2016年の秀次公法要は矢部健太郎氏や真田丸で秀次役の新納慎也氏も参加で大賑わい | 滋賀県近江八幡市から日本国のリフォーム     ブログで言うDay 一級建築士・松井秀夫 

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2016年の秀次公顕彰法要は矢部健太郎氏や真田丸で秀次役の新納慎也氏も参加で大賑わい

毎年7月15日には近江八幡市の八幡山山頂にあります村雲御所瑞龍寺にて豊臣秀次公の顕彰法要が行われています。

特に本年はNHK大河ドラマ「真田丸」で新解釈による豊臣秀次役を好演をされました新納(にいろ)慎也氏が法要に来られるとあって、本堂にはたくさんのテレビカメラや記者も来られ、例年にない賑わいのある秀次公顕彰法要が行われたわけなのです。


(新納信也氏の法要に参加されている様子)

この瑞龍寺(門跡寺院)は八幡山(近江八幡市)の山上にございますが、琵琶湖を配した近江八幡の城下町や山の形状、そして秀次館(主たる居住場所)、そして京都や琵琶湖などとの位置関係は以下の様なものです。


位置関係にご注目ください(グーグル)

近江八幡の城下町は安土の城下をそのまま持って来ていますが信長の安土城は標高199mですから、八幡山城(標高283m)は安土城より80m以上高いところに作られているわけです
 

ですから、ニュースなどだけで秀次役の新納氏が法要に参加されて、その後八幡公園の秀次像の前でインタビューを受けられた映像しか流されていませんが、、
多くの記者もTVカメラも山頂からふもとまで急ぎ移動されていたわけで、実は大変な取材が行われていたわけなのです。

八幡公園の秀次像

ところで法要が行われてます村雲御所瑞龍寺は門跡寺院です。

特に、ここ村雲御所瑞龍寺門跡の開基は後陽成天皇であり、日蓮宗唯一の門跡寺院なのですから、日本中でここでしか頂けないものが存在しているわけです。

昭和37年に京都の堀川今出川(現在の西陣織会館)の地より秀次ゆかりの八幡山城跡に移築されたわけですが15世の鷲津日英貫首は毎年、天皇皇后両陛下のご挨拶に京都大宮御所に行かれておられるとお聞きしております。


京都の西陣織会館には村雲御所跡の碑があります
 

近江八幡市に後陽成天王開基の門跡寺院があるという事は
八幡山の頂上菊のご紋章が輝いているとも言えるわけです、

その様なところで
行われた関白秀次公の顕彰法要では祭壇に向かって右の列に森嶋篤夫会長さんや矢部健太郎先生、そして秀次役の新納慎也氏が並んでおられます。 

まず目につきますのが、報道陣の多さでして、司会者の背後の祭壇の方に多くの記者が陣取っている様子がお分かりになるでしょうか



また新納氏に向かってのカメラが多く設置されています。



また矢部先生と同じ國學院出身で現在NHKラジオセンターのディレクターをされてます肥土(あくと)貴美男氏も参加されています。


秀次役の新納氏が
舞台もある忙しい時に参拝され、そこに多くの報道陣が来られたというにはこの法要の2日後に秀次切腹の真田丸~第28回「受難」~が放送されことから少しでも多くの方に新納氏の最後の出番のシーンを見て頂きたいというNHKの計らいもあったようなのです。

新納氏のオフィシャルブログ
でも
2016年07月15日
豊臣秀次公の命日でした
http://ameblo.jp/shinya-niiro/entry-12180706290.html

