おじぃの独り言

セミリタイアして第二の人生をエンジョイするおじぃの備忘録です。

壺屋のツボ『やちむん通り』とすーじぐゎー巡り@那覇

2017-12-09 06:47:21 | 旅行
『壺屋焼』は1682年に琉球王朝が琉球国内の三つの窯場(かまば)を壺屋地域に統合し、今年で330年という長い歴史を持っています。

先の戦争で那覇市内は壊滅的な被害を受けました。しかし、この壺屋地域に限っては奇跡的に戦火をまぬがれて、戦前からの古い赤瓦であったり、すーじぐゎー(筋道)という細い路地や石垣が残っています。沖縄・那覇の原風景が今でも見られるのです。そんな壺屋のツボを紹介してくれる『那覇まちまーい』ツアーに参加しました。

コースは、『番所ガー⇒北の宮⇒南ヌ窯⇒いしまち通り⇒育陶園陶芸道場(見学)⇒ビンジュルグヮー⇒東ヌカー⇒やちむん通り⇒壺屋陶器会館』。沖縄の原風景を紹介しますねぇ。

まずは『番所ガー』、番所(役人の詰め所)の側にあった井戸です。今は『焼物博物館』が建っています。



『焼物博物館』のわきの石段を上っていくと昔窯の温度センサー(焼物の破片)がならべられてます。



続いて『北の宮(ニシヌメー)』、壺屋の拝所の一つです。ニシとは方言で北のことを指します。昔は、この地にニシヌ窯と呼ばれる登り窯がありましたが、大正7年に窯をくずして大和風のお宮を作りました。そこに土地の守り神である土帝君(トーティークン)と、焼物の神様がまつられ、『北の宮(ニシヌメー)』と名付けられました。



『北の宮(ニシヌメー)』は壺屋の街を見守っています。



続いて『南ヌ窯』(後程紹介)を通り、『やちむん通り』に出ます。『やちむん通り』では見事なハイビスカスの花を観られます。



『やちむん通り』から『いしまち通り』に向かう途中に『壺屋区役所跡』があります。壺屋には戦後沖縄の復興の為、陶器・瓦製造のため陶工が壺屋に集まり行政区として区役所があったようです。いまは那覇市に統合されています。



又、歩いている凝ったマンホールに出会えます。さすが焼物の街です。



いよいよ、すーじぃ小(ぐゎ)の『壺屋いしまち通り』です。



歩いていると途中こんなもの(カジュマルの実)が、



更に進むと『育陶園陶芸道場』に出会えます。約300年の歴史がある壺屋でも老舗の窯元で魚や植物の伝統的模様が施された食器やシーサーなど定番のやちむんから、現代の食卓にも馴染むデザインまで、幅広いシリーズが育陶園では制作・販売されています。



そして『ビンジュルグヮー』、ビンジュルグヮーは、ブジュルとも呼ばれ、壺屋の土地や集落を守るタチクチ(村建て)の神様をまつっているところです。壺屋でのすべての行事がここにはじまり、ここに終わるといわれ、壺屋の人々にとって大切な場所です。



最後は『東ヌカー(アガリヌカー)』、東ヌカーは村ガー(共同井戸)の一つです。「アガリ」は東のことを指す方言で、この井戸は壺屋の東側にあることから、アガリヌカーと呼ばれています。300年ほど前、村ができて最初に掘られたのが、この井戸だといわれています。



赤瓦屋根の家や石垣の続く「すーじぐゎー(路地)」などの懐かしい風景が残る『やちむん(焼き物)』のまち「壺屋」を魔除けのシーサーや石敢當(いしがんとう)を探しながらぶら〜っと歩いてみるのもいいもです。


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