夜驚症の子どもの母は孤独だった | えむのすけの育児ブログ<脳症・発達遅滞・症候性てんかん>

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二人の子育てと
脳症、発達遅滞と症候性てんかん
その後の発達について

シオちゃんが、毎日、毎朝、毎晩、機嫌が悪く、グズグズしながら悲しみ、怒り、泣きわめいていたころ。

夜眠ったあとに
大声で叫びながら立ち上がり、
夢遊病のように歩きまわり、
毎晩毎晩抱くこともできないほど暴れに暴れていた。

当時、シオちゃん3歳。

「うちの子、夜泣きが酷くて…」
という世間話に「うちもよ~」と答えるママ友は殆どいなくなって、
「たまに夜泣きがあるけれど」と言いながらも「トントンして」「抱っこして」寝かしつけている話をよく聞いた。

「夜中に起こされると嫌になっちゃうよね」
そんな言葉を、
「嫌になっちゃうで済むかーーー!」
「こっちは3時間おきに30分、1時間もかけてギャアギャア叫びながら暴れられているのだ!」
という叫びを喉の奥に押し込みながら聞く。


夜驚の時は、半分眠っているようで、声をかけても聞こえない。
元々身体を触られるのが好きでないシオちゃんは、トントンや抱っこなどしようものなら
余計に抵抗し、激しく暴れて叫び声をあげ、壁にぶつかるわ床にぶつかるわ、阿鼻叫喚だった。
安アパートに住んでいたので、隣人はさぞや迷惑されたことと思う。
夫はそのあたりを一番気にしていて
「シオ!!!!いいかげんにしろ!!!ご近所様にご迷惑だろう!!!」
などと声を荒げることもあった。
そうするとシオちゃんは「叱られた!」という刺激だけが入るのか余計に暴れ、叫び、泣き喚くのだった。


「寝ぼけているのだから一度起こして目を覚まさせよ」
と夫がよく言った。
しかし、また恐怖の寝かしつけを行うと思うと本当に嫌で、
わたしが選んだのは
「真っ暗な中、息をひそめて嵐が過ぎるのを待つ」ことだった。
自力で眠れるように練習することが一番の近道だと思っていた。
しかし30分も放っておくと、また夫が起きて
「無視するのはやめろーー!」
などと今度はわたしに対して怒るのだった。
ギスギスしてしまうよね。家族全員睡眠不足だからね…。


保健センター、医師、幼稚園、どこに相談しても
「大変ですね」
「いずれ落ち着きます」
で取り合ってもらえない。

本やインターネットでは
「母親の気持ちが落ち着いていないと」
「昼間の愛情不足が」
などと責められる。


「昼寝をさせすぎていない?」
「穏やかに接して」
「夜は暗くして」
そんなことはとうの昔にやっているわ!!

当時は孤独感と言うか孤立感というか、「誰にもわかってもらえない」気持ちが強かったように思う。
精いっぱいの愛情を注いでいるつもりなのに、注いでも注いでもまだまだもっとと求められているようだった。



「なんでなの!!」
「おかあさんやめて!!」
「いやだよ~いやだよ~」
「シオちゃんが!わたしが!!」
「どうしてなの!」
「おしえてよ!」
「やめてよ、やめてよ!」

深夜2時、そんな言葉を叫びながらドッタンバッタンと暴れている娘を、母は途方に暮れた気持ちで見つめるのだった。



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