重要な記述、詩を選択して解説していくことが大切である。 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

やはり「バシャール 2016」で検索してこのブログに来る人が多い。
それで、このブログの主旨は、タイトルの下の説明文にもあるように、
「預言書(聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていき、救済方法を教える」
というものだ。

未来が明るいものならば救済方法を教える必要は無いのだが、私が預言書を解読して解明していった未来は人類(地球人)にとって、決して明るく素晴らしいものではない。
それどころか非常におぞましくも恐ろしく悲惨なものである。


悪魔軍団=悪魔的未来人の侵略によって地球人の3分の2は処分されて、3分の1だけが奴隷として残される、というもので、しかもその艱難は2016年の7月から始まる、というのだから、あと僅か2年後に迫ってきている。
これは既に未来はそうなっているのだから変えようが無い。
それを再現していくしかないのだから、この艱難からは免れようが無い。

ただし、これは「地球人全体として」という意味であって、今の時点では個人救済ならばまだ間に合う。
というのは天使軍団=天使的未来人が、

「その艱難が始まる直前に義人だけを救い出してあげよう=携挙してあげよう」、

という計画がある、と預言書に書かれてあるからだ。

今はもうこの個人救済=携挙にあずかるしか救済される道は無いのであり、しかも、預言書を解読して「理解できるように解説できる者」が私しかいない、
と解っているのでこうしてブログでそれを知らせているのだ。


さて、預言書(聖書とノストラダムス)といっても膨大な量がある。
聖書にしても、ひと通り読むだけでも大変で何日もかかる。
また、ノストラダムスにしても、詩だけでも1000篇近くあり、これも読むだけでも大変だ。
しかも、ノストラダムスの場合は原典がフランス語だし、日本語訳されたものも本や訳者によっては微妙に、あるいはかなりの相違がある。
その日本語訳を読んでもほとんど、あるいは全く解らない、というのが普通だろう。
だからそこに解読、解釈というものが必要になるのだが、これも研究家によってかなり違っていてバラバラである。


私も解釈をしているのだが、はっきり言って「ノストラダムスの詩の全部が解る訳ではない」。
私が理解できて、重要だと思う詩を解説しているのだが、解る詩の方が少ない。
「解る、理解できる」といっても

「完全に理解できた詩、なんとなく解る詩、4行ある詩の中で1行か2行は解るが、他の行はあまり解らない詩」
とその程度はいろいろある。
また、「それまではよく解らなかったが、だんだん解ってきた詩」というのもある。


その中で「一応4行とも理解できた詩」をなるべく取り上げて解説しているのだが、

「理解できた詩」というのは全体の中で1割くらいだろうか?
1割といっても100篇だから、それ程は無いだろう。
30~50篇くらいだろうか?
でも、私はそれでいいと思う。

何も全部の詩を理解する必要は無い。
「全部の詩を解読できなければ、解読に成功した、と言えないのではないか?」
と考える必要もない、と思う。
勿論、数篇、10篇以下の詩を解説したところで信用されないだろうから、ある程度の数の詩を解説する必要はあると思うが。


ノストラダムスにしても「全部の詩が重要だ。全部の詩の真意が公開されるべきだ」
とは考えていなかったと思う。
「その時までに真意が公開されなかった詩」というのは存在意義が無かった、といえるのだが、
「預言書として、あまり量が少ないのも困る。やはり、それなりの詩の数、1000篇くらいは必要だろう」
と考えて製作していった、と思われる。

つまり、「重要な詩、真意を公開すべき詩」というのは30~50篇くらいで、その詩を1000篇の詩集の中に散りばめた、と考えるべきだ。

そうすると、「どの詩が解説すべき重要な詩なのか?」
というのを抜き出し、拾い上げていく、という作業が必要になる。
聖書にしてもそうだが「選択する、重要な記述を関連付ける」という作業が重要である。


天使にとっても、「重要なこと、どうしても知らせたいこと」
というのはほんの少し、数ページもあれば充分だと思うのだが、
天使は聖書とノストラダムスでその何百倍、何千倍も水増しして作成しているのである。
だから、「重要なポイントを拾い上げて、エッセンスを搾り取る」という作業がいかに大切なのか、ということをつくづく感じる。

それは直感で選ぶか、あるいは、時期がきたら向こう(天使、真の作者)からテレパシーで教えてくるのか、
とにかく、私は文章が浮かんでくるので、それを打ち込んでいるだけだが。

私は天使(作者)とは一体になっている、と思うので、
私の目を通して世の中(今の日本人、地球人の様子)を見て、対応を検討して対処していく、という臨機応変な態勢になっている、と思われる。
今までも、「もう少し理解者がいたなら、天使としてももう少し違った対応をしたのではないか?」
と感じることはあった。
こういう状況だから、こういう対処しかできないのである。
まあ、我々は今更過去に遡ってやり直しはできないのから、残された時間でできることをやるしかないのだが。


実は昨日まで「今日は更新を休もうかな」とも思っていたのだが、今朝調べたらアクセス者数が増えていて、初めて400人を超えていたので、
「それだけ読んでくれている人がいるのだし、せっかく来てくれた人を更新が無くてがっかりさせてしまうのは申し訳ないなあ」
と思ったので、急遽今朝になってこの記事を書いたのである。
結構、期待されると「期待に応えなければ」というサービス精神はある方だと思う。