今から30年前、日本には確かに日本国有鉄道という鉄道が存在しました。
明治5年、新橋~横浜(当時は桜木町)間に開通した陸蒸気から始まった国有鉄道の歴史は1987年3月31日をもって終わりをつげることとなりました。
今日は少しだけ時計の針を昭和62年3月31日に戻してみましょう。
国鉄最後の日、国鉄では最初で最後の大バーゲン「謝恩フリーきっぷ」を発売します。
6,000円(子供は3,000円)で発売され、全国指定の86駅にて3月21日から10万枚限定で発売されましたが即日完売だったそうで、私は結局買うことが出来ませんでした。
この切符、全国の国鉄の新幹線・鉄道連絡船を含む全ての列車の(特急・急行を含む)普通車自由席が利用可能だったそうで、4月1日の0時を越えて走る列車については、途中下車しない限りその列車の終着駅まで有効というとんでもない列車で、夜行列車も多く運転されていましたので、3月30日から出発して途中駅で0時になった時点で。「謝恩フリーきっぷ」をr利用して24時間使うことが出来たと言えそうです。
また、これとは別に「旅立ちJR号」なるものが東京から各旅客会社向けに運転されました。
特筆すべきは、東日本は東京が本社となるため、当時地域本社が置かれた仙台あてに旅立ち号が運転されたほか、北海道・四国はトンネル及び連絡橋が開通していなかったので、北海道号は青森まで、そこから先は連絡船を経由して北海道では別途列車が組成されて札幌まで走った他、四国号はゆうゆうサロン岡山を使用して宇野駅までそこから先は連絡船で連絡となったそうです。
これらの旅立ち号の列車には、新会社への鍵と杉浦総裁から新会社社長あての親書が添えられていたそうです。
カギの写真を探したのですが出て来なくて、また見つかればアップさせていただきます。
そして、テレビ局は大晦日の特番のように国鉄の終焉をお祭り騒ぎのように盛り上げる中、黙々と日々の安全輸送に努めていた国鉄職員がいたこと。
そして、この日を最後に国鉄を去った多くの国鉄職員がいたことも忘れないで戴きたいと思います。
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