書評問屋

大学生も社会人になってしまいました。経済学に携わりながら、仕事をしています。主に書評を書いています(このブログは個人的な考えのみを書いています)。関心分野は経済学(Econometrics, Bayesian, Macroeconomics, IO, Machine-Learning)、哲学(ポストモダン)、社会・文化、歴史、物理学、小説・随筆などなどです。

今回はサイエンスぽい本を。本書はとある事情で読まなければいけなくて、読んだのでせっかくだから書評にしておこうと(今はちょっと時間もあるし...)思い、サクッと書評にまとめておきます。



本書は複雑系の本なのですが、複雑系といえば、ちょっと前に流行ったワード(らしい)です。流行りのワードというのは得てして見捨てられることが多く、複雑系も今は見捨てられた感じがあります。こういうのは本当に良くないことだと思うのですが、メディアなど各種媒体が一旦注目すると、「これはすごいぞ」「これは何かを変えるんじゃないか」という期待感が先行して、その技術や価値の持つ限界・可能性ともに歪んだ形で伝わってしまい、すぐに失望感が出てきて、忘れ去られるという事態が起こります。何とも馬鹿馬鹿しい話ですが、自分の専門分野と遠い話だと、どうしても勘違いしたまま自分もうろ覚えてしまいます。できるだけ、正確な情報を労力をかけないで手に入れたいものですが、本来それを担う媒体がこれでは、どうしようもない。いろんな専門家が番組や記事に協力しても、変にカットや編集されてしまって、肝心の場所が伝わってない、なんてことは日常茶飯事かと思います。

機械学習やAIの話が今では最たる例なのでしょう。自分もそこらの分野に詳しいわけではないので、どうしても期待感がありますが、「AIに仕事が奪われる」とか「機械学習が一般的になれば統計屋さんは駆逐される」みたいな極論には首をかしげざるを得ません。どこかで扇動的な言説を流して、卑劣な方法で得をしている人がいると思うと、私は正義感が強いわけでも妬みたいわけでもありませんが、いい気持ちはしません。まあ、世の中そんなもんでしょう。我々は賢くならなければなりませんね。

難しい分野はそもそも理解が難しく、尚更ですが、歪曲して伝えるのなら、伝えないほうがマシみたいなことはかなり多いと思います。ちょっと話題になった、量子コンピューターの話なんかもそうでしょうか。事の顛末としては、量子コンピューターと従来のコンピューターは情報判断のメカニズムが全く異なり、そのおかげで処理速度が1万倍も1億倍も違うと言われています。それゆえ、実用化が難しく、量子コンピューターは夢のコンピューターと言われています。その量子コンピューターの制作に成功したと発表されたそうです(正確には「量子ゲート方式」の一部が完成といったところらしいです...、因みにカナダのD-Waveは「量子アニーリング方式」で部分的に成功といったところで、量子コンピューターはまだ実現できていないそうです)。しかし、実は量子コンピューターと銘打った、従来のコンピュータの改良版でしかなかったと専門家から非難が噴出したといった感じです。
これはちょっと酷いなと...。例えば、カタログに新発売の全自動食器洗い機があると書いてあり、注文してみたら、自分で洗剤でゴシゴシ食器を洗って、セットしなきゃいけない。つまり、全自動とは名ばかりの自動で水洗いしてくれるだけの全自動食器洗い機だった。なんて商品があったらリコールされそうですよね。そんなことが現に起こっていると。これを機械学習の場合に当てはめるのなら、当該自動食器洗い機の作成者は半自動食器洗い機だと言って、開発したのに、会社の広報かメディアが拡大解釈して、そのほうが売れるとかそのほうが話題になるとか言って釈明するわけです。ビジネスの分野なら消費者は訴えることができるわけですが(とはいえ開発者は泣き寝入りかもしれません)、学問の分野ではどうもそこのところうまく行っていない。ミスリーディングを誘っているようで不健全な命名です。それにそもそも名前で揉めること自体何ら本質的ではない気がします...。何というか、気持ち悪い感じです。