7月15日の命日。そして7月17日の『真田丸』で秀次の最期。。
こんな運命的な事ってある??

~~~~~~~~~~~~~~~~

本当に不思議な事だと思います、

 
さて法要は11時から、秀次倶楽部西川氏の司会で開始され、森嶋会長の挨拶から、各来賓の挨拶、そして新納慎也氏も挨拶をされました。



堂内に読経が流れる中、焼香がはじまり、関係団体の代表者をはじめ矢部健太郎先生、そして新納慎也氏も秀次公の祭壇にこころからの祈りをささげておられました。




そして法要の最後は鷲津日英貫首からのお話を頂きます



ところで、焼香や
鷲津日英貫首のお話を拝聴されておられる時の矢部先生と新納氏のお二人の姿に、姿勢の良さを感じられないでしょうか
 

普通・新納と書きますと「しんのう」と呼びたくなるわけですが、新納と書いて「にいろ」と読むわけなのです。

ウィキペディで新納氏を見ますと
新納氏(にいろし)は、日本の氏族の一つ。
島津宗家4代当主忠宗の四男・時久が日向児湯郡新納院の地頭に任じられ、高城に入り新納氏」を称したことから始まる。


つまり新納氏は島津の系統という事が書かれています

更に戦国大名探求というサイトを見ますと
建武二年(1335)に足利尊氏が新政府に叛旗を翻すと、尊氏に味方して活躍した。その後、時代が南北朝の争乱に移行すると、肝付兼重・楡井頼仲、伊集院忠国ら南朝方と戦った。尊氏は畠山直顕を日向に下し、島津氏らとともに南朝方の掃討にあたらせた

足利氏の関係が出てきます、私もまさかと思いまして、新解釈の論文を出された矢部先生の矢部氏を調べてみますと

ウィキペディアで矢部氏を見ますと
建武2年(1335年)、足利尊氏が後醍醐天皇側に対して背くと、矢部氏は波多野氏などと尊氏側に与した。その後、尊氏方の山名時氏が守護に任じられると他の国人と共にこれに従った

と足利氏の関係が出てきますので、ただばったり会ったのではない、物事が起こるという裏面には、見えない縁(えにし)が存在するのだなあと思わずにはいられませんでした。


更に、新納氏が島津氏の直流である事から、島津と言えば薩摩武士が思われてきますが、その薩摩武士で桜田門外の変で有名なもと薩摩藩士有村治左衛門が先祖におられるという県会議員の有村圀俊(くにとし)氏が列席されています


更に
足利氏と言えば、秀次公の側室として迎えら三条河原で亡くなられた駒姫がおられます、駒姫は最上義光公の娘さんで、最上氏は足利の直系なのですが、その最上義光の老中をされていた最上の家系の成澤正國氏が今回はハートランド推進財団の代表で列席されています。

更に足利氏関係は
第11代将軍足利義澄が亡くなり 第12代将軍が足利義晴が生まれられた水茎岡山城が八幡山眼下にあるのです

今回の秀次公法要に、これだけの縁(えにし)が集まったという事はなにか先祖たちが私どもに伝えようとするものがあるからではないのか、という思いが自然にこみ上げてきたわけです。

この思いは大河ドラマ真田丸の秀次役をされた新納慎也氏もその点を何か感じておられるようで、オフィシャルブログでも 
http://ameblo.jp/shinya-niiro/day-20160718.html
 

オフィシャルブログの2016年07月18日
「ありがとう!豊臣秀次!」より引用
 

もちろんこれはドラマです。

皆様が知っている史実とは違うかもしれません。
でも、その史実が真実かは分か りません。

現在残る豊臣秀次公の史実とは
どれが真実なのかはわからないのです。

だから、今回の様な説もあるということだそうです。

『真田丸』の秀次像を見 てもらって「こうだったのかもしれない」と、豊臣秀次公のイメージが少しでも変われば僕は嬉しいです。
 
少なくとも、僕は今回の秀次像が真実であると信じています!
 
天国で秀次公が「やっと真実が伝わった」と思ってくれていたら嬉しいな

~~~~~~~~~~~~~~
引用終わり

つまりもうそろそろ歴史の真実に目覚めてほしい、と言われているように思えてならないわけです。

やはり結果は出てきました!

