「かゆ」と「あめ」を覚えて欲しい | ミ―ナに恋をして

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誰も読まない、誰も覗いてくれない、寂しくてしょうがない、甘えたい、すがりたい、泣きたくてしょうがない、でも、誰も助けてはくれない。そんなブログを書いてみよう。

バックナンバー2013-11-24

 

根っこの話だ、古臭い

覚えて損する、ことじゃない

腐った根っこを、掘り起こせ

きっと、なにかを感ずるはずだ

「かゆ」と「あめ」を覚えて欲しい

 

漢字・漢文を「どう読ませたか」

 

「粥」を「加由」と読めとある。

 (かゆ)

 

「糖」を「阿米」と読めとある。

 (あめ)

 

「大豆餅」を「万米毛知比」と読めとある。(まめもちい まめもち)

 

「煎餅」を「伊利毛知比」と読めとある。

(いりもちい ※せんべい)

 

千三百年前の大和言葉の読み方です。

 

漢字「粥」を仮名の音読みで「かゆ」と読むこと自体、従来の日本語には、なかった。

 

主に口承伝達、口頭伝達だけで文字自体存在しなかった。

 

語り部の世界でした。

 

しかし言語的には、どうしても漢字を読むためには、自分のほうから曲げて中国の漢字に折り合いを付けなければならなかったそうです。

 

そこで、そんな苦しい関係から、心ならずも中国に自分を合わせつつ、中国から得るものは得て、漢字仮名交じり文を創ることに成功したのだそうです。

 

日本の独自の文章で、中国人には、全く理解できない文章言葉だそうです。


参考まで、

 

「人」を「ひと」と読むのが訓読みです。

 

「人」を「じん・にん」と読むのが音読みです。


粥の「加・由」は音読みで、「かゆ」が、訓読みとなるのではないだろうか。

 

頭が、こんがらがってきましたもうやめましょう。


※付箋 ずっと昔から、古代から、文字がなくても何不自由なく暮らしていたそうです。

 

口頭伝達・口承伝達だけで、事足りていたのだそうです。

 

今一度、無文字社会の素晴らしさ、素朴さ、土臭さを再確認・再認識し、そのル-ツを見つめなおすことが大切のように思う

 

例えば、アテルイの世界とか

「わ」「な」という言葉は、現在でもつかわれている言葉です

「わ」とは、自分のこと、私という意味です

「な」とは、あなたのことです

現実社会は、文字がなくても何不自由なく動いているのが事実です

 

自分も含めて頭でっかちが多すぎるように思う

 

どうか、「粥」の音読み「加由」と訓読み(かゆ)だけは覚えてください。

 

あなたも、友達に胸を張って自慢できることだと思います。