出典:いらすとや
と、思っていた時期が私にありました。表題について。
で、こういう悩みって自分だけのものなのかな、と思ってたらTwitterとかyahoo知恵袋とかいろんなものを見ているうちに、一定数は感じている事なのかなと。
私は「そう思っていた時期があった」と言える程度にはその辺にある程度折り合いがつけられるようになったので、そのことについてちょっとメモを残しておこうかなと。
■できない自分を蔑むのは、自己肯定感の低さ故
まず根本問題として、普通の人に出来ることが自分にはできない、という悩み自体が自己肯定感の低さから発生している、派生しているという認識。自己肯定感云々は私のブログで結構何度も話題にしているので興味のある方はブログ内検索をいただければと。
■他人も案外できてない
さて、自分を蔑むモードの正体は自己肯定感にあるとして、実際のところ他人はどうなのか。
結論から言ってしまえば、他人も出来ていない部分は全然できていない。普通の人に出来ることが出来ていない人が多い、っていうか多すぎる。ビビる。
でも「普通の人」以上のコミュニティにもタッチしたことがあり。正直そっちはそっちで普通のことを普通の人以上に出来る人たちが多くてビビった。
でもその度に首を傾げる。「普通」って何やねんと。
■普通の正体
「声が1番大きい人が作った価値観」です。
今更なことですが。日本で声デカイのって「政治家」「大企業」「マスコミ」「発信者(出版等)」この辺。この辺の人たちが「普通ってこうなんだぞ」っていう価値観をピロピロ市井に吹聴していったんですね。あとは「多数派」の声。
今はこれに加えて「ネットの声」というのが強くなってます。が、ネットに触れない人には大した影響力無く。あとは「海外ではこう」みたいなのも。今強くなってきているのは「オタク」とか「エンジニア」の界隈の声もジワリジワリと。
ほんで海外の特定国ではもっともっと声がデカイ人がいます。
はい、「宗教」ですね。超強い。宗教が「普通」の思想の軸になっている国はとっても多いです。日本は特定宗教を一応は持ってない国なので、「普通」がブレやすい国だと思います。
あと強い「普通」は「歴史的に証明されていること」。昔から歴史に強い人は色々強い、みたいなのは歴史をたどると、色んな失敗や成功からどうやって「普通」が生まれたのかという肯定を知れるから、車輪の再発明みたいなことあまりやらなくなるって意味で強いわけですね。
そんで余談として、今まで強かった「普通」はバブル経済下で生まれた価値観ですね。だって「大成功してる時代に出来た価値観」なんですから、それはそれは大きな傷跡になりますよ。
■「普通の人」に見える人は何をしてるの
さて話は戻りまして、そんな「普通」の中で「普通の人」に見える人たちがやってることって何なのか。考え方それぞれ。
①普通に合わせる努力をとにかくしている
②育ってきた環境が「普通」を育む恵まれた環境だった
大体どっちかですね。そんで割りと皆①を推奨するんですけど、そうしたら②の人とくらべてめっちゃ辛いってことには蓋をするんですよね。
■「普通」に出来ないから考えること
ようやく本題。
誰かが出来ないこと貴方ができて、それが世の中の普通基準において評価されることだと、人は自信を得ます。しかし、普通には適合しない世の中に誰も必要としていない、ニッチすぎるマニアックすぎる能力だった場合はなかなか自信につながらない。
後者だった場合は、評価してくれる人を探したり評価される場所を探したり、とんでもない人だと評価される場を自分で作ったりもする。
■「普通=他人の価値観」とは適合出来ない場合は往々にしてある
ともかく、人はスマホのようにアプリ(知識)をインストールしたから一律同一の動きができるわけではない。適合不適合がある。世の中の「普通」だって誰かが作った普通なので、それに適合しないというのは普通にある話で、悲観していても仕方ない。
そんなことよりも、特定に他人には出来なくて、貴方が出来る能力。例えば私は文章が書ける。私はこんなこと当たり前だと思ってたが、以外と文章というのも「普遍的」と呼ばれる所まで書けるようになるのも大変な人とそうでない人が居る。
■「普通」に適合できなくても、やれることはいくらでもある
文章書ければそれは一つ才能ということになる。延長にあるのは「小説家」「論文制作」「パワポ資料作り」「社内文章作成」「メール文章作成」まぁなんでもありけり。
これが世の中の価値に合致すると強い。メール文章作成能力に秀でてるなら、それは他人に伝える能力が高いという話になったり、他人に文章を教える能力にもつながるかもしれないし。
ゲームが上手いことだって別に一昔前は何の価値も無かった。けど今だったら攻略サイト作ったり、プレイ動画だったり実況動画だったり、他人を喜ばせる・お金を稼ぐ価値が付随してきている。(例 e-sports twitch)
■出来ないこと探しより出来ること発掘を
ともかく、出来ないことの方に考えがシフトすると結構目の前が真っ暗になっていく。普通の人に出来ることが出来ない自分を責めるようになる。それよりも出来ることに目を向けて自分がこんなにも「出来ることがあるのだ」という事実に早く気づくべきだったりする。
もう一歩踏み込むなら、やってて苦じゃないこと、楽しいこと、これらに集約するのが1番望ましかったりする。
VALUやってます
https://valu.is/majikuzu
色々理解してる最中。何かやるかも。
まじめ系クズこと、まじクズが日々経営者として奮闘する記録をブログよりも濃厚に残すかもしれないし、私のブログ活動以外の側面をこちらは色々と出していこうかな…?
フォローだけでもいただければ~
コメント
コメント一覧 (3)
彼女がテレビで紹介したエピソード:
小学校5年生の頃、彼女はテストで毎回満点を取っていました。それなのに、クラスメートは常に低得点。ある日、彼女はこの状況を勝手に推理して、学級会でこんな発言をしました。
皆さんがテストで低得点を取っているのは、皆さんが談合しているからではないですか?
と発言した時、超KYの彼女も、さすがに、この状況はまずいと認識したそうです。この瞬間、自分は何かが欠落していると実感したそうです。
私事で恐縮ですが、私自身が自分の能力と他人の能力に差があると自覚したのは、幼稚園に通っていた3歳の時です。こんな簡単な事に気付くまで、中野信子は11歳までかかりました。
天才の正体とは、こんなものです。普通の事ができないのは、天才の特徴です。
人それぞれ、能力に大きな差があり、できる事とできない事があります。私が自分の能力に気付いたのは、化学会社で分析という職種に、たまたま配属されたからです。私は、研究室採用ではなく、一般応募だったので、はっきり言ってクズ扱いでしたが、分析全般の専門家になるべく、15年頑張った頃、他に類を見ないエキスパートになっていました。
普通の事ができる必要はありません。自分だけができる事をすれば良いのです。中野信子が会社に就職していたら、多分、1ヶ月でクビだったでしょう。(笑)