真田丸7/17の「受難」放送後にこれまでにない反響が視聴者から起こったのです


それを伝えているスポニチの記事を転載させて頂きます
 
「真田丸」でまたロス 豊臣秀次悼む声続々「秀吉とのすれ違い悲しい」より
 http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/drama/taiga/2016/kiji/K20160718012990110.html

ツイッター上では
秀次を悼むコメントがあふれた。

 これまで武田勝頼(平岳大)室賀正武(西村雅彦)梅(黒木華)ら、印象的ながら亡くなった登場人物を惜しむ"ロス現象”が何度も起きてきたが、秀次の死去も衝撃が大きかった。

 過去の作品で様々な描かれ方をした秀次の死。今回は数少ない豊臣家の一員であることから秀吉に気遣われながら、秀次はその気遣いの意図を読み違え、自分を追い込み自害してしまう、というストーリーだった。

「真田丸」の放送終了後約3時間にわたり
「Yahoo!JAPAN」の
リアルタイム検索ランキングで1位をキープ

 「秀次ロス発症」「秀吉と秀次のすれ違いが悲しい」
「孫七郎(秀次の通称)の身の丈に合う幸せな世界があったらいいなあ」「孫七郎の気持ちが分かりすぎ て、つらかった」

などと秀次を惜しむ声が相次いだ

~~~~~~~~~~~~~~
転載は以上です。

番組終了後「秀次を惜しむ声が相次いだ」しかも約3時間にわたりリアルタイム検索ランキングで1位キープですよ

次にコメントポストによせられた意見を抽出させて頂きましたのでご覧ください

あの方は決して愚かな方ではなかったと信繁が言い放ったけれど
新納さん本当に素晴らしい芝居だった

展開早いだの史実にばかりこだわり見る気がしないって言われてもねー
芝居なんだから楽しむ気持ちがないとね
[女性/50代/主婦]



新納さんの秀次良かった…今までただ不幸な人(そして女好き)ってイメージだったけど、それだけじゃないとても魅力的な人物に思えた

ロスとは言わないが、もう作中に出ないのは寂しいね´・ω・`

あと自分が学校で習ったのと読みが違うとか、そういう些細な事に気付けるのが少し楽しいしタメになる
けど楽しみにしてたとこ(名胡桃)とかあっさりすっ飛ばされて悲しかった
[女性/20代/会社員]


私もここ数年は大河ドラマ見てませんでした。
同じく見たいと思わせてくれなかったから。

でも真田丸は何となく見てしまってから、久々に大河ドラマにはまりましたよ。

見てもない人が脚本がどうだとか言うのは変ですよ。
脚本がどうであれ、今回の秀次の演技は胸にきました。

ですから批判は見てから言ってくださいね!
[女性/20代/会社員]

新納さん演じられた、
人の善い繊細な秀次公はとても良かった。

最新の史実調査結果に近い脚本らしく、二ヶ所ある墓所(首と胴体で別って…)を訪ねたり、法要に参加したりこの方の役に対する真摯な取り組みには好感。
[男性/50代/会社員]

新説・秀次 納得です [女性/40代/会社員]」


衝撃の死 真田丸でまたロス現象 https://smph.newscafe.ne.jp/comment_read/1906181/ より(抜粋)より
 ~~~~~~~~~~~ 転載は以上です。


大変高い評価が新納氏演じる真田丸の秀次に寄せられていたのです。

上記はツイッターですが、記事でも「秀逸!」とか「賞賛!」という言葉が使われていますのでご覧になってみてください

『真田丸』三谷幸喜の新説“秀次事件”が秀逸! 歴史の謎に一石
 
 
「真田丸」三谷幸喜の新解釈“秀次切腹事件”に賞賛! 歴史の謎に一石 
http://blog.livedoor.jp/gunbird/archives/9306326.html

ですから新解釈を書かれている「関白秀次の切腹」の本を多くの方にお読みいただきたいわけなのです
   https://goo.gl/xpBPsb

これまで通説とされてきたものに、徳川時代に徳川寄りの内容に変えられて、そのままにされているものがある事が分かってきています。

歴史家の中で、それは徳川史観と呼ばれています、

徳川が良くて豊臣は悪い、という見方を醸成することで徳川の安泰を推し量ったのではないかと思われるわけです。

しかし、歴史は明日を推し量る力になるものですので、秀次の好評に表れました様に間違った歴史を正すことは私どもの未来を幸せにするものになると申し上げたいわけなのです。



(この写真撮影は私の知人によるものです)

法要の最後に鷲津日英貫首を中心に記念写真が撮られました、私がどこにいるかお分かりになりますか・・・、少し長くなりましたがお読みいただきまして有難うございました。

歴史の真実に光を当てる・・・

 

では・・・この続きはここをクリックビックリマーク