常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

翁草

2017年04月26日 | 


山形市光禅寺の庭に、今年も翁草の花が咲いた。もう少し後と思っていたが、今日訪れて咲いているのに少し驚きもした。ここは檀家の人が毎日手入れをしているためか、草花の花も活き活きとして美しく咲く。翁草は白頭翁とも書き、花が終わると綿毛が出て、僧が持つ払子のような形になる。そんな様子の様を愛し、多くの歌に詠んだのが斎藤茂吉である。

かなしき色の紅や春ふけて白頭翁さける野べを来にけり 斉藤 茂吉

茂吉は今の上山市の金瓶に生れた。金瓶から須川を越えたところ小高い丘がある。そこは、茂吉が子どものころ友だちと連れ立って駆け回る遊び場であった。そこに狼石と呼ばれる大きな石があった。その石のまわりに翁草が咲いていた。

狼は今は絶滅して日本に生息していないが、上山の人里近くに狼が住み、その石の陰で子を産んで育てていたという言い伝えがある。肉食である狼は、群れをなして鹿を襲ったり、馬を襲うこともあった。『遠野物語』に狼の話が出てくる。境木峠から和山峠を越える山道で、馬で荷を運ぶ駄賃馬で生計を立てる人々がいた。一人が5~7頭の馬を曳き、10人くらいの人が夜行で峠越えをした。馬の数は4、50頭という大掛かりな隊列である。

「ある時2、3百ばかりの狼追い来り。その足音山もどよむばかりなれば、あまりの恐ろしさに人馬とも一ヵ所に集まり、その周りに火を焚きこれを防ぎたり。狼はその火を踊り越えて飛び込んできた。ついに、馬の綱を解き、周りに張り巡らすと、狼は用心して襲ってこなくなった。しかし、人馬の周りを取り巻いて、夜が明けるまで吠え続けた。」

人は凶暴な狼を畏れ、石の近くに供え物をするなどしながら、狼との共存を図ってきた。
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