作品は「冬(凍る月)」(1965年)。
「北国の鎮まる大地に
何を見つめ、歩み続けるのか
寄り添う芸人の影は
ただ荒涼として侘しい」
「(芸人の世界は)社会の吹き曝しに生きる丸ごとの人間の姿をそこに見るからである。」
「過酷な現実を生きる人間の呻く声が、心を動かす。その断片を繋ぎ合わせ、辿ることで、人間について何かが見えてくるのではないだろうか。」
「吹き渡る風の中を飄々として放浪する。そこには漂白する者の自由が溢れ、それ以外に生きる方法がなかった彼らは、物事に執着する空しさより生涯旅人である幸せを噛み締めたいという。」
「三十歳にも手の届く年に引き揚げてきた私は、何もかも失って茫然として、家族を前にどうすればよいのか、考えあぐねていた。‥何かに憑かれるように冬の裏(ママ)日本、東北、北海道の各地を歩き回った。私が大道芸人やサーカスを描いたのは1960年代から70年代にかけてで、その度の出会いに始まる。‥近世の庶民文化の残影の一つとして独特な広がりをせせる強い土俗性に興味をそそられ、あの奇妙でドギツイ小屋の空間になぜか心を奪われ夢中になった。‥彼らの寄る辺ない生き様に、私は私の中の漂泊の思いを重ねようとしていた‥。」