実況中継は自他への寛容度も養うことになる | パニック障害と嘔吐恐怖症状を自力で治療克服した方法(運営終了・告知・記事倉庫のみ)

パニック障害と嘔吐恐怖症状を自力で治療克服した方法(運営終了・告知・記事倉庫のみ)

10年以上、パニック障害と嘔吐恐怖で苦しんだ私が、薬無しで自力克服したお話。あきらめないで!ちゃんと治そう!! 

乗り物恐怖で、行動練習をするとき、

ヒトの多さだけではなく、音や匂いに敏感な人がいます。

子供の泣き声や、人々の話し声、車内アナウンス、香水の匂い、車内全体の匂いなど。

これらに、あなたがどれだけ敏感であっても、昔はそうではなかったはずですよね。多少の好き嫌いはあったとしても。

ということは、そうした環境下をあえてさえ避けずに、それらを行動練習に含み入れておく必要があります。昔の状態に戻す必要があることはあなたも否定はしないでしょう。

よく考えてみてください。あなたが過敏となっているそれは、単なる「音」であり、「匂い」です。
もっといえば、そこに起きた「出来事」に過ぎません。

解釈をどんな事に結びつけているかによって、その時の気分も行動も変わっていきます。もちろん好き嫌いはあっても構いません。しかし、事の判断をする前に、起きているあるがままを、まずは素直に受け止めてみるところから、それらに対して冷静にとらえなおしができるというものです。実況中継を通して、評価判断せずに、事のあるがままを自分の中に落とし込んでいきましょう。

そして、もう一つ。
「音や匂い」ネタは、あなたの中の「正義」が、怒りを生み出したり、損得感情を生み出したりしていることもあります。パニック障害になって、やけに自分が気が短くなったと気付く人もいるでしょう。そんな人は「べき」思考が暴走していることも。

「こうあるべき」という正しさこそ正義も、あくまで自分にとっての正義、ルールなので、時には、それらが生きる上で臨機応援さを失い、生きづらさを感じる一端となります。他にも解釈があっていい、そんな受容力を養いたいものです。

社会復帰を目指している人であれば、それは日常で普通に毎日のように出くわす「出来事」であり、それらに一喜一憂していたのでは、キリがありません。

好き嫌いはあっても、それが避けられない状況下では、その訴えは単なる寛容さがないことのあらわれでもあります。文句の多い人だなぁ…でおしまいです。

社会は雑音だらけです。不確定要素が非常に多い。良いか悪いかだけではない雑多な世界が社会そのもの。パニック障害のあなたにとって、とても苦手になってしまった要素の一つかもしれません。

社会生活では何かしらの妥協が必要なのは言うまでもありません。原因を外に求める生き方をするならば、生きること自体がとてもストレスフルなものとなるでしょう。自分の中の何が、それらに反応したのだろうかと問いかけることも、起きた出来事を客観視する訓練となりますよ。

行動練習は、苦手なものだけではく、自分の内面の改革であり、そのためにも苦痛な事を通して自分自身に責任をもって向き合うという作業なのです。