「ボストン美術館の至宝展」にて曽我蕭白の「風仙図屏風」を見た。すでに一度目にしており、印刷物でも何回か見る機会があった。
辻惟雄の「奇想の系譜」では曽我蕭白は取り上げられているもののこの「風仙図屏風」は取り上げて論じてはいない。
私はいつもこの作品を見るたびに違和感を覚える。たった一人で池に住む龍を退治して天の水門を開けて干ばつを救ったという中国の陳楠(ちんなん)を描いたとされるこの作品は、経世済民の実を失った当時の武士に対する痛烈な批判であるらしい。
龍はの黒雲として描かれ風を巻き起こしている。そして陳楠の従者ないし同僚はその風を受けて、陳楠の後方でみっともなく倒れている。さらに作品の右端では2頭のウサギが何事もないようにのんびりと対話している。画面の左手の樹は龍の巻き起こす風で大きくゆがんでいる。あるいは空間そのものが歪んでしまうほどの強い霊力の龍である。風を巻き起こす龍を黒い渦で表現しているのはなかなかである。従者ないし同僚や、ウサギ、陳楠の後ろの風になびく樹の表現なども秀逸だと思う。
だが、龍を退治する陳楠の描き方が何とも云えず滑稽すぎる。まず眼が向かって左、従者乃至同僚の方に剥けられている。こんなに強い霊力ないし暴風に対峙する場合は龍の方をにらみつけるのが普通の仕草であろう。また足2本が互いにとんでもない方向を向いている。実際にはあり得ない揃え方である。そして一番おかしいのは、風に対峙しているのに、膝は棒のようにまっすぐで、腰は前のめりである。これでは踏ん張っている姿勢ではない。膝を曲げ、腰を落として両足を軽く前後にずらして踏ん張らない限り、後ろで倒れている二人のように風で倒されてしまう。剣を持っても力が入っていない。振り下ろして空振りをしたような仕草にしか見えない。
私はいつもこの滑稽な姿勢におおきな違和感を持つと同時にわらってしまう。曽我蕭白という画家の作品、私は「雲龍図」はとても好きである。その迫力には脱帽である。しかしこの風仙図の主人公陳楠だけはどうしても理解できないでいる。