さて本題にいきます。私は本書について、総論としては面白みを感じませんが、各論は興味深いと感じました。総論としては目新しい事実はあまりないと思います。フィードバック系が重要です、非線形的な現象も記述できます、など。ただ、そもそもこういう研究は細部までみると、それは面白い、みたいな話だと思うので、仕方ない側面が強いかもしれませんね。

というのもこの発想自体は、例えば経済学であれば、フィードバック系の話は、Value Functionの話で当たり前のように応用されていますし、非線形の話はNon-Parametricとか時系列解析なんかでも十分浸透していると思います。何たってフィードバック系の発想自体は、6、70年前にもうあったのですから...(ノーバード・ウィーナーによって発明されました、書評はこちら)。発明した人は天才だなあ...、というか物事への観察眼の鋭さに感嘆します。
その上で、「じゃあ複雑系はダイナミックなシステムと何が違う?」という私の疑問にあんまりうまく本書は答えてくれませんでした。ダイナミックなシステムは非線形の関係を記述できないのでしょうか?そんなことはないと思うのですが、まあひとまず本書で唯一(?)複雑系の定義ぽい文章を抜き出してみます。
 一般向けの科学書では、複雑性とカオスという用語をごっちゃに使っているケースがしばしば見受けられる。そのため、複雑性とカオスは実質的には同じものであるように思えてしまうかもしれない。だが、実際には両者は別物である。
 複雑系は一般に、秩序ポケットを生み出すような形で、ある配置から別の配置へと状態を変化させる。市場で暴落が起こり、その後下げ止まるのも、こうした変化の一例である。だがここまで、このような状態間の遷移がいつ起きるのかには一切触れなかった。そこで今度は、系の時間的変動ーダイナミクスと呼ばれるーに注目することにしよう。複雑系が相互作用をする多数の要素から構成されている(金融市場を例にとれば、市場に参加しているトレーダーが金融市場という系の構成要素である)ことを前提にすれば、複雑系は極めて複雑なダイナミクスを示すと考えられる。したがって、複雑系の「出力」は、外部からは非常に入り組んでいるように見えるだろう。ここで言う「出力」とは観測可能な数のことで、系の構成要素が生み出すものなら種類を問わない。金融市場なら、この系のある瞬間における「出力」とは、特定銘柄のその時の株価であり、株価が2.5ドルなら2.5と表すことができる。金融市場の出力(株価)は時間とともに極めて複雑に変化する。株式市況や為替レートを報じる毎日のニュースで目にする価格チャートが非常に複雑な動きをしているのはこのためである。
 複雑系の出力は時間とともに変化するが、その変化の仕方は非線形力学と総称される範疇に属している。カオスは非線形力学の特別な一例にすぎない。カオスという用語が用いられるのは、系の出力が極めて不規則に変化するために出力がランダムなように見える場合である。結論を言えば、我々がニュースで目にする金融市場の価格チャートは不規則に見える変化をしており、したがってカオスになっている可能性があるが、必ずそもカオスであるとは限らない。(pp.68-69)
うーむ、やっぱり例えば経済学の動学モデルや推定は複雑系ではないと言い切れず、複雑系の定義が曖昧でよくわかりません。もし動学モデルも複雑系の一種ならば、複雑系の何が特別なのか...。で、Google Scholarで「Nonlinear Dynamics Macroeconomics」とか検索をかけてみると、例えば、
という時系列の大御所Hamiltonが書いた論文がヒットします。すごくざっくり論文を読んで、簡単に抽出してみると、GDPと原油価格は線形関係の推定をしようとすると、うまくいかず、非線形で推定すれば、うまくいくぜ。という論文がHamilton[2003]で先行研究として紹介されており、これを簡単に書いてみると、
  • $x^{\#}_{t} = \max\{0, X_{t} − \max\{X_{t−1}, ..., X_{t−12}\}\}$
という非線形の関係のデータを作り、推定すると、
  • $y_{t} = 0.98 + 0.22 y_{t-1} + 0.10 y_{t-2} - 0.08 y_{t-3} - 0.15 y_{t-4} - 0.024x^{\#}_{t-1} - 0.021x^{\#}_{t-2} -0.018 x^{\#}_{t-3} - 0.042 x^{\#}_{t-4}$
という関係になるという結果です($y_{t}$が名目GDPで、$X_{t}$がOil Price)。で、論文自体は、Kilian and Vigfusson[2009]は発展させている、またImpluse-Response Functionはどうなっているかみたいな話になっていくようです。時系列ではこうしたダイナミックなシステムかつ非線形な関係という話は豊富なようなので、いよいよ「複雑系とは?」という根本的な疑問がわきます。



