ミニーさんからのコメント
いつもブログ読ませていただいてます。
パニック障害になって10年目です。現在は仕事もしていて、昔苦手だった満員電車も嫌だなぁと思うことはありますが、乗れない、や途中下車することもなく、電車に対しては克服しています。日常生活も他人からみたら普通の人と変わらない生活を送っていると思います。
たまに自分のコントロールが効かない場面や、強い不安を感じたときに軽い発作がでますが、実況中継を冷静にでき、そのうちおさまるだろうと言う今までの経験上の自信もあり、発作も5分程度でおさまってしまいます。
ただ、発作までいかない、日々のちょっとした症状、(私の場合喉のつまり感、息苦しさ、肩こり首コリだるさ、イライラ感)などが、実況中継をしたり、発作同様受け入れる体制をとってるつもりなのですが、当分の間共存しなくてはいけないのはわかっていますが、なかなか消えないことに辛さを感じてしまいます。
発作はすぐ消えてくれるのに普段の症状が頻繁にまだそこにいるのはあたしが心のどこかで日々の症状を受け入れきれてないからなのでしょうか?
一応症状に対しては慣れていて第二の恐怖に進むことはありません。
いきなり襲う恐怖を伴う発作よりも日々のだるさや息苦しさの方が辛く感じてしまっています。その子たちをひとつひとつ受け入れきれてないから毎日頻繁にそばにいるのでしょうか?(/ _ ; )それとも神経が過敏すぎて息苦しさや喉の圧迫感がクセになっているのでしょうか。
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経験上の自信も身に付き、症状や気分にとらわれずに、目の前のやるべき事ができるようになってきたご様子。いいですね、そのくり返しです。
そのうちおさまるだろう。そんな言葉が出てくる現在の状態、実況中継が正しく、継続されてきた証です。よく頑張ってきましたね。
ご質問の件、発作症状とは別に、日常生活で常に何処と無く気になっている身体的違和感。
私も当時は、喉の違和感、飲みにくさにとらわれていた時期があって、発作症状は出なくなってきたし、出ても対処ができるようになってきたのに…なぜ?と抱え込んでいた時期がありました。
しかし、こうした回復期によくあることなんです。ひそかに今の回復した状態を維持させておきたいという期待が、かえって違和感を発見しやすい状態を作ります。違和感を排除しておきたい気持ちが強くなるのも、こうした回復期の時期だったりします。
ご自分でも言われているように、完全な受け入れとは言い難いところですが、これはしかたがありません。あなたが第一の恐怖と、第二の恐怖の区別をしっかりと身に付けているのであれば、そのようなとらわれがあっても、容易に突っ走ってる自分に気付くでしょう。
しかし、身体の違和感は簡単にはまだ消えていく段階ではありません。すぐに反応をするものではないので、あまりここに対する対応をしないほうがいいです。
今日はそんな日。
今はそんな時。
あるがままの、事実をどうにかしようとしないことです。どうにかできるものではない事に、どうにかしようとすると、かえって厄介なとらわれを作り出します。
パニック障害を克服するには、段階があります。まさしく今は回復期ではありますが、そんな時期であるがゆえに、重箱の隅をほじくるような事をしてしまいがちです。
だいぶ楽になってきた!でも!
でも!まだ、これがちょっと!
これさえ無ければなぁ…もっと楽しめるのに、ラクなのに…という見方を日頃していたりしませんか?
このちょっとした違和感が、どこかで暴発するんじゃないか…そんな不安も何処かに見え隠れしているかもしれませんね。
最後の最後まで彼らを迎え入れてあげる姿勢が大事ですよ。最後の最後まで「あるがまま」を、そのまんまに受け入れていきましょう。
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