100年でも、
あの世では一瞬という事があるんです、
そしてその逆も有り得る…。」


『あの世でこの世に生まれるのを躊躇してたら、
あっという間にこの世では30年経っていた…とか(笑)』


「その通りです、
浦島太郎の例を思い出してください。」


『なるほど、
だから亀仙女は時間の世界の住人…』


「3次元と4次元を行き来できる人…
と言う風に解釈することもできますね。」


『まるで、
仏陀の色即是色の原理を解き明かしているようだ…』



※以下はWさんの話


実は色即是色は、
もっと奥が深いと思うのですけどね。


でもこのように、自分の意識がどこにいるか、
また、
視点を変えることで見える世界が全く違ってくる訳です。


それこそ、
人生の幸不幸と言うものは、
時間の流れの中の一過性であり、
しかも表側の世界でもあり、
思い込みの世界でもあるわけです。


人が人生で経験した事、
また、自分以外の他人がそれと共に経験した事、
その中でもとりわけ感情や情緒の体験が、
実は裏側の《時間の世界》に隠されていることが多いのです。


それは表側の時間の流れの中では、
はっきりと分からない…。


感情と言うのは、
潜在意識に近いところに発生し、
蓄積される傾向があるので、
表面意識ではなかなか分かりにくいのです。


反対側の時間の流れの世界では、
その感情の世界がよりはっきりと見え、
そのより深い体験ををすることができるのです。


108の欲は煩悩ではなく、
両極を網羅した中での調和を取る事によって、
《煩悩は即菩提》となり喜びに変わる…。


仏陀が小乗で説いた《四苦》も、
苦しみの裏には、
逆の喜びの観点も見えてくる…という訳です。


※四苦…生・病・老・死
「生」…生きる苦しみ⇔生きる喜び
「病」…病の苦しみ⇔看病され愛を享受できる喜び(※本が読める時間も)
「老」…老いる苦しみ⇔孫に囲まれる喜び
「死」…死ぬ苦しみ⇔この世を卒業できる喜び(※本来の世界に帰る喜び)


親鸞の説いた悪人正機説も、
まさにこのことを言っています。


本井さんは「知らない事は罪」と講演会で仰いましたが、
まさにその通りで、
本当の悪人は、
自分が罪を犯した事すら知らずに、、
自ら作り出した暗黒の空間から抜けられずに苦しんでいるから、
それを神の目から見て《罪》と言うのです。


自分の犯した罪を認めないから、
いつまでたっても反省ができずに、
意識の結果として闇の世界にいるんですね。


※進化も発展もない?


天はまるで太陽のように、
悪人であろうが善人であろうが、
いつも暖かい光を与えてくれているのです。


※自分から太陽の光を避け、
「寒いよぅ狭いよぅ暗いよぅ…」と呻いてるのが罪???


ただ素直になって自分を振り返り、
その慈愛の光を求めさえすれば、
誰でも救いの道が開かれるのですね。。



※今回は長かった~(笑)

更に次回に続く。。