6名今度ニコニコと。
(鹿鳴館)(コンドル)(ニコライ堂)
[point]
1.コンドルが、東京神田にニコライ堂、そして他にも鹿鳴館を設計した。
[解説]
1.コンドル(1852~1920)はイギリス人建築家で、お雇い外国人。工部大学校教授として辰野金吾ら、文明開化期の日本人建築家を育成した。
〈2017早大・人間
問4 下線部c.明治初期に、外国人教師の多くを占めていたのはcイギリス人であったに関連して、工部省で技師として勤務したイギリス人をl人選べ。もし該当するものがなければ、カをマークせよ。
ア グリフィス イ ケーベル
ウ コンドル エ フルベッキ
オ ラグーザ
(答:ウ ※工部省の「コ」。ア.グリフィスはアメリカ人。
ラトガース大学で福井藩からの留学生であった日下部太郎と出会い、親交を結ぶ。その縁により明治4年(1871年)に日本に渡り、福井藩の藩校明新館で同年3月7日から翌年1月20日まで理科(化学と物理)を教えた。天窓のついた理科室と大窓のある化学実験室を設計したが、これは日本最初の米国式理科実験室であったらしい。
明治4年(1871年)7月、廃藩置県により契約者の福井藩が無くなった。明治5年(1872年)、フルベッキや由利公正らの要請により10ヶ月滞在した福井を離れて大学南校(東京大学の前身)に移り、明治7年(1874年)7月まで物理と化学、精神科学など教えた。
イ.ラファエル・フォン・ケーベル(ドイツ語: Raphael von Koeber, 1848年1月15日 - 1923年6月14日)は、ロシア出身(ドイツ系ロシア人)の哲学者、音楽家。明治政府のお雇い外国人として東京帝国大学で哲学、西洋古典学を講じた。
エ×フルベッキはオランダ人
振るベッキーを切り捨てて。
フルベッキ オランダ人 キリスト教
ラグーザ 1876年(明治9年)に明治政府に招かれて来日し、1882年(明治15年)まで工部美術学校で彫刻指導にあたった。教え子に大熊氏廣(1856年-1934年)や藤田文蔵(1861年-1934年)がいる。
▲ラグーザ『日本婦人』
〈2016上智大・法(地球)済(営)総人(社福)
護国寺には外国人の墓もあり、( ソ )などの設計で知られる( タ )建築家コンドルもここに眠っている。彼は( チ )などを設計した辰野金吾や、( ツ )などを設計した片山東熊らを育てた。
問10 空欄( タ )に当てはまるもっとも適切な語はどれか、次の中から1つ選びなさい。
1フランス人 2イギリス人
3アメリカ人 4スイス人
5ドイツ人 5カナダ人
問11 空欄( ソ )( チ )( ツ )に当てはまる建築物の組み合わ、せ(順不同)で、もっとも適切なものはどれか。次の中から1つ選びなさい。
1二コライ堂・鹿鳴館・東京駅
2二コライ堂・東京駅・旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
3東京都庁・鹿鳴館・東京駅
4日本銀行本店・三井倶楽部・東京駅
5鹿鳴館・旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)・東京国立博物館表慶館
6東京国立博物館表慶館・二コライ堂・鹿鳴館」
(答:問10タ2、問11→2※トウク)
〈2013立大・全学部2/6:「
これ(鹿鳴館)を設計したのは誰か。
a.片山東熊 b.コンドル
c.辰野金吾 d.ラグーザ」
(答:b)〉
〈2010明大・政経:「
1877年には政府の招きでイギリス人の(ア)コンドルが来日した。「日本近代建築の父」と称されるコンドルは、工部大学校造家学科で多くの日本人建築家を育てた。
問3.下線部(ア)のコンドルについて、彼の設計でない建築物はどれか。A~Eから一つ選べ。
A鹿鳴館 B岩崎弥太郎邸
Cニコライ堂 D三井倶楽部
E旧帝国ホテル
(答:E渡辺譲(工部大学校第二回生)〉