福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

バーンスタイン「ミサ曲」の幸せ

2017-05-22 00:51:21 | コーラス、オーケストラ


この土日は、大阪フィル合唱団にて、バーンスタイン「ミサ曲」の2日連続稽古。

19日(金)夜にはモーツァルト「レクイエム」東京練習会があったため、ロジェストヴェンスキー&読響のブルックナー「5番」シャルク版も、ジョナサン・ノット&東響のブルックナー「5番」ノヴァーク版も、そして、井上道義&大阪フィルのブルックナー「9番」(「大ブルックナー展」最終回)も、どれひとつ聴くことができなかったことは、ブルックナー団一員のわたしにはまこと残念なことであったが、自らに与えられた音楽家の使命を果たす歓びの前には小さなことと言わなければなるまい。

ブルックナーといえば、大阪フィル合唱団団長T氏が述べるには、「福島先生の(厳しい)レッスンを2日続けて受けるのは、ヘトヘトになってキツいですよ。その週の仕事に差し障るくらい。でも、ブルックナー(ミサ曲第2番)の時に較べたら遥かに楽。福島先生のブルックナーへの執念は特別過ぎます」とのこと。

片やわたしは、ブルックナーのレッスンなら何時間指揮していても疲れることはない。4時間レッスンが終わった後、もう一度、最初からやりたいくらい。と、何処かで聞いたような台詞を吐くばかり。

だが、バーンスタインの場合は本当に気を使う。というのも、少年時代から馴染みのあるブルックナーは、主に自分の抽斗にある材料でレッスンできるのに対し、自分にとって新しい領域のバーンスタインに取り組むには、脳内に新たなシナプスを形成させなければならないからである。

楽なことではないが、それは幸せなことだ。

この歳になり、新たに挑むことがあり、さらには、ここで探求した事柄は、迫り来る東京でのモーツァルト「魔笛」序曲や「40番」の指揮にも、必ず生きることになると確信するからだ。去る3月の長岡「ジュピター」「モツレク」の録画を観ながら、「自分の指揮に何か足りない」と漠然と感じていたものの正体のひとつを見つけたような気がする。

バーンスタイン「ミサ曲」。
この複雑怪奇で常識破りな、毒と懐疑に満ちながらも、どこまでも美しく、人類愛に溢れたシアターピースの上演に携わらせて頂いている幸せに魂を震わせているところである。





さて、バーンスタインの2日連続レッスンに費やしたエネルギーを補給するには、このくらいの肉が相当であろう(もちろん、1人前ではなく4人前であるが・・)。こうした食に、比較的低いハードルでありつけるのも、大阪の良さであると思われる。当分、通わなくては。


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