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唐と隣接諸国

2017-07-07 | 生物暗記法
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突厥文字 突厥文字 ウイグル文字 ウイグル文字 
■ポイント 唐帝国の成立は周辺諸国にどのような影響を与えたか。国際関係として捉える。
1.北方の遊牧民族
 突厥  a トルコ系 民族 6世紀 モンゴル草原から中央アジア一帯を支配。
 大遊牧帝国を建設。ササン朝ペルシアと共にb エフタル を滅ぼす。(第1章1節)
583年 c 隋 に圧迫され東西に分裂。
 → 東突厥はd 唐 の建国を助け、一時隆盛。630年 唐に服属する。
   西突厥はトルキスタンを支配。唐に敗れ7世紀末に衰退。
744年 e ウイグル に滅ぼされる。
・f 突厥文字 を持つ。アラム文字系。
 → g 北方遊牧民の最初期の文字 として重要。(右上)

Text p.91

  ウイグル  a トルコ系 民族 8世紀 モンゴル草原から中央アジアを支配。
 c ソグド人   の商人を保護し、東西貿易を抑える。マニ教を国教とする。
・d 安史の乱 では、唐軍を支援。その後、しだいに唐を圧迫するようになる。
・e ウイグル文字 を持つ。(右図) アラム文字系のソグド文字が原型。
→ さらに東方のモンゴル文字や満州文字のもとになる。
・9世紀 キルギス人に圧迫され、タリム盆地に西遷。f 中央アジアのトルコ化  始まる。
2.南西部の動き
 チベット  ・7世紀 a ソンツェン=ガンポ が統一。b 吐蕃 と称す。
・都はラサ。吐谷渾を撃退。唐とも一時交戦。唐王朝と婚姻関係を結ぶ。
・インド系の文字をもとにc チベット文字 をつくる。
 →  インド、中国双方の文化を取り入れる。
・仏教とチベットの民間宗教(ボン教)が融合してd チベット仏教 が生まれる。 
 → 8世紀後半には一時、長安を占領。西方ではウイグルと争う。

解説

チベットの諸部族を統一したソンツェン=ガンポは、唐と吐蕃のあいだにあった吐谷渾(とよくこん、鮮卑系の吐谷渾がチベット人を支配した国)から諸制度を学びながら自立し、唐に対し公主(皇帝の娘)との婚姻を要求した。太宗がそれに応じなかったため638年唐の国境を攻撃、641年に唐の太宗はソンツェン=ガンポの実力を認め、文成公主をチベットに降嫁させた。文成公主は中国の仏教をチベットに伝えた。
 南詔  チベット=ビルマ系 8世紀後半、d 雲南 地方で自立。
 ・唐の漢字、儒教、律令制などを受け入れ、仏教が盛んになる。9世紀に最も栄えた。
3.東アジア諸民族
新羅  三国の対立、日本の干渉が続く中、唐と結んで有力となる。
663年 a 白村江の戦い  唐と連合軍を編成し、日本・百済の連合軍を破る。
668年 唐との連合軍により、b 高句麗 をほろぼす。
676年 唐の勢力をしりそげて、半島の大部分を支配。
・社会 c 骨品制 :朝鮮古来の氏族制的な身分制度。
・都の慶州を中心に唐に倣った仏教文化が発達。
慶州のd 仏国寺 (多宝塔が有名)、石窟庵など。
渤海  高句麗の滅亡後、その遺民と靺鞨族が中国東北地方・朝鮮北部を支配する。
698年、▲a 大祚栄 が建国。713年 渤海郡王に封じられる。都は上京竜泉府。
 唐の文物・制度をさかんにとり入れ、8~9世紀に栄えて▲b 「海東の盛国」 と言われた。
日本  7世紀 大陸文化の摂取と中央集権国家の形成すすむ。
607年 聖徳太子、a 遣隋使 小野妹子を派遣 → 隋のb 煬帝 と交渉。 
630年 c 遣唐使 の派遣。留学生や留学僧も加え、文化の輸入につとめた。 
645年 d 大化の改新 :律令国家体制をととのえる。「日本」、「天皇」などが正式に用いられる。
701年 大宝律令制定 710年 e 平城京 の建設 → 唐の都長安城を模倣。
・均田制を模した土地公有制(班田収授法)や租庸調制、貨幣の鋳造(和同開珎)などが取り入れられる。
 → 唐をつうじてインド・イランなどの文化にも接し、f 天平文化 が繁栄した。

