Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「身のまわり不定形にて梅雨に入る」(内田秀子)

2017年06月18日 16時16分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 妻の熱は少し下がり気味であるが、眠り続けている。旅行の疲れであろうか。
 朝からいかにも梅雨らしい雨に降りこめられている。風がなく、空から真っ直ぐに地面めざして落ちてくる。時間雨量にして20ミリ未満の雨であるが、音がしている。しかも間断なく降り続く。ただし本日の気温は少し低い。横浜は23℃に達していない。少し肌寒く感じる。この気温が梅雨の雨とは違う所だ。風が北東と北寄りの風である。ジトッとした不快な湿気は感じない。

★身のまわり不定形にて梅雨に入る     内田秀子
 句集「朱い線」から。「不定形」ということばにどのようなイメージをふくらますか。私はとっさにアメーバ―のような極小体の生命体を思い浮かべた。「身のまわり不定形」だから、作者がアメーバ―のように周囲に自己主張するでもなく、まわりの人間の振舞いに右往左往しているうちに梅雨の時期になってしまったというようなどこか自分というものを失っている状態を眺めている作者の目を感じた。そうするとこれは否定的に自分を捉えている。
 しかしもう一方でアメーバ―といえども自己主張がないようでいて自分の生命を脅かすような脅威には逃げの一手ということも含めて抵抗する。そのような自己主張をしなくても流されていることに抵抗がなかったということは、周囲の状況にいちいち反応するような事態にはならなかった平穏な日々であったのかもしれない。そうなればこれは肯定的に日常を詠んだ句かもしれない。
 どちらなのだろう。肯定、否定、どちらかに決めなくてはならないということ自体が不幸な日常であるともいえる。そんな日常を淡々と詠んでいるのだろうか。
 日常にどのように筋をとおすかなんてことにこだわらず、ひょいひょい、スルリスルリと泳いでいく心境に達した人生の達人の句と理解すると、これもまた楽しい。


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