また、著者のミクロの単位である1エージェントの粒度に対するスタンスがいまいちわからず、研究によって様々なミクロの捉え方があるからはっきりしないのかもしれませんが、まず
我々人間は嗜好、思想、信条、行動に関しては確かに複雑だが、個人としての我々一人を複雑な存在にしている事情は、大勢の集団に組み込まれたときにはたいして重要でない場合が多い。一人一人の性格には様々な差異があるが、十分な人数からなる集団の内部では、そうした差異もある程度相殺されるので、集団全体としては個人間の違いがあまり問題にならない行動の仕方をする。(p.110)
と第4章ではこうした集団をある程度仮想的に作り出し、それらの相互の作用をモデリングしてシミュレーションします、という議論なのですが、一方で、
細部を無視したモデルは、一般には信頼できない。対照的に、チェとカストロが考案した新しいモデルでは、これまで見てきた複雑系の要素がすべて組み合わさっている。中でも重要なのは、彼らのモデルには、成長のためのスペースと栄養を巡って、ミクロのレベルで徹底的に戦うエージェント(細胞)が登場することである。(p.282)
こちらだと細胞レベルのミクロの話になっています(ここでは感染症や癌の複雑系の研究の話がされている)。
前者であれば、ある程度大きな集団を考えているようですが、後者は細胞レベルであり、かなり細くなっています。ミクロと言っても粒度が違うと、その複雑さは雲泥の差となるはずです。もちろん、先に述べたように分野によってミクロの大きさにかなり幅が出てしまうのは仕方なく、そういった意味では複雑系という包括的な捉え方をすること自体が難易度の高いことのように思われます。


ま、こうウダウダ言っても、あれなので、そのうち自分で勉強します。本書の各論として面白いといったのは、具体例として「金融市場」「交通・渋滞」「結婚」「戦争」「感染症・癌」「量子論」という6つの具体例について複雑系が発揮する力が述べられており、それらはそれぞれ面白かったからです。金融市場のマルチフラクタル理論(は本書には載っていませんでしたが、全体的に複雑系に寄せすぎです、本書は。)とか秩序ポケットの話は勉強したら役に立ちそうですし、渋滞は『渋滞学 (新潮選書) [単行本]』とかは有名ですよね。待ち時間の話とかも有名かと思います。交通工学・人間工学的な話は自分でも勉強したい分野ではあります。結婚も経済学ではマッチングの話ですし、戦争は似たような話を『戦争の経済学 [ハードカバー]』で以前読みました。感染症も医療経済で応用できそうですし、量子理論はこれから必須の話になってきそうです。そもそもメカニズム自体に興味はあるので、どれも共通してきそうですが。
さて、正月は積ん読ちょっと消化したりして(これを書いているのは正月中なのです)、うつつを抜かしました。おとなしく勉強に戻りましょうかね...。


(安定の岩波さんですね。)

時系列解析〈上〉定常過程編
J.D. ハミルトン
シーエーピー出版
2006-03

(時系列の定番教科書。ハミルトンの論文に興味がある方はこちら。)

渋滞学 (新潮選書)
西成 活裕
新潮社
2006-09-21

(この本は電車でサクッと読める良い本だと思います。)

戦争の経済学
ポール・ポースト
バジリコ
2007-10-30

(翻訳者はあの山形浩生。)

 
           
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