解説

唐と日本の盛んな交流には次のような例がある。
・阿倍仲麻呂(唐名朝衡) 717年 遣唐使として入唐 科挙に合格して玄宗に仕え、安南節度使となる。「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にい出し月かも」と詠んだ歌は有名。
・鑑真 754年に来日。日本に戒律を伝え、東大寺戒壇院、唐招提寺を開く。
・天台宗を伝えた最澄、真言宗を伝えた空海もいずれも唐に渡り学んでいる。
・なお最近になって唐朝に仕えた日本人井真成(日本側に記録がない)の墓碑や、最澄の弟子で唐で天台宗を学んで『入唐求法巡礼行記』を著した円仁を顕彰した石碑などが中国で相次いで発見されている。

Text p.92

・東南アジア諸国 カンボジア、チャンパー、シュリーヴィジャヤなども唐にg 朝貢 した。
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用語リストへエ.唐の動揺
■ポイント 大帝国として繁栄した唐王朝とその律令制度はどのように崩壊したか、その過程を理解する。
 則天武后  の政治 高宗の皇后。皇帝の死後、実権を握る。
690年 帝位につく。a 中国史上、唯一の女帝 。国号をb 周 (武周)と改める。
・c 科挙 によって任用された官僚の重用など、独自の政治を行う。
 → 政治の担い手が、世襲的な貴族から、実力本位の官僚に移る。 → 貴族社会の衰退。

解説

則天武后は唐の高宗の皇后として実権を握り、ついには国号を唐から周(武周)に代えて皇帝になった女性。唐王室の李一族など北朝以来の貴族勢力(関隴集団。長安付近に土着した鮮卑系貴族)を一掃した。自ら聖神皇帝と称し、国号を周に改めたたり、進士科の中心試験科目に詩賦を置き、官吏登用に文学的才能を重視して科挙制を強化、官僚制を整備した。また律令制度の官職名を『周礼』を手本としたものに改めた。さらに自ら漢字を創作した(例えば国を圀とするなどで則天文字と言われる)。また仏教を崇敬し、官寺を大雲寺として保護したり、畜類の殺生や魚の捕獲を禁止したりしている。これらの改革は武周革命とも言われる。
・▲次の中宗が国号をもどすが、皇后の韋后に毒殺される。この混乱をd 武韋の禍 という。
 玄宗  の政治 韋后を殺害して父を皇帝に立て、次いで712年、皇帝となる。
・前半は政治の引き締めにあたり、▲a 開元の治 といわれる。律令の改定などを実施。
・8世紀の中国社会の変化 b 人口の増加・商業の発達にともない、農民の貧富の差が広がる  
 → 農民が口分田を放棄して本籍地を離れ逃亡するようになる。=c 均田制 の動揺。

Text p.93

・749年 d 府兵制 を廃止。
 = 農民から兵士を徴発することができなくなり、傭兵を募集するe 募兵制 に切り替える。
・f 節度使 = 募兵制のもとで辺境の防備に当たるの指揮官。
 → 次第に地域の行政・財政を任され、兵士を私兵化して蓄えるようになる。
・西域経営の失敗:751年 中央アジアでイスラーム軍とg タラス河畔の戦い で戦い大敗。(後出)
・内政が混乱:愛妃h 楊貴妃 を寵愛。その一族の楊国忠を重用し、宰相とする。
 安史の乱  755~763年
・三つのa 節度使 を兼ねたb 安禄山 と部将のc 史思明 が反乱を起こす※。
 ※ともにd ソグド人 。楊氏一族の重用に反発。
 → 一時は反乱軍が長安を占領、玄宗と楊貴妃は逃亡(白居易の▲e 『長恨歌』 にうたわれる)。
 → 唐、北方民族のf ウィグル の援助で反乱を鎮圧。
・影響:g 各地の節度使が行政・財政の権力を握って自立し、中央政府の統制力が弱まった。  
 → そのような地方の権力者はh 藩鎮 と言われた。
・f ウィグル 、i 吐蕃 、j 南詔 などの周辺民族が唐の領土に侵入。
 → 8世紀後半~9世紀 唐王朝は領土縮小しながら存続する。
 唐の衰退 
・8世紀後半 安史の乱の後、大土地所有(a 荘園 )の増大 = b 均田法 の崩壊が進む。
 → c 租庸調制 による税収の減少 → 財政再建の必要が強まる。
・780年 d 両税法 を施行。▲宰相e 楊炎 の献策で実施。
 ポイント・f 実際に所有する土地や資産の多少に応じて現住地で課税する。 
     ・g 収穫期の夏か秋のいずれかで徴収する。 
     ・▲h 銭納を原則とする。 
 → その結果、i 大土地所有が認められる  こととなり、その傾向がさらに強まった。

