選択 | 私のイタリア時間

私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。




私たちは、常に、

選択し続けている。


例えば...


今日の夕飯、何しよう???


とか


どっちのトマトが美味しいかな...


なんて事から、


あぁ、これから、どうしよう...


なんていう、

人生の選択、

そして、


本当に、この人でいいのかしら?


なんていう、

パートナーの選択まで、

常に選ぶことばかりである。


なぜに、こんな事を考えているのか...

というと、

先日、

友人が手術をした。


本当は、

病院に駆けつけてあげたかったし、

お見舞いにも行きたかった。


けれど、

この10月に入ってから、

嬉しいことに

来客の嵐で、

日本からわざわざ、

私に会いに来てくれる人たちとの

予定が

ぎっしり

来週まで詰まっていた。


もう何ヶ月も前から

イタリア旅行を準備し、

せっかくだから

いろいろ周りたいであろう

時間の中で、

わざわざ、

私と会う時間を組んでくれる...

そんなに嬉しいことはない。


時間の許せる限り、

予定に組み込んで行った。


そんな余裕のないスケジューリングの中で、

見事、

その時期に

手術することに決まったのであった。


行きたいけど行けない...


葛藤する自分がいる。


でも、

それが為に、

他の人たちの行為を

無碍にすることは、

私には出来ない。


で、

術後に、

自宅に戻ってから

手伝おうと

私は、勝手に決めたのであった。


けれど、

他の知人にそんな事情など

伝わるはずもない。

「友人が手術をしたのに、病院にも顔を出さないんだ...」

言葉にはしないけど、

顔にありありと書いてあるのが

私にはわかった。


それで、

なんだか、

自己嫌悪に陥ってしまう私。


ウダウダと


人生は、いつも選択することばかりだな...


なんて、

思ってしまったのである。


イタリアの病院は、

いつも

なんだか

込み入っていて、

術後僅かなのに、

自宅に返された友人。


今からの、

自分が出来ることをやっていこう...

そう、

早くも、

思い直す自分がいる。


人生は、いつも、選択だ。


限りのある時間の中で、

会いに来てくれる人に会えたこと

そんなことに

感謝しつつ、

それを理解してくれる

本当は今、一番大変な

友人に

感謝しつつ、

そう思う私である。



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最後までお付き合い、どうもありがとうございます。