【現代語訳】

 常陸介は、少将の新婚のもてなしをどんなにか立派なふうにしようと思うが、その豪華にする方法も知らないので、ただ粗末な東絹類をおし丸めて投げ出した。食べ物もあたり狭しと運び出して大騒ぎした。
 下僕などは、それをたいそうありがたいお心づかいだと思ったので、君も、

「まったく思いどおりで、上手に娘を貰ってお近づきになれたものだ」と思うのだった。北の方は、

この当座の事を見捨てて知らないふうをするのもひねくれているようだろう」と思い堪えて、ただするままに任せて見ていた。
 客人のお座敷やお供の部屋と準備に騒ぐので、家は広いけれども、源少納言が東の対に住むし、男の子などが多いので、場所もない。こちらのお部屋に客人が住みついてしまったので、渡廊などの端の方にお住まわせ申すのもどんなにか気の毒に思われて、あれこれと思案する間、宮の邸にと思うのであった。
「この御方には、人並みに扱ってくださる人がいないので、馬鹿にしているのだろう」と思うと、特に認めていただけなかった所だが、あえて参上させる。乳母や若い女房二、三人ほどして、西の廂の北側寄りで、人気の遠い所に部屋を用意した。
 長年、このように縁遠かったけれども、他人とはお思いになれない人なので、参上した時には几帳越しなどではなくお会いになり、とても理想的に、感じがとても格別で、若君のお世話をしていらっしゃるご様子が羨ましく思われるにつけても、胸に迫るものがある。
「自分も、亡くなった北の方とは縁のない人ではない。女房としてお仕えするということであったばかりに、人並みに扱ってもらえず、残念なことに、このように人から馬鹿にされるのだ」と思うと、このように押しかけてきてお親しみ申すのもつまらない。

こちらには御物忌と言ったので、誰も来ない。二、三日ほど母君もいた。今度は、のんびりとこちらのご様子を見る。

 

《北の方は、中の宮の許しを大輔の君から知らされましたが、「この当座の事を見捨てて知らないふうをする(さっさと二条院に移ってしまう)のもひねくれているようだろう」と考えて、介の行う「少将の新婚のもてなし」が終わるのを待つことにしたのでした。

 その「もてなし」はおよそ都風ではなく、まったく東国流の質朴剛健、質より量といったものでしたが、下僕はもちろん、少将も、少々無理押ししたけれども、賢い選択をして縁を結んだ甲斐があったと大満足です。

北の方は、そういう品のない婚儀にじっと「思い堪えて」するがままにさせながら、こんなところに姫を置いておくわけにはいかないと、腰を上げます。

 と言っても、行くことにすればしたで、向こうに行ったらどんな扱いを受けるだろうか気にならないわけではありません。中の宮とは異母姉妹であるとは言え、何といっても、八の宮にはついに認知されなかった立場ですから、勇気を出しての参上ということになります。

 行くと、果たして居所としては「西の廂の北側寄りで、人気の遠い所」があてがわれていました。「西といい、北という、人の喜ばない所」(『評釈』)です。

 しかし、中の宮自身は、「几帳越しなどではなく(親しく)お会いになり」ます。その点は北の方も悪くはない気分ですが、そうして向き合ってみると、その居住まいが「とても理想的に、感じがとても格別で」、おまけに「若君のお世話をしていらっしゃる」こともあって、いかにも満ち足りた感じがします。

 北の方は、自分もこのようであり得たかもしれないのに、めぐり合わせが悪かったばかりに、今こうして肩身狭く人の世話にならなければならないと思うと、密かに無念の思いが湧きます。

 「二、三日ほど母君もい」ました。ともあれ、ほっとした気持ちで、我が家とはまるで異なる、みやびな生活をゆっくりと拝見するのでした。》

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