解説

両税法の大事な点は、それまでの租庸調制が土地の均等な配分を前提とした均等な税制であり、戸籍に基づいて課税されたのに対し、それぞれの戸の資産に応じて、現住地で課税されるようになったことである。しかし、人頭税(一人あたりいくら、と課税される)が基本であり、地税(土地面積につきいくら、と課税する)との二本立てであったことは後の税制と異なる。両税法は約800年間続いた後、明代に人頭税と地税を一体化して銀で納める「一条鞭法」に変わり、さらに清代に人頭税を無くして地税に繰り込んで一本化にした「地丁銀」となる。
 → その後の王朝でも税制の基本とされ、明代の一条鞭法の施行まで続く。(後出)
・社会の変化:商業への規制ゆるむ → 城郭外に草市が発生し、市・鎮に成長する。(宋時代に続く)
       商業の展開 → ▲j 飛銭 (送金手形)の発生。
・761年 k 塩専売制 の実施:さらに高額の税をかける。→ 塩の密売が増大。
 黄巣の乱  875~884年
・塩の密売人a 王仙芝 とb 黄巣 が、塩密売取り締まりに反発して反乱を起こす。
 → 飢饉に苦しめられていた農民が参加し、大農民反乱となる。
・907年 c 朱全忠 が節度使となって反乱を鎮圧。さらに皇帝哀帝を廃して唐を滅ぼす。

7世紀 隋唐時代のアジア

隋唐時代のアジア

 a 唐  
 b 新羅  
 c 吐蕃  
 d 吐谷渾  
 e 南詔  
 f 東突厥  
 g 西突厥  
 h ウイグル  
 i ヴァルダナ朝  
 j ウマイヤ朝  
 k チャンパー  
 l カンボジア  
 m シュリーヴィジャヤ  

 (ア) 玄奘  
 (イ) 義浄  


 ・六都護府    ① 安東   ② 単于   ③ 安北   ④ 北庭   ⑤ 安西   ⑥ 安南  
 ・重要地名  1 長安  2 洛陽  3 揚州  4 広州  5 敦煌  6 疏勒  7 サマルカンド 
      8 カナウジ  9 ナーランダー  10 ラサ  11 パレンバン  12 タラス  13 白村江 
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用語リストへオ.五代の分裂時代
■ポイント 唐滅亡により中国が分裂時代となったことに伴う東アジアの変化を理解する。
 五代十国  の争乱 907~960年
・907年 a 朱全忠 がb 後梁 を建国、都をc 汴州(開封) に定める。
 → 各地のd 節度使 が自立(藩鎮)=中国の分裂。
・次いで華北にe 後唐 ・f 後晋 ・g 後漢 ・h 後周 が交替。この五王朝をi 五代 という。
 その他に有力な節度使が10の国を作る。=j 十国  
 → 各国ではk 節度使の武力による武断政治 が行われ、混乱が続く。
・北方系遊牧民の進出。ウイグルの衰退に代わり、モンゴル系l 契丹 が進出。(後出)
 → f 後晋 からm 燕雲十六州 を割譲され、さらに一時華北への進出を始める。(後出)

解説

 五代の変遷 各王朝の始祖(系統)・都・特記事項
後梁:907~923 朱全忠(漢人)汴州(開封)
後唐:923~936 李存勗(トルコ系)洛陽
後晋:936~946 石敬瑭(トルコ系)開封 契丹の援助を受け、代償として燕雲十六州を割譲
後漢:947~950 劉知遠(トルコ系)開封
後周:951~960 郭威(漢人)開封 世宗の時、統一を進め、宋の基盤が出来る
 貴族の没落 
・五代十国の争乱を通じ、荘園を基盤としていたa 貴族 の没落が顕著になる。
 → かわって新興のb 地主層 が成長。所有地をc 佃戸 (小作人)に耕作させて小作料を取る形態となる。
960年 五代の後周の部将 趙匡胤が宋を建国。次の太宗が中国を統一。(後出)
・唐の滅亡と五代十国の争乱の影響
 a 唐王朝を中心とした東アジア世界国際秩序が崩れ、周辺諸民族が自立し、独自性を強める。 
・10世紀の東アジア
 宋の建国、契丹の台頭。朝鮮では高麗の自立。日本では承平・天慶の乱から摂関政治、国風文化の形成へ。
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