常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

止酒

2017年12月11日 | 漢詩


この頃山を登りながら話題になるのは、高齢で山に登れなくなる話である。節制しているつもりでも、体重が減らず、ちょっと急坂になるとすぐに息があがる、とある人が言った。提案だけど、晩酌を止めさえすれば、まだまだ登れますよ。いやあ、酒を止めれば人生の楽しみがなくなってしまうよ。こんな会話が続いた一年でもあった。酒を忘憂のものと称し、こよなく愛した田園詩人の陶淵明に「止酒」という詩がある。

平生酒を止めず、

酒を止めなば情(こころ)に喜びなし。

暮に止むれば安らかに寝ねられず。

晨に止むれば起つ能わず。

日日之を止めんと欲するも、

営衛止まりて理(おさ)まらず

徒だ知る止むることの楽しからざるを、

未だ知らず止むることの己に利あるを。

始めて止むることの善たるを覚り、

今朝真に止めたり。

詩中の営衛とあるのは、漢方の気血経脈のことで、血流も呼吸さえも止まるということである。これほど酒に魅せられた淵明が、止めることの善が何であるかは語っていない。ぷっつりと酒を断ち、扶桑の島(東海の仙島)でいつまでも生きてやろうと、なかばやけくその決意を吐露している。果たして淵明の決意が、その後も継続されたかは詳らかにしない。私も、少量の酒は、百薬の長と信じている側の人種である。
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