★1964年日本模型ニチモ1/2000スケール国立競技場 ~ プラモデル・コレクションから004 | ポルシェ356Aカレラ

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東京でも昨日10月30日(月)は木枯らし1号が吹いて、朝晩は寒くなりましたね。もう明日から11月、今年も残り何と僅か2ヵ月ですね。
台風22号が通過して東京もざんざん降りの雨だった一昨日の日曜日に1記事アップするつもりが時間が取れず出来ませんでした。本ブログは土日1回更新が原則ですが先週はイレギュラーに週半ばの平日に東京モーターショーの記事(コンパニオンの写真を追加しました!)をアップしたので、もう更新は止めておこうかとも思いましたが、10月の記事のアップ数が現在「4」=「死を意味する数」のためどうも縁起が悪いので、ヤッツケ記事になりますが10月最後の5回目の記事を簡単にアップしておきますNE☆


2020年の東京オリンピックもつい先日、開会式まで1000日となり、カウントダウンが始まりましたが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで思い出すのは、何といってもマラソンのアベベです。1960年のローマ・オリンピックに続き2大会連続の世界記録で優勝しています。東京オリンピックでのアベベのタイムは2時間12分11秒でしたが、半世紀以上を経た現在の世界記録は2時間2分と何と10分も速くなっています。現在は2時間5分を切らなければ世界のトップクラスにはなれないそうですが、市民ランナーでは所謂サブスリーと言われる3時間の壁を破ることさえ相当にハードルが高いようです。アメブロ・ユーザーでサブスリーとなると初代セリカをこよなく愛するセリカさんなど極く一握りのアスリートだけだろうと思います。世界のトップクラスより1時間遅いサブスリーといっても42キロ以上を3時間で走りきるということは、1キロを4分程度で走る計算となります。サブスリーのスピードでも普通の人なら42キロを自転車で走っても疲れてしまいそうですので、2時間強で走りきるトップクラスが如何に速いかが判りますNE。

東京オリンピックは前回の1964年から2020年まで56年のインターバルがありましたので、もし仮に2020年の次の東京オリンピックも同じインターバルで2020年から56年後の2076年に開催となると、もうワタシは117歳位となり不老不死の薬でも出来ない限り生きていませんが、現在20代以下位の世代の人は2020年の次の東京オリンピックも見られる可能性がありますNE ☆

閑話休題
今回はプラモデル・コレクションの第4回として1964年の第18回東京オリンピックで使用された国立競技場の日本模型(ニチモ)製プラモデルを御紹介しますNE☆☆
 



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★栃木県佐野市久保町135に現存する日本模型株式会社(=Nichimo co.,ltd)は、1951年(昭和26年)に日本模型航空機工業として創業し、当初はゴム動力の飛行機の製造をメインとし、最初の国産プラモデルと云われるマルサン商店「ノーチラス号」が発売された翌年の1959年(昭和34年)にプラモデル業界に進出して外国製キットのコピーではない自社開発の自動浮沈装置付きのプラモデル「伊号潜水鑑」を発売した。
その後、自社オリジナルのSF戦車を始め、スケールモデルの1/20・1/12カーモデル、1/120~1/48飛行機モデル、1/30・1/35電動リモコン戦車モデル、1/8ミュージックシリーズ(ギターやドラムス等の楽器)など魅力ある製品を数多く世に送り出した。オイルショック前の1973年(昭和48年)当時、社内に設計開発、金型の製作、成形、出荷という一貫体制を整え、AFVブームや安定したスケールモデル、大きさを30cmに統一した「30㎝シリーズ」などの艦船模型の人気が継続し年間売り上げは約10億円に達してプラモデル業界で25%ものシェアーを得る大手プラモデル・メーカーに成長した。1980年代半ばから平成に入る頃までにはプラモデルの自社での新規商品開発を取りやめ、過去の金型による再販をメインとしていたが、2013年(平成25年)9月には惜しくもプラモデル製造業務からは撤退し、現在は模型以外の一般的なプラスチック成型製品の製造会社として存続している。しかし、2017年10月現在、日本模型株式会社のホームページはWeb上には見当たらず、現在の日本模型株式会社の詳細な状況は不明である。
(以上、ウィキペディアより抜粋して再構成)


★日本模型 1/2000スケール 第18回オリンピック東京大会メインスタジアム国立競技場 プラモデル
・発売時期: 1964年(昭和39年)
・販売当時価格: 250円
・箱サイズ: 縦20×横30.5×厚さ4cm
・本体ベースサイズ: 横約18.5×縦約18cm

★日本模型(ニチモ)のプラモデルの中でも異色のキット。
東京オリンピック人気に便乗したキットで生産期間が1964年の東京オリンピックの前後1~2年程度と短かかったと思われる割には戦車・飛行機・自動車等の乗物キットに比べ売れなかったためか、1960年代のプラモデルとしては比較的現存しています。国立競技場のプラモデルは三和模型もしくは東京プラモからも出ていたと思います(それも以前入手しましたが、どこに仕舞い込んだのか残念ながら現在行方不明です)。
1960年代、建築系プラモとしては東京タワー、霞が関ビル、国会議事堂、三和の灯台、三共の世界の家シリーズや風車、フジミ模型の姫路城等のお城シリーズもありましたが、超巨大な建造物の周辺を含めた箱庭的な国立競技場のキットは異色です。箱庭的なキットとしては1980年代末に出た童友社の東京ドーム「ビッグエッグ」のプラモデルなんていうのもありました。
このキットは1/2000スケールですから25m級の鉄道車両でも12ミリ位のサイズとなり、10両編成の国電なら12㎝程度となる計算です。4~5mの自動車なら2ミリ強位の豆粒サイズとなる計算です。
国産プラモデルは1960年代より輸出向けにはパッケージ・組立説明書共に英文に差し替えて別に作られたケースも多い中で、このキットでは国内向け・輸出向け双方に対応できるようパッケージ・組立説明書共に日本語と英語が併記されています。
(1)ニチモ

英文サイド
(2)ニチモ

日本語サイド
(3)ニチモ

箱の日本語解説箇所
(4)ニチモ

(5)ニチモ

(6)ニチモ

(7)ニチモ

競技場中央のトラック部分や電光掲示板はデカール
(8)ニチモ・デカール

組立説明書
(9)ニチモ説明書

(10)ニチモ説明書アップ





★オマケ(その1): 1964年 東京オリンピック 国立競技場での開会式 入場行進




★オマケ(その2): 1964年 東京オリンピックに向けて変貌する東京
いすゞベレルなど当時のクルマも多数登場する必見映像。




★オマケ(その3): 米澤玩具 ダイヤペット134番 1/40スケール 1965年ニッサン・セドリック警視庁パトカー
オマケにミニカーなしは寂しいということで最後に1台。全長11.5㎝。アンチモニー製。1965年10月発売。当時定価380円。1964年の東京オリンピック開催直前の1964年9月にマイナーチェンジを受けた初代セドリック最終型をベースとしたパトカーのミニカー。大盛屋の金型を改修して1965年型グリルとしたモデル。大盛屋の1964年セドリック警視庁パトカーは以前オークションで150万円の高値を付けたことがありますが、このパトカーもダイヤペットの中では生産数が少なく入手困難な1台です。
ダイヤペット(1)

ダイヤペット(2)

ダイヤペット(3)

ダイヤペット(4)

ダイヤペット(5)