【現代語訳】2

「もともと、このように人と違っていらっしゃるお二方のご性格のせいでしょうか、どのようにでもあれ、世間並みにどうこうなどとお考えになっていらっしゃるご様子ではございません。
 こうして仕えております誰彼も、今まででさえ、何の頼りになる、『木の本』のような身の寄せ所もございませんでした。わが身を大事と思う者たちはみな、身分に応じて暇をもらって離れ去り、昔からの古い縁故の人も多くはお見限り申した邸に、まして今ではしばらくも立ち止まりがたそうに愚痴を言い合っては、

『ご在世中にこそ格式もあって不釣合なご結婚はお気の毒だなどと昔気質の律儀さからおためらいになっていましたが、今ではこのように他に頼りのいないお身の上の方たちで、どのようにでも成り行き次第に身をお任せなさるとしても、むやみに悪口を申し上げるような人は、かえって物の道理をわきまえず、言いようもないことでしょう。

どのような人が、まことにこうして一生をお送りなさることができましょうか。松の葉を食べて修行する山伏でさえ、生きている身の捨て難いことによって、仏のお教えもそれぞれの宗派をつくって行っているようです』などというような、けしからぬことをご忠告申し上げ、若いお二方のお気持ちがお迷いになることが多くございますようですが、志操を曲げようともなさらず、中の君を何とか一人前にして差し上げたい、とお思い申し上げていらっしゃるようでございます。
 このように山奥にお訪ね申し上げなさるようなお志の、幾年も見続け申し上げていらっしゃるご様子も、縁遠いものではないとはお思い申し上げなさって、今ではあれやこれやとこまごまとした方面のこともご相談申し上げていらっしゃるようで、あの御方を、おっしゃるようお望み申してくださるならば、とお思いのようです。
 宮のお手紙などがございますようなのは、全然真剣な気持ちからではあるまい、とお考えのようです」と申し上げると、

 

《弁の君が語り始めます。

 まずは姫君が通常の結婚などということを考えておられない、というのが前提です。

 その上で、同僚の女房たちの考えですが、父宮が在世の時でさえ、心細い思いでいて、その間に、行くところのある者は次々に去って、多くの者がいなくなってしまいました。

残っている者は、とてもこのままここにいることはできないと愚痴を言い合って、「ご在世中にこそ…」と、姫にはっきり言うものまでいる始末だと言います。

その者たちは、ただ姫の結婚による再興だけを願っているのです。以前はそれでもそれなりの結婚でなければと勧める場合も人を選んでいらっしゃったけれども、この頃では「成り行き次第に身をお任せなさる」のも仕方ないのではないか、仏に仕える「山伏」でも生きていくためには宗派を作るではありませんかと「けしからぬ」ことまで言って、ともかくも早くと思っているようだ、…。

 しかし弁の見るところ、大君は自分自身については「志操を曲げようともなさらず(原文・たわむべくもものしたまはず)」、ただ中の君にはいい相手がいればとお考えのようで、あなたのご厚意はよくわかって、できればあなたのお気持ちを中の君にお向けいただきたいものとお思いらしい。しばしば便りを下さる匂宮のことは、あまり信用していらっしゃらないようだ、…。

 姫と周囲の人々との双方の思いを公平によく汲んだ、たいへん冷静な、しかも情のこもった話しぶりで、さすがに「まことに遠慮なく馴れ馴れしいのも、小憎らしい一方で、感じはたいそうひとかどの人物らしく、教養のある声」(橋姫の巻第三章第五段)と言われただけのことがあります。こういうところを見ると、「遠慮なく馴れ馴れしい」(同)のも、そういう自信があるところからくるものかもしれないと思われます。

 前段の大君の話もきちんとしたものだったことが思い出されて、このあたり、なかなかいい感じです。》

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