福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ヘンゲルブロック&バルタザール=ノイマンの「聖母マリアの夕べの祈り」を聴く

2017-12-06 00:20:11 | コンサート


シュテファン大聖堂モツレクを指揮した同じ日付の19時半より、ヘンゲルブロック指揮バルタザール=ノイマン・アンサンブル&合唱団によるモンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」を聴く。

会場はコンツェルトハウス大ホール。

バルタザール=ノイマンは、ヘンゲルブロックがヨーロッパの精鋭を集めて結成した合唱団(1991)とアンサンブル(1995)は、音楽性と技術に於いてそれぞれ世界最高水準をゆくものと言えるだろう。

声楽家ひとりひとりに確固とした個性がありながら、それは決してクセではない。強い、軽い、甘い、切ないなど、様々な声の美しさが渾然一体となりつつ、ひとつの昇華されたハーモニーが生みだされる。

大バッハの1世紀も昔にこれほど多彩で、深遠で、広がりのある音楽を作り上げたモンテヴェルディも偉大だが、その魅力を幅広いダイナミクス、立体感、遠近法で描ききったヘンゲルブロックとバルタザール=ノイマンはまことに見事。



スポーツでいえば、オリンピック・レベルのアンサンブルの繰り広げられるのを目の前にしながら、「そう、これを目指しているのだ」という想いと「いまのままでは永遠に辿り着かない」との嘆きが微妙に綯い交ぜとなった。



ところで、昨年3月、そのヨーロッパ放浪中に、たまたま我々のトーマス教会での「マタイ受難曲」を聴いたという京都の山下竜ノ介君が、この度シュテファン大聖堂のモツレクを聴きに駆け付けてくれた。そして今宵はコンツェルトハウスでご一緒したのだが、終演後、ホテルに戻るとこんなメッセージが届いていた。

『先ほどはお伝え逃したことを、やはり伝えるべきだと思ってメッセージいたします。
詳しくは、お会いした時に話せれば、と思っているので、極めて簡潔な表現になってしまいますが、「先生のシュテファン公演の美しかったのは、今日のモンテヴェルディに全くひけをとらないどころか、音楽のある種の啓示的な要素において、より崇高な真理を享受できた」と少なくとも僕はそう思います。

この手の賞賛は若干気恥ずかしいのと、笑、十分に注意を払わずして賞賛してしまうと、逆に聴き手の傲慢に繋がりかねないので、お伝えするか、凄く迷ったのですが、やはりカプツィーナ公演の前にお伝えした方が良い気がしてメッセージすることにしました。
深夜にどうもすみません。』

様々な経験や実力の集いであるモーツァルティアン・コーラス・ジャパンとオリンピック・レベルのバルタザール=ノイマン合唱団を同じ土俵で語ることは不可能である。

それを重々承知の上で、山下君の言葉を素直に喜びたい。我々のモツレクに大きな美点を見出してくれたことに感謝しつつ。




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